Amsterdam 僕の好きな街、運河そして自転車
何か気の利いたことを書けるイメージが届く迄、寝かすことがある。
なんとなく書いておいて、言葉を繋いで繕うのさ。
ここからはオランダのアムステルダムの街で過ごした話をシェアしていくね。
こんばんは。最近寒いね。僕はこたつを出しました。
the U.K.編お付き合いいただきましてありがとうございました。
新しい旅をしよう。僕なりの西ヨーロッパ、そして東ヨーロッパへ向かう旅になります。
旅をしたり、本を読んで勉強をしていると、自分のケツの青さがとても良く分かります。散々旅をしたと思っていたけれど、全然いけていない場所の方が多いし、知らないことも山や温泉の数ほどある。
街の歴史や、川の名前。興味があることをあげたらきりがなくなる。
今日は本編少し長いので、早速いきましょう。
旅の青年はロンドンから、アムステルダムへ転がってきました。
Western Europe countries Netherlands-Italy編
Kingdom of the Netherlands オランダ王国
Amsterdam 僕の好きな街、運河そして自転車
早朝、辺りはまだ闇の中、電車は動いてるんだろうか。
最初の駅の名前も忘れた。ホームにも誰も居なかった。グーグルマップを見てもそこがどこだかわからない。そこがダイフェンドレヒト駅だったって事は後になって知った。
とにかくアムステルダムセントラル駅へ行ってみよう。
泣いてもないのに。悲しくもないのに。カメラのレンズの向こう、ライトが乱反射して滲むよ。
おっと、こっから西ヨーロッパ編スタートしてた。12月20日くらいからちょうど三ヵ月! そうジャスト三ヵ月だったんだよイタリアから出るのが。ずっと緊張感あったんだ。瞬間を生きてるって奴。オランダ。一瞬ベルギー、フランス、イタリア、バチカン。
そんなこんなで、アムステルダムに着くわけで。運河に街灯が反射してさ、なんとも風情がある。
明けきらない空はここでも群青色してて、ぼわっと街を包んでた。
アムステルダム駅の前には大きなクリスマスツリーがあった。とうとうシティセンターに着いた。さて、WI-FIに接続しなきゃやってられないぜ。
WOWっていう比較的安いバックパッカーズホテルをネットで見つけてとりあえず泊まりに行くことにした。ダメもとで数日。
WOWは朝食会場がめっちゃでかかった。そこも宿泊料金に含まれてたからめっちゃ食った。それで昼めし代を浮かせている間に次の目的地を探すんだ。
駅から電車に乗ってそこまで歩いた。僕は若いしまだまだ歩けた。だるくて、疲れているくらいが居心地よかった。
WOWはやたらと広くてお洒落だったなー。オランダのカルチャーがぎっしり詰まっている感じがした。また泊まりたいバッパーだったな。
すぐにはチェックインできなかったからそこの周りを歩き回った。幸い近くにレンブラント公園があったので気晴らしに散歩。緑が綺麗な所だね。天気も良かった。それにしても寒くなったもんだ。
俺はアムステルダムが好きだ。
アーティスティックな公園の芝生には、なにやらキノコも生えてるし、川のすぐ横にベンチと民家みたいのもある。
さて、しばらくしてチェックインし、充電やら情報やらなにやら整えた後、街に出よう。部屋も広くて楽しかったな。
どこにも行く宛てがないアムステルダム初日。このまま一人で年越すのも寂しいぜ。
どこに行こう。働きてぇな。
まずはアムステルダム駅に戻る、そこから開拓だ。駅前の地図を見る。どこに行こうか気分に任せて足の向く方へ。
どこに行こうにも全部が新しいと興奮する。
運河に架かる橋の上、小さな岩の畳の上を歩いていた。いっつも運河の脇を歩いてた様な気がする。
道の脇には自転車が並んでる。
小さな街なんだよアムステルダムって。群がる群衆にはぐれないように歩く。みんな冬服着てる年の瀬、季節はいつの間にか冬。
新しい国、人々は慌ただしく街を歩く。しかし、やたらと運河がある街だ。
