見出し画像

ヤドカリ放浪記2014〜暁嵐の滝編〜

12月9日
AM7:58
ひろきん邸

師走第二火曜日の朝
部屋で目覚める日常と変わらない一日の始まり
味噌汁で胃を温めて行動に移す
AM8:39
外出
チャリに乗り、ヤドカリを停めている駐車場へ
今日は天気も良いし、そんなに寒くはない
行楽日和とは今日の様な日の事を言うんだろう♪
AM8:46
ヤドカリ起動

駐車場に着くと猫のクリが愛車の下で待機中
少し猫と戯れてから出発
クリちゃん大きくなったね〜♪
AM8:58
別府市役所
住民票を取りに市役所
書類を書いて窓口に行くと隣に野上さんが居た
別府は狭いわ
狭いと言うより別府での知り合いが増えたわ
住民票を無事発行してもらって一路南下
大分市に突入する
AM9:47
大分県軽自動車検査協会

愛車の転出・転入届をしていなかったので手続きに訪れる
なんやかんやと一時間ぐらい掛かって手続き完了
北九州ナンバーから大分ナンバーになりました
さてせっかく大分まで降りてきたので更に南下を目指す
新ナンバーになった愛車ヤドカリで臼杵・津久見と駆け抜ける
久し振りのドライブなんで旅心を擽るものがある♪
AM11:53
ノザキ津久見店
大型薬局にてトイレ休憩
ついでに飲料購入
久し振りに愛車に惹かれた方から声を掛けてもらう
う〜ん…旅心を擽る♪
PM12:14
塩湯

佐伯に入り海岸沿い走る
国道217号線を南下すると現れる天然海水風呂入浴施設
実に十年振りに訪れる
隣接する海鮮食事処は人気が高く行列必死の店舗である

でも今回は運良く席に通されたので海鮮丼注文
キビナゴ・鰤・鯵・イクラ・雲丹・海老・ヒオウギ貝・ウチワエビ・漬け鯵・鯛・イカの十一種類のネタが丼狭しと乗っかってる海鮮丼

他の客が頼んだ海鮮丼に乗っていたアジの姿造りの鯵の尾っぽはピクピク動いていて新鮮なのがよく分かったが、俺に運ばれてきた海鮮丼の鯵はピクリもしなければ、尾も心なしか活きを感じられなかった…
イマイチ鮮度は感じられなかったけど、下手に刺し盛りを頼むよりお得な海鮮丼は1200円也
呑みたくなるわ〜(*´ω`*)♪
PM1:00
天然海水風呂塩湯

食事処に隣接する海水を濾過した塩分濃き湯
この日はスチームサウナ側が男湯
水風呂も海水と天然海水にこだわった入浴施設
露天風呂は温かったので内湯でマッタリと交互浴
海水の水風呂だと海水風呂と呼ぶんだろうか?
それとも海水水風呂?
とにかく海水風呂でマッタリホッコリ温まる
PM2:04
鯨の墓

国道217号線から少し山に入ると秘かに建っている鯨を祀る墓
市指定有形民俗文化財
鯨の墓は二基建っており、一つは明治21年のもので,もう一つは明治40年に建立したもの
その昔、大きな鯨が迷い込んで座礁し食糧事情の悪い時代だったのでその鯨を食べて村の皆は救われた
そのお礼と供養を兼ねて墓を建てられたとの事
更にその鯨には子供が居たらしく親を慕ってか何度も子鯨の姿が沖で見かけられた…
村人達は「子鯨が親鯨が墓参りに来た」と言感心したという逸話が伝えられているとか…
ふ〜ん…(´・ω・`)
PM2:08
マリノポリス公園

