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 形あるモノは、いつかは劣化をする。 年を経れば、その時の時点での自分の嗜好や趣味などは、変化をしていると気付く 

 

 今日は。


 先日、かつて私が一軍で履いていた靴が、断捨離中に出てきた。



 かつての私が当時愛用をしていた、お気に入りの靴だった。
 しばらくの間しまい込んでいたら、経年劣化をしていた。


 当時の私が気に入り、愛用をしていた靴だ。
 その靴を見ると、当時のことを思い出したり、思い返したりなどをする。



 当時が懐かしかったりもする。



 今、世の中は物価が全体的に上がっている。
 仮に同じ形の、自分が気に入った靴を新しく買ったとしても、値段がかなり張る。



 そこで、かつて一軍だった靴の手入れをすれば、また一軍にできそうだった為、靴屋さんに問い合わせてみた。



 その結果はというと……


 

 修理の値段が高い!  
 靴の経年劣化をした部分の修理や補修などが、必要であることが分かった。

 それに今の物価高で、靴の修理代がかさむことも分かった。




 靴の修理の値段を聞いた私が、修理をしようかどうかを迷っていると、靴屋さんの店員さんが、私に言った。




 
「後はこの金額を出してまで、一軍で履き続けるかどうかではないですか?   モノにも、靴にも、寿命や劣化は必ずありますし」





 店員さんに言われたことに、私ははっとさせられた。



 かつての私が好きだった一軍の靴を、高い修理費を出してまで、今の自分はこの靴を、これからも一軍の靴として履き続けるのだろうか?
と。


 
 その時の私の中の答えでは、
「ない」
という答えだった。



 だが、人も時代も、世の中も、モノ達も、確実に時が経てば変化をする。



 だが、今の自分が、修理をした靴を一軍に昇格をさせ、またそれを履き続けるようになるだろうか?




 高い修理代を払ってまで、今の私はこの靴を手元に置き、履き続けるのだろうか?



 

 今の自分の断捨離の勢いや、自分の直感などで靴を捨て、後悔だけはしたくはない。
 だが、私がかつては一軍で履いていた靴だ。



 自分と向き合い、冷静に判断をしたいと思う。



 カレン本にも書いてあったように、ガラクタにはしたくはない。



 また私は、自分のガラクタやモノ達は、母のコレクションと同じようにはしたくはない。




 そういう視点などから見ると、母は私の断捨離などの反面教師になるのかもしれない。


 

  皆さん。 今日一日、お疲れ様でした。
  そして、いってらっしゃい。


 


 


 

 

 

 


 
 
 






 


 



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ひかり @モノ屋敷の実家を、絶賛断捨離中。同時進行で、汚部屋とモノ屋敷の部屋の脱出を目指し中。
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