境目にある階段
小学生の頃、友達の家に行くために使ったこの階段。○△団地と◆□〇団地の境目にあり、徒歩だからこそこの階段でショートカットできる。自転車で行くよりも自分の足で歩いたり走ったりすることで目的地までいち早く行ける。階段や坂が多い団地だったので歩いていくのが一番安全だった。
帰省中の早朝ウォーキングでこの階段を昇りたくていつもと違う道を歩いた。いつもと違う道を歩くだけでわくわくして小学生の頃によくこの階段を通っていた記憶と重なってなんだか嬉しくなった。友達の家に行くときのようなあのワクワクなキモチが重なっていた。
階段の右側には立派な策があり、当時とは少し違っていたけどこの階段はあの時のままで安心した。35年前に歩いた階段と同じ階段で、それだけであの頃にタイムスリップした気分に。あの頃は拡大家族で実父の祖父母と同居していたから家に帰るとおやつを食べて17時半まで外で遊ぶのが私の楽しみで。友達と遊ぶのも、一人で公園で遊ぶのも唯一楽しい時間だった。あの頃からおうちにいるといろいろ頼まれることを知っていたし、あれこれ質問攻めにあうのが嫌でそういうことから逃げていたのかも、しれない。雨の日はどうやって過ごしていたのか思い出せない。
嫌な記憶はずっと持ち続けるから消えることはないと聞いたことがあるけど、それ以上に嫌な事があると塗り替えられていく気がして35年前の雨の日の記憶がよく思い出せないでいる。それ以上にこれまでに経験した様々な事の中に苦しいことや悲しいことがあったから記憶が塗り替えられた、のかな。この階段を通りたいキモチとこの階段をよく使っていた当時の記憶が重なって楽しかった思い出を思い出すきっかけになった。
この階段を昇った先で、仙台七夕まつりの前夜祭、仙台七夕花火大会の様子を見たり、団地の夏祭りの最後の企画の打ち上げ花火をここから見た記憶を思い出しながら。その団地で過ごした楽しかった記憶を思い出すことができてうれしくなった。
ただの階段。35年前から変わらずそこにあって、あの時のままの階段でいてくれてありがとうって階段に伝えながら。35年の間に東日本大震災があり、崩れずにあの時のままでいてくれたことがうれしくて目頭が熱くなった。
早朝から懐かしい気持ちに浸った私だけの一日のはじまり。
何をみて、何を思うか。
見たいものをみて、感じている。
早朝の空も夕方の空も
ふと見上げた時どう見えるかはひとそれぞれに違う。
思い出の階段を歩いて子供の頃の自分の記憶と重なった時この道を選んで歩いてよかったなぁ。友達の家の近くまで行ってみたけど表札が変わっていたり、建て替えられていてあの時とは少し家並みに変化があった。時代とともに変わっていくものもと時代とともに残るものがある。古き良き思い出を思い出すきっかけとなった、この階段。これからも変わらずこの場所にあり続けてほしい。