昭和61年、住みよい生活環境造りを行う事を主眼とした地域造りをと計画された記念として造られた公園
公園内には当時使用された世界初のブンゴソーラーが象徴として設置
敷地内からは初日の出スポットや夕陽スポットとしても人気がある豊後二見ヶ浦の夫婦岩も望める
夫婦岩は高さ17mの男岩と高さ10mの女岩が長さ65m最大直径75cm重量2tの〆縄で結ばれている
大分百景にも選定されている景観らしく〆縄の長さは日本一でギネスブックにも登録されているとの事
公園からは小さくてその迫力は伝わらなかった
PM2:13
浅海井駅

九州最東端の無人駅
その事実を知らず何気に惹かれて立ち寄った
なんか良いスポットだったな〜♪
Fbで上げたら案の定あっきんが食い付いてきたw
PM2:22
地蔵庵

佐伯四国88ヶ所参り86番礼所
鳥居を潜った公園の入り口にお堂がある
本尊は釈迦の入滅後56億7000万年後に弥勒菩薩が出現する迄の間の現世に仏が不在となってしまう為の間、六道を輪廻する衆生を救う菩薩であるとされる地蔵菩薩
とりあえずお参り
安全祈願安全祈願♪
PM2:23
暁嵐公園

高さ約15mの滝を中心に一帯が広場になっている公園
敷地内には日本庭園や石庭・東屋・曲水・神社が配置されている美しい公園である
至る所にスポットがあり飽きる事のない河童伝説の残る心安らぐ空間です
そんな公園に入り少し歩くと〜
PM2:26
瀧三柱神社

1288〜1292年に熊野権現を勧請祭祀された鎌倉時代からある古い神社
祭神には熊野夫須美大神・伊邪那美神・黄泉事解之男神・速玉之男神・家津御美子大神を祀り,事代主命・菅原道真命・菅原道真命を合祀している
神様は留守みたいだけどもとても気の良い神社でした
本殿の背後に聳え立つ断崖絶壁

佇まいに惚れます
また境内の一画には河童を次々と投げ飛ばした河童相撲の人間チャンピオンの孫・孫平の伝説,孫平伝について書かれた説明板と墓が建っている
PM2:32
暁嵐の滝

大分百景の一つ
海岸から僅か500m足らずの位置にある全国的にも珍しい滝らしい
何処ぞかで海に直接流れ落ちる滝を見た事が有るから、この滝がそんなに珍しいとは思えなかったのは此処だけの話w
落差は15m
夏場は滝壺周辺が河川プールとなり子供達で賑わうらしい
う〜ん…あの滝に打たれるのは難しい感じですな〜
しかし見応えのある滝
その美しさに心癒された♪
PM2:35
六兵衛とカッパ像

孫平の爺さんが河童を投げ飛ばしたシーンを表した像
そこには河童の伝説と地蔵踊の由来についての説明板も掲げられていた
更に川沿いには雌河童の像も建っている
水神様や山神様も祀っていて神聖な場所なんだなと実感
良い所だな暁嵐公園♪
PM2:38
石庭

公園内にある日本庭園の一画
京都の龍安寺をイメージした庭と東屋からは滝から流れをイメージした曲水が観られる

もう所々が癒されるスポットやわ〜暁嵐公園
そんな癒し空間であるこの公園ともお別れ
今度は東の春道も歩いてみたいな♪
PM3:02
赤崎地区


佐伯市から津久見市に入ってすぐの四浦半島にある地域
地図を見ていたら観音崎の名前に惹かれて半島入り
港町に入り、喉かな時間が流れる
ネコも呑気に元気に遊んでる
これまあ癒される空間ですな〜♪
しかし観音崎までの道は無く、赤崎小学校で行き詰まった…
仕方なくUターン
PM3:21
大友公園

かの大友宗麟ゆかりの地を整備した小高い丘公園
頂上には展望台があり、津久見市街の町並みが一望出来る
さてお目当ての宗麟の墓は?
幾つかある階段を登り降りしながら探すも見付からず…
あるのは柱が五本…
その一本に大友宗麟の朱印が刻まれているだけだしか併しローマ字でRCと書かれた大友宗麟の朱印って…

