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内観療法、やってみた(7)

【73】最終日、7日目の朝。2日目から7日目の朝は、朝5時に起きて、掃除して、5時半に屏風のなかに着席する生活だった。7日目の朝。屏風のなかに着席して。

今日はノートを取らずに、内観する、と決める。

残り4時間半(実際は3時間半だった)。

ノートを取るから文句や思考優位になるのかなと言い訳。思考ではなく、感情なのか。何に集中すればいいんだか分からないのが問題なのだろうけど、とりあえず、最後はノートを取らない方法でやってみる。

そしたら。

集中内観をしてよかったことの最後のひとつ。

あることに、気づく。

自分を省みる時は、事実を調べればいい。

「過剰な自責で結論づけなくていい。」

それに、気づけただけで、内観して良かった。

それに、気づいたときの、メモたち。

・開き直った自分を改心させるような事実を集めて、思考の理解ではなく、納得し、腑に落ちた理解に至ることが内観の効果、目的。

・私の反省の仕方は、理由を自分にすることで、自責で終了させるけど、それは、本心や本音ではそうは思ってなくて、うわべだけの反省で、本当の理由に辿り着かない。結論は同じでも、納得の深さ、度合いが異なる。

・出来事を調べ、事実を集め、検証し、そのなかに共通する私のテーマや問題、課題、私の失敗を実感する。事実を調べ、出揃った事実を突きつけられたら、言い逃れできないし、受け入れざるを得ない。

納得すれば、行動が変わる。人生が変わる。

ということ。

だから、謝罪や懺悔、感謝は必要ない。

それらは、あとからついてくるもの。

・私のいままでの、自責で終える反省、出来事の検証は、納得のいくものではなく、どこかで自分を守り、弁護し、うわべだけで、ただ自尊心や自己肯定感を下げ、でも、どこかで私は悪くない、私だけが悪い訳じゃないという言い訳も残り、矛盾した状態だった。

・出来事を内観的に検証すれば、必要のない自責はしなくていい。

・私は悪くないと思っても、事実が私の悪さを証明していれば、私のせいだ。言い逃れできない。私のここが悪いんだと気付いて、納得して、悪い部分を明確に自覚して、行動を変えることができる、というか、変わる。

それを練習する集中内観、ということ。

それだけで、ここに来た意味があると分かった。

・感想も原因追求もいらない。それらが内観をしづらくすることもある。ズレるから。

・裁判みたいなものと理解すればいいのかなと思ったけど、「正邪をこえて事実を見る」とトイレに書いてあった。正しさで判断すると、それもズレるし、そこで話が終わるからかな。

とにかく、自分のしたことの事実をみて、調べること。

・相手の気持ちを調べることで、どう迷惑をかけたのかが具体的になる。事実も探すけど、私が気付いてない迷惑に気づくって、そういうことか。

やり方に納得したら、この7日間のいろんなことがつながって、理解しやすくなった。面接の時間も怖くない。誰が来ても大丈夫。まだまだ理解は浅いけど、思考の理解だろうけど、