セントラル駅の真ん前に大きな道が開けてる。そこはトラムが走ってるメインロード、その脇を固める大きなビル。並ぶショッピングモール。
鼻から吸い込む空気も澄んでてうまい。ぶらぶらと歩く、金はないし、かけられないから適当に歩く。
メイン通りを歩いてきたらダム広場に到着した。なにやらイベントが行われてたみたいだ。
運河の脇に停まってる小さなボートも誰かのもの。均等に植えられてる木はみんなのもの。
アムステルダムの街は運河と自転車と石畳を包み込む。
トラムを追いかけて街を歩いた。
誰からも連絡が来ないと思っていたんだけど、ある日たぶん着いてから二日目とか割と早い段階で一件連絡してくれた人がいた。イルマさんだ。この人にはめっちゃお世話になる。そうだ、俺が住み込みで働けるところを探してた時、連絡をくれた。俺が「宿を3日予約してるから、その後行っていい」って聞いたら、いいよって言ってくれて、まずはお家にいらっしゃいって受け入れてくれた。
そこでいろいろ話してコーヒー飲んでとにかく打ち解けて。一回話しちゃえば俺のもんだから、そこで住み込みで働けることになったんだ。これが俺の「コミュニケーション能力初級」の腕前なんだ。
そこからはもう激動の毎日。アムステルダムでの過ごし方も聞いたし、どう働いたらいいかも聞いた。イルマはそこで「エアビー」やってて俺はそこのヘルパー。でも、全然お客さん来なくってとりあえず家の掃除とワンちゃんの散歩。たまにカレーを作るっていう感じだった。
イルマに気に入ってもらったその次の日、俺の事をWOWホステルまで迎えに来てくれた。そっから居候生活の始まり。
イルマはすごくいい人でさ、超感謝してる。とにかくアムステルダムの端っこのガースパープラス駅まで移動。俺ってラッキーだと思う。ここまで決まるのに不安って全然感じなかったし、何なら俺のしたいように世界は助けてくれるって思っていた。
イメージしたことが現実に起こるんだ。希望を絶やすなよって感じで、時間が教えてくれた。最初っからうまくいく事は俺は決めてた。だからじゃん、超うまくいってた。
旅を続けてると落ち着いて生活がしたくなってくる。仕事してお金稼いでってのをやりたくなってくる。しっかり手続きさえしていれば日本人はオランダで働ける。それには「住所登録」とか、「銀行の口座」が必要なんだけどさ、そういうのも全部イルマに手伝ってもらった。いやぁ、まさに恩人だね。
イルマの家にはもう一人イタリアンのピエーロが住んでいて、こいつも俺と年近くていい奴だったなぁ。クロアチア人の彼女がいて超綺麗だった。
たまに一緒にベランダのソファに座ってコーヒー飲んで話したなぁ。暖かい家だったぜ。
俺あそこのベランダ好きだ。なんていうか。どう説明したらいいの。なんかバリみたいな。遠くに湖が見られて林も広場も平らな道も見られて、雨も雪も雲も空も見えた。
ネパールの山の上にたなびいてる様なカラフルな三角のフラッグもあってピースな雰囲気だったのさ。適当に汚れてて隆宏の家くらいだらだらできた。旅の中のつかの間の休息。
それでも俺は働きたかったから銀行へ行ってイルマの住所で口座を開設、住民登録所にも連れてってもらった。その後はレストラン街をノックして回る。直談判だ。仕事くれ、働くぜ。履歴書を渡して回る。それと同時に観光も、クリスマスにはイルマの家でみんなでパーティーをやって楽しく過ごせた。俺はちゃっかりサンタの帽子を仕込んでる。
仕事が見つかるまでは広場でバスキングをして少し稼いで、手から血出してバキバキになってたけど、それが痛気持ち良かった。結局俺がバスキングした町はオーストラリアと、UKとアムステルダム、そんな感じ。
今頃ヒューゴは東ヨーロッパのアルバニアのバッパーで働いてんだな。
それぞれの生活があって絶妙なタイミングで交差する。それが日本だけか、世界中かそのくらいの差でしかない。どこにだっていい奴も悪い奴もいる。