ハッ…気付いてしまった
此処は俺のお目当ての公園じゃないじゃん
ややこしいよ(^ω^;
PM3:35
大友宗麟公墓地公園

大友宗麟終焉の地
住宅街の中にポツンとある大友宗麟の墓がメインの墓地公園
此方がお目当ての公園

大友公園があるから此方は宗麟公園の愛称で親しまれている
まったく紛らわしい
キリスト教式と仏教式の墓が二つある

これは珍しいね〜♪
そんな感じでバイバイ津久見
PM4:07
臼杵城跡

戦国時代,大友宗麟により臼杵湾に浮かぶ丹生島に築かれた城址
周囲四kmの臼杵七島の一つである丹生島に作られた海城には三重の天守と31基の櫓が建っていたとされ、重箱櫓と呼ばれる二重櫓が特徴的だった城らしい
別名・巨亀城や金亀城とも呼ばれてたとの事
現在は二ノ丸と本丸跡が整備され公園として利用されている
しかし正面からの外観は当時を偲ぶ石垣や白壁・櫓などが凛として構えている県指定史跡
おぉおぉぉ〜
PM4:08
古橋門櫓跡

太田氏時代に堀に架かられた橋
古橋と呼ばれ始めたのは稲葉氏時代
三之丸から岩礁上の二之丸に入る大手口の門
中ノ門を一の門とする外虎口状になっている
その橋を渡ると有った今で言う警備室の様な見張り台跡
そこを抜けると〜
PM4:09
鐙坂

大友宗麟が造った時代からある坂らしい
クネッと湾曲した石垣に囲まれた坂道は勿論敵の浸入を防ぐ為
この外観が馬の鐙に似ている事からこの名称が付けられた坂
また石垣の途中には大きな崖を切り裂いて造ったらしい壁がある
この坂道の造りが又情緒有るんでないか?
そんな坂道を登り詰めると…
PM4:11
畳櫓

臼杵城の数少ない現存建築物
二ノ丸前腰曲輪の中ノ門前に立ちはだかる二層櫓
二の丸とその手前の帯曲輪の間に位置しており、当時は下から見上げると海に直面していた自然の岸壁に立っており迫力ある構図になっていたらしい
解体修理時に下見坂で隠されて銃眼・隠し狭間がある事が判明
畳櫓という名称は祇園社から見た方角が辰巳だった事から辰巳が訛って畳になったという由来や中に畳が敷かれていたからという諸説があるがハッキリした由来は不明
石垣を背に建ち聳えるその姿は威風堂々とし、その石垣の上には城下を一望出来る重要な井楼櫓跡がある
臼杵城一の規模を誇る大きさの櫓だったが現在は跡形もなく石垣だけが残る
いや〜しかしまだ二ノ丸に入る前だと言うのに見応えのある城址だ
まさかこんな近くにこんな名城があったとは…
PM4:12
時鐘櫓跡

原山時鐘と呼ばれている時報楼
1700年に鋳造
1790年に改鋳され、江戸末期まで刻を告げていたと伝わる鐘
1873年の臼杵城廃城後にこの地に移される
2008年に最新技術を導入した無人鐘突きで約140年振りに原山時鐘は町にゴーンと言う鐘の音を響き渡らした
佇まいは良いけど全自動はないな〜(^ω^;
PM4:13
大門櫓

復元櫓
17世紀初頭に城内通行の便利を高める為に造られたと思われる櫓門
17世紀後半に二の丸居館が出来ると玄関口の様な重要な櫓となった
両脇の石垣は18世紀後半とみられる亀甲積
う〜ん,復元された門とは思えぬほど味があり立派な櫓です♪
PM4:14
二ノ丸