理解するって、こういうことなんだろうな。

同じ失敗をくり返す。

似たような失敗をくり返す。

それは、本当は、本音では、悪いと思ってないから。うわべだけの、言葉だけの、思考だけの反省だから。

それを、事実によって、言い逃れできない事実によって、腹の底から反省に至れば、行動が変わる。

今回の集中内観では、私が実感できたのは「愛」のことだけだから、上記の内容は、まだ思考や予想の段階。これについても事実を集めていく。

いや、事実を集めて、そのような体験を積み重ねていく。

内観を続けていくってこと…

ぎゃーーーー。

ひとつの方法として、やっていく。

洗脳されたーーーってこと?いやだー。

でも、理にかなっている。

内観は、感情論ではなくて、理論的であり、
事実によって、感情に訴えかける方法って感じ。

案外ドライなやり方。だけど、ダイレクトに響く。
でも、やり方を間違うと、ズレる。

本当の気づきに辿り着かない。

それはなんでもそうか。

事実を積み上げる。

もう来ないと思ったのに、また来たくなるかもしれないと思ってしまう自分に引く。2021/5/9(日) 8:20


【74】反省はするけど、後悔ではない。落ち込む時は、内観のやり方が間違っている。


【75】2021/5/9(日)9:00。集中内観終了。


【76】集中内観終了後、面接者と最後の面接。内観についての質問や疑問を確認する。7日目にして気づいたことについても報告する。

面接者との相性はあり、合う合わないがあることを聞く。

内観は洗脳しやすい環境ではないか、という疑問も聞いてみる。逆に、洗脳しない仕組みが内観にはあるとのこと。洗脳しない為の対応をしているということ。

面接時に必要以上の質問や解釈はせず、精神的に寄り添うことはせず、依存を引き出さないようにしているそう。視線を合わせないのもきっとそう。

それを聞いても、「(洗脳については)まだ半信半疑ですけど。」と言ってしまう私。失礼だね。

そして、もう来ないと思ったのに、また来るかもと思ってしまった自分に引いたことも報告して、面接者と笑い合う。重ね重ね、失礼だね。

最後の報告を終え、最後に以下の課題が出る。
 1.初日に描いた山、家、道の絵を再度描くこと。
   ※初日に、山、家、道の絵を描いてから、内観を開始した。
 2.感想の記入。

部屋の掃除と、荷造りをしてから、取り組むことにする。

7日間、過ごした屏風のなかを片付け、屏風の外に座り、その空間に、心のなかで挨拶をする。お世話になりました。ありがとうございました。

掃除と荷造りと挨拶後に、感想を2枚も書く。

書き過ぎだ。

全ての工程を終え、お世話になった部屋を出る。

部屋の入り口で、部屋に挨拶と一礼。

7日間、お世話になりました。


【77】集中内観終了後、隔離されていた空間から出て、初日に説明を受けた場所に座り、貴重品と携帯電話を受け取る。

沖縄内観研修所には、ふたりの面接者がいる。
女性ひとり。男性ひとり。

私は、女性の面接者におびえ、苛立ち、相性が合わなかった。でも、集中内観終了後に話した時は、集中内観中の雰囲気や対応とは異なっていて、それこそ、集中内観中の面接者の決まりごとや対応があるんだろうなと思った。洗脳しない為の対応も含め。

集中内観中の最後の面接は、男性の方と。

全ての日程を終えた後の面接は、女性の方と。

この7日間の感想などを話す。描画のことも確認する。

そして、女性の面接者の方の生い立ちと、内観研修所をはじめるまでの経緯なども話して下さった。自分の苦しみを軽くする為に、心理学を学んできたこと。最初の集中内観では、なにも分からなかったこと。分からなかったからこそ、知りたいと思い、2度目の集中内観を受けたこと。そして、内観に魅力を感じ、自分も内観研修所をしたいと思ったこと。

私と重なる部分と、重ならない部分。

最後に話せて、良かった。

女性の面接者とも、もう内観はしない、ここにも来ないと思ったのに、7日目に、最終日に、なんならついさっき、また来るかもと思った自分に驚いたことを報告し、ふたりで笑い合う。

内観を、すべての人には勧めない。

内観は、万人に使いやすい方法ではない。

ほかの方法でも、どんな方法でも、
たどり着く場所は、きっと同じ。

幸せに過ごせれば、いい。

自分に合う方法で、幸せになればいい。

たくさんある選択肢のひとつが、内観。

たくさんある方法のなかのひとつが、内観。

屏風で仕切られた半畳の空間に、ひとり。視界も情報も人との交流も制限され、1日、約15時間、ひとりで自分を調べる。

そのインパクトばかりが強くて、そればかりが印象に残りやすいけど、内観という手法の魅力や効果を伝えたい。

7日分のメモを書き出してみたけど、まだうまく説明できる気がしない。

でも、経験できて、良かった。
そう言える7日間になって、良かった!


【2021年5月11日】

夜は眠いし、こんな早朝に起きちゃうし、なんなんだと思ったら、修行の日程と同じだった。


【2024年5月】

3年後のいま、集中内観のことを振り返ることができて、よかった。事実を調べる事。過剰な自責は必要ないこと。それが、いまの私の当たり前として身についている。それが、嬉しい。そして、いまを生きる事。すでにあるものに感謝して、幸せを感じられること。そんな自分になれた事が、誇らしい。内観療法と繋いでくれた縁に感謝しています。

内観は、自己啓発であり、自己治療。
内観の目的は「どんな状況でも幸せだとかんじて暮らせること」。

内観療法の良さがほんの少しでも伝わっていたら、幸いです。

私は、内観療法を受けて、よかったです!


内観療法については、こちらをご覧ください。

おわり

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