密教という、巨大な「真意」を追求してみる@苦行するだけで、それが描けるのか、実践的に考えてみるのだ。 講座「仏教と日本の関わり」はいかに?その4
最澄にとっての「密教」のスタンス
ただ、「密教」に関して言えば、
最澄はその前提において、役小角や空海には及ばないのが
彼の置かれた状況では致し方ないものでした。
ですから、最澄はやがて、密教の正統を
丸ごと継いで唐から帰国した空海を
「密教の師」と仰ぐことになるのです。
しかしながら、最澄は当代最高の学僧です。
真に会得し空海と同じレベルに達するには、
前行も含めてそれに充てる時間が少ないほど
多忙の身であったのです。
密教教典を、最澄の求めに応じて快く貸してきた空海も、
やがてこの点について指摘します。
いわんや根本教典でもある
「理趣経」の解説書の借用を求めてきたときに、
空海はこれをがっつり断るのです。
その理由は、密教秘法を会得するに必要な行を修めず、
経文の字面だけで真義を得ようとする事は
不可能だというわけです。
ましてや、理趣経は字面だけを追うだけでは
到底会得できない「大楽・全肯定」の秘法です。
一歩間違えば誤解と混乱を招きかねない内容なのですから
空海は安直には貸すわけに行かなかったのでしょう。
実は、今回の記事の大きなテーマとして
この「理趣経」も絡んでくるのですが、
いきなり本題に入らないのは、
あたし自身も
空海の考えに通じるものがあったからなんです。
もう少し前振り、日本仏教の系譜をざっくり
空海の詳細に入る前に、
もう少し最澄が取り組んだ事をまとめてみることにします。
実を言いますと、現在日本における「寺院仏教」というものは、
大きく分けて3つの源流から派生したものであると言えるのです。
一つは蘇我氏や聖徳太子、鑑真らが確立した奈良仏教の派生。
いわゆる南都六宗
(三論宗・法相宗・成実宗・倶舎宗・律宗・華厳宗)で、
「顕教」という呼び方で言われるような、
言ってみれば仏典解釈が主の「学問」に近い宗派。
そして、空海による真言宗。
これは「密教」と呼ばれ、
加持祈祷や厳しい修行に代表される流れ。
そして、最澄が開いた比叡山の天台宗から派生した
鎌倉仏教とも呼ばれる「民衆仏教」の流れ、
これも大きく分けて、
念仏系(浄土宗・浄土真宗・時宗)、
禅系(臨済宗・曹洞宗・黄檗宗)
題目系(日蓮宗)
の三系統に大きく分けることができます。
すべてのものは、そのまま真理の表れである
さて、前にも述べたように、
最澄の「天台」から派生した
念仏・禅・題目の三つに共通するのはどういう概念かというと、
五時八教論に基づく「法華経」の尊重、
すなわち諸法実相=すべてのものは
みなそのまま真理であるという観点です。
これがたとえば絶対他力や悪人正機の念仏になり、
只管打坐の禅になり、法華経絶対信仰としての題目として、
民衆が簡単に「諸法実相」や念仏、座禅、唱題目といった
易行徹底にもとづく「止観」の獲得を可能にするといった、
だれもが難しいことを考えなくても、修行できるという教えに発展し、
知識階級や貴族だけではなく、一般民衆にも仏教が浸透したのです。
これらの始祖である、法然や親鸞、道元、
そして日蓮をも輩出したのが
他ならぬ比叡山延暦寺です。
比叡山延暦寺は、日本仏教の「総合大学」
むろん、比叡山の天台宗自体も
円仁、円珍らによって「天台密教」という流れが確立され、
空海の真言密教とは別の密教体系が生まれたのです。
これが俗に言う「台密」と呼ばれる系統でございます。
こういう意味から言っても、
最澄が開いた比叡山延暦寺は、
わが国における最初の「仏教総合大学」とでも呼べるのです。
この教学養成システムを作り上げたことが、
最澄最大の功績であると言えましょう。
最澄が「伝教大師」と諱されたゆえんでもあります。