江戸時代,空堀から西側一帯を西の丸とも呼ばれていたエリア
大友宗麟によって建設された臼杵城だがその当時には二の丸の姿は明らかにされてない
しかし近年の発掘調査では1557年・1588年の火災で焼けた土層が確認された
1588年の火災層からは瓦が一枚も出土されていない事から瓦葺き屋根造りでは無かった
また壁土に漆喰を用いていた事等が判明の他、景徳鎮製の青花磁器や赤絵金襴手碗など多くの高級陶磁器が出土している事から大友時代の城主居館が存在していた事が伺える
大友氏改易後、豊後国政権恩顧の大名である福原直高や太田一吉らが相次いで入城
これ以降、臼杵城は織豊系城郭と呼ばれる石垣や天守櫓等の豪壮な造りを重んじる形式へと変化していったと考えられる
その後、1600年の関ヶ原合戦直後,美濃国郡上八幡から転封してきた稲葉氏によって更なる改修がされる
大門櫓・帯曲輪や今橋口等もこの時に整備された
更にその後の1676年当時の藩主・稲葉景通が本丸から二の丸に御殿を移してから此方が城の中心的機能を担い明治維新まで使用された
二之丸御殿は書院造を基本とした棟をつなげた構造をしていた事が残されている絵図から分かる
そしてその空間は表と裏に分けられ表空間は大書院・小書院・御居間等の大部屋が見える
此らは政務遂行や年中行事などの儀礼に使われた空間と考えられ御居間に近づく程より限られた身分の者しか出入りできなかったと考えられる
奥空間には御内所と呼ばれる藩主らの部屋があり藩主とその家族の日常生活の場として湯殿・御仏間等の藩主プライベートな部屋も見える
御殿の奥には池や築山・石の輪橋等の配した庭があって北側には凌雲と呼ばれる茶室が造られた時期もあったとか…
そんな二の丸
PM4:16
大友宗麟公碑

九州六ヶ国の守護職から九州探題職となり九州随一の覇者として内外にその名を高め1562年には丹生島に城を築き、臼杵から天下に号令を下した武将大友宗麟
この時から臼杵は名実ともに政治経済の重要地として注目を集める
宗麟はキリスト教を信じポルトガル、イスパニア等との交易を開き当時,臼杵は往来する外国船や城下町に集う外国人などで賑わい国際都市として発展
その宗麟の偉業を偲んで1937年郷土出身の彫刻家・日名子実三氏によりブロンズのレリーフが製作
城跡に建設されるが第二次世界大戦での軍事資材として政府に献納
しかし1982年に京都嵯峨美術短期大学の辻浩氏の手によって復元
脇には佛狼機砲碑が建っている
フランキー砲だってw
因みに日本初の大砲だと伝わっている
PM4:17
臼杵護国神社

御祭神に稲葉貞通並び歴代藩主と国家公共に尽くした人の神霊を祀る神社
1878年創立の招魂社と1879年創立の稲葉神社が1960年に合祀され臼杵護国神社となる
1877年の西南の役で薩摩軍が臼杵に侵入した際,旧臼杵藩士・日下東命らが臼杵隊を組織して防戦したが破れ43名の戦死者を出す
1878年6月,有志が戦死者の霊を祀る為に臼杵城址に創建したのが招魂社
以後、臼杵町に本籍がある者あるいは縁故がある者で戦時又は事変で戦死し、靖国神社に奉斎された者全てを合祀
また市制施行により合併した旧六ヶ村の戦没者も合祀により1939年4月、臼杵護國神社となるが1945年の終戦後は招魂社と称する
一方,稲葉神社は稲葉家の旧臣が臼杵藩祖・稲葉貞通と歴代藩主の霊を祭祀するため建てられた
1879年11月に勧請式を行ない稲葉神社と公称
現在の建物は旧稲葉神社のものとの事
PM4:21
儀太夫前櫓跡

二之丸の中央,整備されたグラウンドの南端にあった櫓跡
現在はその地に推定樹齢150年のモミの木が二本並ひ聳え立っている
聖夜の季節になると二本のモミの木はイルミネーションが点灯される
2002年には日本一大きなクリスマスツリーとして認定されたらしい
また土台を支える石垣は現存するもので石垣から伸びるクリスマスツリーはある意味見物だ
PM4:24
本丸