ガースパープラスのイルマの家から始まったアムステルダムの出だしは最高だった。仕事見つかるまでは超暇で、街歩きしながらレストランに直談判して回ってたんだ。年末年始はそりゃすごいことになった。
イルマの家に泊まりに来たフランスの若い兄ちゃん達と街に出てカウントダウンの花火を一緒に見た。これが打ち上げじゃなくてそれぞれがもってるロケット花火をそれぞれで打ち上げて祝うっていうクレイジーな祭りだったから、もう街はカオス状態。
ダム広場を埋め尽くす煙と人々。めでたくてみんなでダム広場にいた。みんな終わって帰って、そっからナイトクラブ行ってダンスとお酒飲んで遊んでた。
もう年が明けてて2016年を迎えていた。激動の2015年は過ぎてった。最高にラブリーでピースフルだった。ずっとこの時期の事は好きだと思う。
新しく年が明けて新しい旅が始まる。ヤングソウル、ゆっくりと旅をしよう。
直談判しまくって、どうやってか俺は仕事を掛け持ちするようになってて、シティセンターまで週4くらいで通っていた。オランダレストランで仕事がない時は、インド人が経営する小さな日本料理屋で働いてた。インド人全然経営うまく出来てなかったから、店はもう潰れてそう。「社員になってくれるんならオランダのビザ出すよ」って言われたけど、違うと思って受けなかった。俺には出来なかったし、今じゃないし。インド人いい人だったけど、適当過ぎた。
アムステルダムの生活は充実してたし、ちょっとずつまた資金も溜まっていった。マイナスが極力ない生活ってのは安心する。
だいたいいっつも働いていて、休みの日には家の手伝いするって感じのサイクルが出来てきて一ヵ月くらい経った。ちなみに二週間目くらいにはもう働き始めてたと思うから、いい具合だ。
ダム広場の周りを歩いたり、骨董品が売ってるフリーマーケットに行ったり、レッドライトを観に行ってみたり。しばらく安定した生活をしてた。
出たよ緊急事態宣言。満月から次の満月まで。この頃は何も考えてなかったけど。いや、考えてた。絶対。今やらないとできなくなるって、今に全てを注いでたんだ。だからさ、ほら。とにかく、もう。
アムステルダムには可愛い店がいっぱいある。昼間は静かなレッドライトディストリクト。オランダのアムステルダムの風俗街、所謂「ガラス窓」、その中でエッロい女の子が手招いてんだよ。こっちこーいって。運河の周りにずらーっとあるんだ。レッドライトの中に消えていきたい気持ちがわかるぜ。観光客も普通に歩いてて、石畳におっぱいを形どったもんもある。
年始、寒かったなぁ。俺はいつも同じ服を着てた。
運河の脇に家建ってんじゃん。そこの屋根は少し外側に傾いてるんだって、それで船をなんだ。持ち上げることに使うんだってさ。どこの路地も雰囲気あって、粋だったなぁ。中華街もよく歩いたなぁ。アジアンマーケットがあってさ、ちょっと高いんだけど、日本食が買えるんだよね。コーヒー飲んでたりしたカフェもある。
アムステルダムの運河沿いの何でもないベンチに座ってたい。何にも焦ることなく。平和にのんびり時を過ごしたい。今も出来てるけど、もっとそうしていたい。ゆっくり、リラックス、贅沢かな。
一回、緊急事態宣言のLIVE見てくる。あ、さっき緊急事態宣言出たよ。これで何かが変わっていく。もう過去には戻れないんだから。
それでも空は青い。さっき窓から満月を見た。不思議な感じがした。なんかね、蒼い光が見えたよ。目がぼやけてただけかもしれない。なんか、月が生きてるみたいだった。
今も働いている方々に少しでも助けになるようにしばらく家を出ていない。毎日メディテーションしてる。まさかさ2015年が古くなるなんて思ってなかったよ。俺はいつも旅の延長にいたし、居たかった。これはもう希望で、時間は過ぎ去っていって旅の神は今頃誰かの背中にくっついてる。あの時は俺にツイてたんだけど。今までもこれに向き合ってきた時間もそんなになくて。でもいつも心にはあって、早く書き終えたくてそわそわしてた。
