マガジンのカバー画像

盛岡藩雑書 四巻

49
延宝5年1677年〜盛岡藩の藩政日誌を現代語訳。 当時の風景はChat GPT 4oが作っています。
運営しているクリエイター

2024年10月の記事一覧

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月12日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月12日】



令和でいうと、激辛の紅鮭
寛政12年8月12日。

薄曇りで、昼ごろに雨が降りました。
しばらくして晴れた。
夜中にまた雨が降りました。

毎年恒例の仕事です。
鮭の塩引き(塩の中に保存した超辛い鮭)を引き上げるため、奉行から命を受けました。

小本(岩手県下閉伊郡岩泉町)には「摂待太右衛門」、市川(場所不明)には「小向次郎左衛門」
が今日の担当者になれ!と命令を受けました。

御扶持方(食糧

もっとみる
盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月11日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月11日】



盛岡藩主・南部重信の厄払い延宝5年8月11日

昨夜から大雨が降り続いています。

「櫛引八幡宮」の祭礼が、15日に行われます。

神酒(おみき)2樽を、
八幡三位(僧侶の地位)の僧に託して、
送り届けてもらいました。

取次役(神事の手配・担当者)は、
「高橋惣左衛門」が務めました。

大殿様(南部重信1616〜1702)の、厄払いと立願(神仏に願いを立てること)について、永福寺の先達(導師

もっとみる
盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月10日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月10日】



蔵の管理について御土蔵(蔵の管理や財産)に関して、
今日、「野辺地井右衛門」を通じて
殿様に報告します。

しかし、殿が御下向(お出かけ中)の場合は、
老中(高位の役人)に伝えてください。
老中が殿に話しておきます。

ちなみに、殿は12日に江戸に行く予定があります。

雲雀は鷹の餌昨日、武士や高位の役人たちに、
雲雀を送りました。

贈り物を届ける担当者「米内孫兵衛」が
無事に、直接彼らに届

もっとみる
盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月9日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月9日】



鉛を発掘したので税金を払う延宝5年8月9日 曇

和賀郡 沢内山(現在の和賀郡西和賀町沢内新町)に住む「仁左衛門」は、鉛を運び出す「鉛御運上申請」をしました。

◎これは、鉛を採掘し、その一部を税として納める手続きを申請したことを指しています。江戸時代、鉱物資源は藩にとって重要な収入源であり、特に鉛のような金属は価値が高いため、藩への貢納(運上)という形で税金が徴収されました。

鉛200貫目

もっとみる
盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月8日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月8日】



お酒のつまみをプレゼント「隆高院殿」「貞心院殿」は、

◎この2人はおそらく大殿様である「南部利幹(なんぶ としもと)」の身内か高貴な人物だと思うよ!

大殿様がご下向された(高貴な方が特定の地に訪れた)ことを祝うために、

一樽の肴(二樽)
一折の肴

をそれぞれ贈呈されました。

◎肴とは、お酒のつまみ、魚や珍味のことだと思うよ!樽に入れたもの・折り箱に入れたもの、それぞれを大殿様にプレゼ

もっとみる
盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月7日】

盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年8月7日】



鹿角の境界線鹿角(秋田県)で、論山(領土の境界を定める山)の塚(境界を示すための塚)の工事が完了しました。

監督者である「出石源兵衛」と「臼井仁右衛門」が、昨日、鹿角から帰ってきて、今日、上役にその完了を報告しました。

高価な献上品
「御鶴(おんつる)」
「御児鶴(おこづる)」という

特別な鶴2羽を、
「兵助」が拝領(目上のひとから受けとること)しました。

そのお礼として、
「右近」が

もっとみる