江戸時代,二之丸と本丸の間の空濠から東側一帯を指すエリア
大友氏時代には本丸がどのような姿だったのか二の丸同様明らかにされていない
江戸時代の二之丸よりも標高が低いところにある為、大友氏の時代本丸敷地が二の丸だったと考えられる
1600年、関ヶ原合戦後,稲葉氏が城主となるが初代藩主稲葉貞通と後の二代目藩主稲葉典通は本丸防衛の為、空堀を整備し、二の丸方面から本丸の入口に渡る土橋の出入口を固めた
空堀は天守櫓から見下ろす位置とし二の丸からの進入に備えた
現在はただの広場
PM4:25
天守櫓跡
発掘調査によって初めて天守櫓が造られたのが豊臣秀吉配下の福原直高が臼杵城主であった1594〜1597年頃である可能性が高い三層四
重の櫓
その後、稲葉氏により天守櫓が修理された記録が残る
1655年の修理は大規模なものだったようで天守櫓本体だけでなく、本丸の北西隅部の付櫓がそれぞれ独立的に建てられたものをすべて櫓でつなぐように改築された事が江戸時代の臼杵城絵図と発掘調査の成果から判明
天守櫓がどのような形状であったかは正確な図面が残っていない
一階の平面が6間四方で土台部分から最上階までの高さが6間1尺だったことは記録に残っており,豊臣時代の雰囲気をよく伝える石垣である
また天守台石垣の角石・築石は,その表面を特に加工せず、ほぼ石山で割った状態のまま積み上げる野面積み
非常に頑丈な造りの石垣である
これに対して臼杵城内に現存する石垣の大半は天守台が造られた後の江戸時代に積まれたものなどで,ほとんどが天守台石垣の積み方と違い築石の表面だけでかみ合わせる積み方が多く見られる
PM4:27
亀首櫓跡
丹生島に建てられた臼杵城は別名・巨亀城と呼ばれていた
その別名のあやかりからか名付けられたと推測される櫓跡
と言うことは大門櫓が尻の方になるのか…
うん、確かにあの鐙坂は尻尾ッポイな
PM4:29
井戸丸
寛永年間に掘られた井戸で深さは10m以上
1950年頃までは大きな木製の滑車が付いていて水を汲んでいたが現在は使われていない
この井戸は水量も豊富で海に近いにもかかわらず真水が湧いている
搦手口と呼ばれる城の裏門・卯寅口すぐの場所にある
その為,井戸丸と呼ばれていた
城に井戸は重要だもんね〜♪
PM4:30
卯寅口門脇櫓

本丸・二之丸があった場所はかつて丹生島と呼ばれ、周囲を海に囲まれていた
卯寅口には海へ通じる卯寅口門や階段が設けられていた
緊急時は此処から船を出して海へ脱出する事を考えていた
そんな裏門に建てられた外観二層、内部三重の外壁は漆喰下見板張りで屋根は切妻屋根の櫓
現在の櫓は棟札から1854年に建てられた事が判る
17世紀前半の城絵図には既にその姿が描かれていることから江戸時代の間に何度か建て替えられたと考えられる
1676年頃の本丸御殿指図を見ると御鉄炮薬櫓
と記されており,火薬倉庫としても使われていたらしく、その機能も時期によって変わっていった櫓
現存する二基の櫓の二つ目である
もちろん見応えのある遺物です♪
PM4:32
卯寅稲荷神社

