今年の手帳は3冊
「今年もあと3か月」という言葉が聞こえ始めるころ、来年の1月始まりの手帳が売り出されます。
来年の予定や計画を前倒しでワクワクしながら考えたり、今年もあと3か月という思えば思うほど一抹の焦りを感じたり。
そんな清濁併せ持つ感情を一手に引き受けるのが手帳だなぁと思います。
今年のメインの手帳
私はこれまで、有名な「ほぼ日手帳」から、ここ数年に産声を上げたばかりの手帳、例えば「pure life diary」や「自分軸手帳」などを購入しては、その年の相棒にして実りある一年にするぞと願ってきました。
どれもすてきな手帳です。
特に私は「pure life diary」という手帳が好きで、去年も今年も購入しました。この手帳は、TO DOではなくTO BEで、日々のリストのやるべきタスクをこなすのではなく、どうありたいか、どうなりたいかを叶えるほうに重きが置かれています。
無駄を省いて効率化、逆算思考、というような左脳フル稼働タイプの手帳とは異なりますし、なにかテーマが設定されている手帳(スピリチュアルや金運など)とも異なります。
色合いも優しく、「まじめながんばり屋さんが 感性をみがいて 自分にやさしくなれる手帳」というキャッチコピーも好きです。
「購入しました」の先
先ほど、「この手帳を去年も今年も購入しました」と書きましたが、問題はその後です。私はことごとく手帳を使えない人間です。
スケジュール管理は、家の冷蔵庫に貼っているデカいカレンダーに手書きしたものがメインで、細々とした用事はスマホのGoogleカレンダーに入力します。Googleカレンダーに入力した用事を、冷蔵庫の紙のカレンダーに転記し忘れるともうおしまいで、毎日危ない橋を渡っています。
スケジュール管理はさておき、「こんな自分になれたらいいな」「この日あったことを記録しておきたい」みたいな期待も込めて毎年秋に手帳を購入するのですが、なんとまあびっくりするほど続かない。
年始は希望に満ち満ちて、手帳を開いてはいい気分で綴り、今日もいい日だったと閉じてウフフとなるのですが、それも続いてせいぜい3か月弱です。
毎年、年度末の忙しさに心を亡くしかけ、年度始めには子どもたちの学校の書類などを書くタスクが加わり、そうこうしているうちにゴールデンウィークがやってきます。前に手帳開いたのはいつだっけ?と手帳の存在を思い出すのは、たいてい5月下旬です。一度気持ちが離れるとなかなか戻れない。
年度末と年度始めが鬼門だとわかってから、春に手帳を手放さなければ続けられるはず!とひらめき、今年は5月くらいまで続きました。
ところがどっこい、今年は4月末に楽しすぎるオンラインコミュニティに参加して内省と交流の日々を送っていたら、手帳の存在を見事に忘れてしまって今に至ります。
ずぼらに集まる3冊の手帳
そんなずぼらな私が、なぜ今年はタイトルにあるとおり手帳を3冊も持っているのかというと、残り2冊はプレゼントでいただきました。
ひとつは、とある手帳のプレゼント企画でいただき、もうひとつは友人からのプレゼントです。後者は、「推しが作った手帳だからぜひあなたも使ってみて」ということで、先月いただきました。
え?
メインの手帳も使えていないのに、その2冊は触れるまでもありません。
手帳を使う、とは
先月友人からその手帳を要らないかと話をされたとき、手帳をまったく使いこなせないから私がもらうのは申し訳なくてと話したんです。
すると友人から、「手帳を使うってなに?」と聞かれました。
私は、予定を書きこんで日々を管理したり、あったことややりたいことを書き込んだりして最後まで使い切ることではと話したのですが、友人から「それって思い込みだよ」と一言。
友人は、最後まで書ききらなくていい、書きたいときに書いていい。
手帳の使い方って自由なんだよ、と。
なるほどなあと自分の思い込みに気づき、解き放たれたのも束の間、どこかで聞いた文言だとハッとしたんです。
私がメインに使っていた手帳「pure life diary」の最初のほうに使い方の説明がありますが、そこに
・毎日書かなくてもいい
・全部書かなくてもいい
・たくさん書かなくてもいい
・無理に目標を立てなくてもいい
と書かれてありました。
友人と同じことを言っている……!
そしたら、私、もう手帳を使えてるんじゃない?
いや、使ってないよね、半分以上白紙だよ?
存在を忘れていた手帳、でも年始から4か月強は相棒だった手帳です。「手帳を使う」という概念が崩壊しました。
着地点
極論ですが、自分が使えていると思ってたら使えている、使えていないと思ってたら使えていない、に着地しました。全部主観の世界です。
私は、持っていても持っているだけになっているので、やっぱり使えていないなぁと思いました。
さあ、こういう話をしていると、そろそろ手帳販売シーズンに入ります。
今年はどうするかな。私はたぶん、来年こそはという気持ちでうっかり手帳を買ってしまうんだろうな。
手帳の屍の横で自分に呆れたとしても、しょうもない自分と手帳に書きこまれない日々を愛でていくことだけは確かです。