さんぴん
主に層雲読んで、周りからみた放哉先生の印象を知る
私が実際行ったゆかりの地旅行の日記です( ˶ˆ꒳ˆ˵ )
書籍など、尾崎放哉を知る手段の取っかかりとして
ここなんだろ、と興味持ったところや、行きたいな〜と思ったとこのメモ書きのようなものですᐠ( ᐛ )ᐟ
https://www.google.com/maps/d/edit?hl=ja&mid=1mshfU6P84Lach1JSppdID1kn_AFNRKE&ll=34.943806839475975%2C136.97644129999998&z=7 ゆかりの地のご紹介(日々更新中・・・)
放哉の日記や書簡に「呵々」ということばがふんだんに挿入されていることは、よく知られている。しかし、放哉自身、この呵々について、ことさらに解説はしなかったから、それが、何を意味していたかは、いまにわからない。わからないままに、享受者は、それぞれ、挿入場所でその呵々がよく効いていると感得しているのだろう。そして、この呵々が、通用している「呵々大笑」とは似て非なるものであることだけはわかっているようである。 ふつう、呵々大笑と熟して用いられる呵々が表現するものは、ワッハハハとか
さわにある髪をすきいる月夜 放哉 すばらしい浮房だ蚊がいる 〃 髪の美しさもてあましている 〃 八ツ手の月夜もある恋猫 〃 恋心四十二して穂芒 〃 など、放哉には放哉らしからぬ俳句の一群がある。一艶の濃いこれら一連の作品は、所謂世捨人の作品ではない。名利を去り、虚飾を避けて自然そのものの中に自己を流していこうとする放哉の思想や人生観からすると、これはいささか異端に属するものである。 こういった相対立する二つの面を有する作家ということでよ
9月末から、各地文学館回ってみたりしていたので、行ったとこ残しときたいなと思って書きます✍ 金沢こちらは9月末に金沢に行った時のものです。 徳田秋聲記念館 今徳田秋聲記念館では企画展『虚子と秋聲』が行われています。 虚子先生が生誕150年ということで、こちらの企画展では虚子と秋聲との交流について紹介されています。 虚子先生との関り、実はあまり知らなかったんですよね…。なのでぜひ行ってみたいと思って足を運びました。 ※以下展示に触れた個人的面白いなと思った感想。 ・虚
今回は大分県中津市へ🚃 放哉先生の足跡を巡ったり、他にも行きたかったところをレンタカーにてまわってきました!の記録です✍️ 1日の旅程行きたいところが多すぎて、正直全部外せない…!だがしかし、次の日は仕事が休めず昼過ぎには帰らなければならない…!という板挟み状態だったので、考えに考え行くところを絞る🥺 この日の大まかな流れが 8:00 レンタカー借りる🚗³₃ 8:30頃 青の洞門付近へ (移動) 10:00過ぎ頃 深耶馬渓 一目八景展望台へ (移動) 11:30頃 宇
大正十四年、僕は(光石蕗時代)鳥取二中に奉職し、野坂靑也、河本綠石、重村百堂らと共に層雲鳥取支部「湖の会」を起したのであるが、その頃が丁度放哉の南郷庵、井先生の橋畔亭、所謂短律時代であった。 当時僕は二中生に熱心に自由律を指導し、パンフレットを出しては小豆島に送り、放哉の批点を乞うていた。彼は生徒の作品を非常に喜んだがその喜び様が普通ではなく、「頼むから今後もドシドシ見せて下さい」といった風な懇願の調子であった。思うにそれは彼が童心の持主であったからばかりでなく、ひそかに
渋谷の赤十字病院の正門をまっすぐに羽根澤通りが渋谷下通りにまで抜けているその通りを二丁程行ったところの通り端に放哉尾崎秀雄の住居があった。三間か四間の小じんまりした家でその頃放哉はそこでかおる夫人と二人で暮らしていた。それは大正四、五年の頃であった。私は山岡夢人と二人で一夜放哉を訪問した。そこは私の住居の新堀町からでも徒歩で三十分位の遠さであり夢人の家のO町からなら役半分の道のりであった。その時はたぶん私が夢人を訪問して序に連れ立っていったのであったろうか。その夜は放哉は珍
前回のnoteで書きました、藤村忌に行った際に、開始が9時半ということもあり、地元の駅を始発で出発したとて間に合わない…!!なら泊まるしか…!?となり、念願の中棚荘に宿泊。とても素敵なお宿だったのでレポ~ 中棚荘の基本情報長野県小諸市にあります、島崎藤村ゆかりの宿になります。小諸観光として外せない懐古園などから徒歩15分ほど。(小諸駅からだと、タクシーがオススメ←坂があるので。) ゆったりとした自然の中にある、落ち着いた雰囲気のお宿です。 今回私は、到着が夜遅くなるのもあ