何だったんだろうあの感じ。LOVE MEだね。音のない静かな時間を過ごしてる。集中するんだ。考えろ。自分の頭で。どこにも行けない。
好きな街にはいい思い出も一緒にある。ここにもそう。
朝から働いてたオランダのフィッシュバーにはたくさんの従業員がいて、俺はキッチンハンドとっていうか、ほぼほぼ洗い物。シーフードで汚れがこびり付かないからシドニーのボンダイビーチの「ハリケーン」よりは働きやすかった。一緒に働いてた人達もいい子達が多かった。
パキスタン人のあいつはいい奴だったけど、ずっとキセルしてダム広場近くのレストランまで来てたんだ。後、スリランカのちっさい奴。あんなインターナショナルな職場でよく俺働けたよな、マジ奇跡。従業員は50人くらい様々な国の人達いたけど、日本人はいなかった。
料理長のイヴォはとっても理解のある人だった。
朝、8時から働いてたから、6時くらいには起きてた。それともう一つのインド人の日本料理屋。それとイルマの所。
そろそろ4日間の休みでパリに行く。
パリかぁ。それが2月だから、その頃にはローマ行くって決めてたからそうだな。盛り上がってる時だね。じゃあ1月はもう寒かったけど、たくさん働いてた時だ。
ジェットコースターみたいな人生だ。
たまの休みの時に公園とか、ミュージアムとかに行ってたんだよね。イルマにヒッピーが住むやばそうな所にも連れってってもらったなー、俺も車運転したりして。ゲルも一緒に作ったし、わくわくしっぱなしだった。
明るい空が開けてていい街なんだ。地面が低くて平らなんだオランダは、だからみんな自転車こいでる。
「運河の中には自転車がたくさん落ちてる」んだって、これはオランダのギャグ。
ガースパープラスの街が懐かしい。安全そうなアムステルダムの外れの小さな街。自転車で駅まで行ってた。湖もあって何度もヴィッキーと散歩に行った。
なんにもなくても心が満ちてれば幸せなのにね。
アムステルダムはとにかく自転車とバイクの多い街。トラムもあって、運河には船が行き来して、街が生きてるって感じてた。
パリでの旅を書いてからまたここに戻ってくる。
アムステルダム滞在中に旅行で行った感じだからさ、ちょっと行ったり来たりしちゃうけど、そこは察してほしい。
編集後記
編集後記に何を書こうか。
もう本編が満ちすぎてて満足してるよ。
何か気になったワードがあったら、長押しするか、ダブルクリックするか、ドラッグして右クリックするかして調べてみてください。その方が俺が説明するよりたくさんの情報にアクセスできるよ。
そうか、彼はオランダで働けるを試したんだったね。
日本とオランダは友好関係あるからなぁ。
オランダジェーピーさんから引用させていただきました。
あら。そうなんだ。もう変わってますよ。早いですねー時代の変化は。
日本はとてもゆっくりとしか変われないのに、オランダは早いや。
WOWホステル好きだったんですよ。あるかな。
あったー。とにかく広くてゆったりできたよ。
ちょっと中心地から離れてるけどね。
アムステルダム最高だったな。
コミュニケーション能力初級ってなんだよ。笑わしてくるな、彼。
これかなぁ。今、いろいろあるんですね。
彼、旅に出る前にいろいろ勉強して、実践しながらの英語修学旅行してたからなぁ。ほっとくともっと勉強しちゃうぞ。
Airbnbはみなさんご存知だもんね。
オランダの人達って英語上手に話します。テレビでイングリッシュが普通に流れてました。ネイティブが話す英語より聞きやすかった印象があります。
これって本当に人や場所によってえらい違うんで一概に言えませんよね。
試しに一緒に勉強してみよっか。
こんなところかな今日は。
次回はベルギーをバスで通り過ぎたってだけの短い話があります。
超短いので、どう取り繕うか考えてます。
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