卯寅口からの百本鳥居の先,卯寅口門脇櫓のすぐ側に建っている神社
この神社は大友宗麟が築城に際して丑寅口が城中の鬼門にあたるため城の地主神・丹生島明神を祀ったのがはじまり
大きな狐の面が社横に祀られている
PM4:37
野上弥生子文学碑
フンドーキン醤油の創業家に生まれ,14歳の時に上京し明治女学校に入学
夏目漱石門下の野上豊一郎と結婚後,ホトトギス・縁を掲載して作家デビューした野上弥生子
法政大学女子高等学校名誉校長も務め「女性である前にまず人間であれ」の言を残す臼杵出身の作家
これは第三回女流文学賞を受賞した野上弥生子を讃える碑
更に西南戦争で戦った臼杵隊の慰霊塔など、先人功績碑等も中央グラウンド脇に並び建っている
PM4:39
上ノ門跡
今橋口から伸びる坂の先に建っていた門跡
上ノ門の先には稲葉氏以前は大門櫓前から天守下の空堀にいたる帯曲輪を通って本丸・二の丸に上がっていた道がある
PM4:40
着見櫓跡
着到櫓や到着櫓とも呼ばれる将兵の到着などを確認する為の物見櫓
主に門の近くなどに建てられた櫓で同様のもので海に面した城にのみあるが海の様子を観察する潮見櫓という櫓もある
PM4:54
臼杵市観光交流プラザ

臼杵を訪れる観光客が最初に立ち寄る場
市民も集い交流できる中心市街地のにぎわいの場をコンセプトに中心市街地整備の集大成として整備を進めてきた施設
時間が時間なので臼杵観光は断念せざるをえないが次回の為に資料を集める
二階では竹井友輝マンガ展なる不思議な展示会が行われていた
漫画らしいが独特な世界観に表現
併し題材がマザコンとは…
PM5:17
龍原寺

浄土宗総本山知恩院末
1600年創建,後陽成天皇の御字慶長五年
当寺開山円誉上人は領主の船長南興大夫の便船にして下向あり、上人の高風を慕い乞により其の家に留錫す
領主の稲葉右京貞通公は上人の高徳に感じ龍ヶ渕を埋め一字を創建せり
そんなお寺の境内には臼杵が誇る三重塔が建つ
臼杵が生んだ名匠高橋団内が奈良や京都の古寺を巡り古い塔の長所をとり入れた理想的な三重塔の図面を引き,それを基に弟子の坂本荘右衛門が監督し塔を完成させた
工事は1848年から10年の歳月をかけて行われ、1858年に竣工
総高21.8m
九州でも数少ない江戸時代の三重塔の完成である
内部には聖徳太子の像が安置されているらしい
そんなこんな臼杵観光
さて帰りますか♪
渋滞の中帰路に着く
PM5:56
すき家197号大分庄境店

何となく小腹が空いてきたので牛丼で腹を満たす
久し振りに牛まぶしにして食べる
サラサラッと口に運ぶがお茶が濃かったから
何となくだけど胃が大きくなってきてる気がする…
PM6:44
ドンキホーテ
何となくだけど寄ってコスプレコーナーを物色
関東のドンキと品揃えが全く違うが他の品を物色するとそこそこ欲しい物がチラホラ…
だけど節約♪
PM7:37
ヤドカリ駐車場
予定より早く帰還
辺りはスッカリ暗くて、クリちゃんの姿はない
PM7:45
ゆめタウン
食事はすき家で済ましたが晩酌する為に立ち寄る
半額惣菜狙いだ
この日も良いのが買えた
やっぱマルミヤよりゆめタだよね♪
PM8:24
帰宅
無事帰り着く
予定ではもっと遅くなる予定だったのだが早く帰り着いたのでマッタリ晩酌
一日を振り返りマッタリ晩酌
思い付きで行き当たりばったりな放浪だったけど美味しい物食べれたし,風呂入れたし,石垣観れたし,そこそこ長距離運転で楽しかった
やっぱり俺にはこんな生活が合ってんだな〜♪
とりあえず台湾行きたい(*´ω`*)

いいなと思ったら応援しよう!

松川紘己
よろしければサポートよろしくおねがいいたします クリエイターとしての活動費にしたいと思います

この記事が参加している募集