哉放さんに初めてお會ひしたのは、それが和服であつたか洋服であつたか、はつきり、覺えてゐないほど、遠い三十年も昔のことです、しかしその顏はあかるく輝いてゐました。圓滿な相、淸くすずしく光る目、落つきのある、ふかく智惠を藏してゐるような口元、醉えば人をひつぱることを忘れない放哉さんで、醉ふまでは人を引きつける、といつた風の一種の魅力のある、人なつかしいお顏がはつきり浮んできます。 放哉さんを想ふ時、いつでも思ひ出されるのは、私の郷里鞆の津のくるわの黑門と京都岡崎の暗い闇夜であ
24日に神戸文学館で、わたなべじゅんこさんによる「放哉ここにありき」という講演が行われましたので、忘れないうちにメモメモ‼✍️ ※諸所個人的オタ感想があります。 (なお都合で途中参加だったので、参加できたところから…) 「層雲」のこと 荻原井泉水が層雲作り始めたころの話。 ・碧梧桐が岡山玉島にて俳三昧のときに、井泉水が雑誌作りたいよ~の相談をしにきた。→そんな余裕ないよとの返事だったけど否定もしない。 ・結果明治44年に「層雲」創刊→そのころ、碧梧桐がずっと旅行をしてて、
8月22日は島崎藤村の命日です。小諸や大磯で藤村を偲ぶ会が行われ、いちファンとして一回行ってみたい…!という願望叶い、今回小諸で行われた藤村忌に参列してきました。 どんな感じだったのかのレポです✍🏻 日程☆8月22日(木)AM9:30~11:15分過ぎごろまで ☆藤村記念館前庭(懐古園内)にて ☆参加費などは特にありません。藤村忌に参列するだけなら懐古園には無料で入れるそうです。私はそのあと記念館などに立ち寄りたかったので、入口で入場券買いました(共通券500円です)。
先日、舞鶴を訪れた際に引揚記念館に立ち寄り(←記事にしています!)、そこでシベリア抑留、そもそもなぜ多くの人が移り住んだのかを知りました。そのあと、友人から岐阜県東白川村に満州開拓の碑があることを教えてもらい、この目で見てみたいと思い足を運びました。 満州開拓の碑こちらは、岐阜県東白川村神土にあります。碑を初め、近くには平和記念館もありました。ただこちらは閉まっており、見ることはできませんでした(不定期なのだろうか…)。 東白川村から出兵していった方、開拓のために海を渡っ
『三千里』に出てくる場所巡りの記録📝 今回は短い時間でしたが、仙台城跡へ! 本文よりアクセス今回は、仙台駅より「るーぷる仙台」という観光バスを使っていきました! 一方向のみしかルートがない、という点を除いても、観光バスというスタンスなので、なんと途中の観光名所で減速してくれて窓からじっくり眺めることもできます。何より!運転手さんの要所要所の解説が楽しい! 仙台駅から六番目のバス停「仙台城前」にて下車(仙台駅からはおよそ30分ほど)。バス停降りたらすぐそこです。 他にも、
7月20日(土)の小諸での藤村講座のテーマは、「嵐」を題材に『父子家庭の哀楽』というものでした。 そのなかで、個人的に興味深かったな~とおもうところの備忘録。 「嵐」について本当に簡潔なこの話のテーマ?は、父親目線の子育てについて、だとは思っています。ちなみに、前後談となっている「伸び支度」「分配」も一緒に読むと、より話の解像度が上がるのでオススメ。 岩波書店さんから、上の三作品がまとめて一冊になっているのが出ています。 登場人物について「嵐」に登場する登場人物にはそれ
明治39年10月のところを読んでのメモ書きです。(編集中・・・) 1日〜10日雲巌寺 芭蕉も訪れ、句を残している場所。句碑もあるようです。 三春駒 三春駒とは!坂上田村麻呂ゆかりの木馬で白駒・黒駒がある。三春町や郡山市で製作されている日本の伝統工芸品です。また日本三大駒の1つでもある!(※ちなみに他は八幡馬<青森>・木下駒<宮城>) 黒駒は子宝や安産・子育ての、白駒は長寿のお守りとして作られているそうな。 https://www.yubeshi.co.jp/f/b
先日、企画でマッピングという最高に面白い機能?コンテンツ??を教えてくださって、うわ絶対放哉先生のでやろ、と思い始めてみました( ¨̮ )︎︎♡ 出来る限り、放哉先生が行ったことのある場所を記録していけたらいいなあと思って更新していこうと思います。願わくば、死ぬまでに日本一周旅行みたいな感じで回ってみたいな。休みがほしいぜ(:3_ヽ)_ まだまだ私自身が素人で、知らないことだらけの勉強中の身なので、もし史実と違うとこあれば教えてください|ω・)
句集は各所から色々と出ているとは思いますが、ひとまず私自身が持っているもののご紹介。 尾崎放哉句集 岩波書店さんから出ている句集です。大きく尾崎放哉自身が、自由律俳句を句作する前と後でまとめられており、入庵雑記も収録されています。 私自身が、放哉先生の句集を買おう!と思って、一番始めに購入したものですが、代表的な句を始め、とっかかりにはいい多さじゃないかなあと思います。解説より、編集した池内氏自身がユーモアや感感覚的に優れたものなど、放哉自身の面白さを知れる句を選定して