見出し画像

うつは脳の便秘、なのかもしれない。

 鬱になると、これまでの思考回路しか使うことができない。反芻思考を繰り返してしまう。気づいては、戻ろう、気づいては戻ろう、の反復。
 苦しい時、人は自らをコントロールできない。臓器で言い変えるならば、苦しい時、人は自分の「脳」をコントロールすることができない。すると、目の前のことに集中できない。注意散漫になる、あるいは、横になって眠ってしまったりする。

 鬱を患っていても、回復期の調子が良い時は、何か情報に触れることは楽しくなってくる。躁鬱傾向のある人は、むしろ、それが楽しすぎて、触れすぎてしまう。
 出会った単語やセンテンスから、無限に、派生する単語や出来事や思い出が増殖する。すると、途端に収集がつかなくなる。スマホやPCに例えると、ストレージが容量オーバーになる感じ。すると、脳から指令が入る。そんなに情報を入れないで、広げないで、と言う安全装置が働く。これ以上は無理なので、身体が動かなくしよう、とする。頭を痛くなるのも当然だ。

 マインドマップで言うと、無数に枝葉が広がっている感じ。処理しきれないのに、無意識で枝葉を広げようとしてしまう。ずっと、広げよう、広げようという勢いのあるモジュールが働いて、いわゆる脳疲労を引き起こす。既知のことを整理したい、という自然発生的な要求だから止められないのだ。

 これは、食べすぎて、お腹が張って動けなくなる、便秘になることに似ている。違うのは、脳は身体に張り巡らされている「リンパ」と言う流れがないこともあり、排出が下手ということだ。血管は通っているので、栄養や酸素は供給される。ただそれが供給過多になった場合の有効な避難方法は、まだ持ち合わせていないのだろう。腸でいうと、下痢という手段を持ち合わせていない。
 身体をフリーズさせる、痛みを引き起こすことで、新たな情報の侵入を防ぐしか、今のところ手段がない。腸よりも成熟度が低い臓器である脳は、防衛が下手なのである。

 あと数百、数千年の単位で、人の脳はどう進化するのだろうか。

 セロトニンは脳ではなく、腸でほとんどが生成されるというし、脳より腸が賢いという医学者もいる。
 それを考慮すると、無理やり排出させためのホルモン物質が、新たに誕生し進化する、とか。
 あるいは、リンパに変わる代替の道筋が作られる、とか。

 脳科学が進歩すると、精神の病の対処法が見つかるかもしれない。ただ私が生きている間は、薬以外の対処法はないようにも思う。
 
 自分の傾向を知り、自分だけの対処法を生み出すしかない。医師も医療や人類の進化そのものを期待するより、それを積み上げ共有し、精査していくことが、未来で苦しむかもしれない人々のために役立つのかもしれない。そのために、noteを使って言語化することは、前に進む1歩になる・・・といいなあ。

 暑さが柔らいで、楽になったので、視点がだいぶ自分から離れた内容になった気がして、自分でほっとしました。笑
 秋はいいですね、心地よい季節を楽しめますよう。