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阿多棒庵
2024年10月30日 19:19
令和でいうと、激辛の紅鮭寛政12年8月12日。薄曇りで、昼ごろに雨が降りました。しばらくして晴れた。夜中にまた雨が降りました。毎年恒例の仕事です。鮭の塩引き(塩の中に保存した超辛い鮭)を引き上げるため、奉行から命を受けました。小本(岩手県下閉伊郡岩泉町)には「摂待太右衛門」、市川(場所不明)には「小向次郎左衛門」が今日の担当者になれ!と命令を受けました。御扶持方(食糧
2024年10月26日 09:02
盛岡藩主・南部重信の厄払い延宝5年8月11日昨夜から大雨が降り続いています。「櫛引八幡宮」の祭礼が、15日に行われます。神酒(おみき)2樽を、八幡三位(僧侶の地位)の僧に託して、送り届けてもらいました。取次役(神事の手配・担当者)は、「高橋惣左衛門」が務めました。大殿様(南部重信1616〜1702)の、厄払いと立願(神仏に願いを立てること)について、永福寺の先達(導師
2024年10月22日 23:11
蔵の管理について御土蔵(蔵の管理や財産)に関して、今日、「野辺地井右衛門」を通じて殿様に報告します。しかし、殿が御下向(お出かけ中)の場合は、老中(高位の役人)に伝えてください。老中が殿に話しておきます。ちなみに、殿は12日に江戸に行く予定があります。雲雀は鷹の餌昨日、武士や高位の役人たちに、雲雀を送りました。贈り物を届ける担当者「米内孫兵衛」が無事に、直接彼らに届
2024年10月19日 15:47
鉛を発掘したので税金を払う延宝5年8月9日 曇和賀郡 沢内山(現在の和賀郡西和賀町沢内新町)に住む「仁左衛門」は、鉛を運び出す「鉛御運上申請」をしました。◎これは、鉛を採掘し、その一部を税として納める手続きを申請したことを指しています。江戸時代、鉱物資源は藩にとって重要な収入源であり、特に鉛のような金属は価値が高いため、藩への貢納(運上)という形で税金が徴収されました。鉛200貫目
2024年10月13日 16:44
お酒のつまみをプレゼント「隆高院殿」「貞心院殿」は、◎この2人はおそらく大殿様である「南部利幹(なんぶ としもと)」の身内か高貴な人物だと思うよ!大殿様がご下向された(高貴な方が特定の地に訪れた)ことを祝うために、一樽の肴(二樽)一折の肴をそれぞれ贈呈されました。◎肴とは、お酒のつまみ、魚や珍味のことだと思うよ!樽に入れたもの・折り箱に入れたもの、それぞれを大殿様にプレゼ
2024年10月10日 21:22
鹿角の境界線鹿角(秋田県)で、論山(領土の境界を定める山)の塚(境界を示すための塚)の工事が完了しました。監督者である「出石源兵衛」と「臼井仁右衛門」が、昨日、鹿角から帰ってきて、今日、上役にその完了を報告しました。高価な献上品「御鶴(おんつる)」「御児鶴(おこづる)」という特別な鶴2羽を、「兵助」が拝領(目上のひとから受けとること)しました。そのお礼として、「右近」が