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親になってわかったこと
小学5年生の息子がとあるチラシを
持って帰ってきた。
どうやら隣市のサッカークラブチームの
案内チラシらしい。
なぜこんなものを持って帰ってきたのかを
息子に聞いてみると、
彼が今志望している学校は中高一貫だが、
もしそこに受かって通ったならば
サッカー部がないので、
このクラブチームの中学生の部に所属したいという。
まだ受かってもいないのに
ずいぶん気が早いなと思いながら
私はそのチラシを見た。
平日3回の練習に土or日は試合・遠征と
そこには書かれていた。
だが、私が知っている限りサッカーは
土or日ではなく土and日の場合が多い。
このクラブチームは送迎もあるらしいので
小学生の頃ほど私達親が関わる必要は
ないのかもしれないが、
それでも平日の夜も休日も息子が家にいる時間は
とても少なくなるであろう。
仮に息子が目指す学校にサッカー部があったとしても
平日は練習で夕方過ぎに帰宅し、
土日は試合や練習などがあるので
同じような状況には違いない。
そう考えてみると息子が家でゆっくりと
過ごす時間というのは案外短いのかもしれない。
そのチラシを見ながら私はふとそんなことを
考えた。
そんなとき、私の頭の中にふと昔に見た
母の嬉しそうな顔を思い出した。
さかのぼること27年前。
当時私は中学2年生であった。
私は剣道部、兄はラグビー部に所属しており、
私達は平日と土日をほぼ部活に費やしていた。
そして、その状況は夏休みも然り。
私が所属していた剣道部はまだチラホラと
休みの日が設けられていたが、
兄が所属するラグビー部はお盆の2日を除いて
ほぼ練習で埋められており、
その中には合宿も含まれていた。
そんな理由で中学生になった私達は
急に自宅での滞在時間が短くなってしまった。
とはいえ、当の本人たちはその状況に
ついていくのが必死だったので、
特に何とも思うことなく時間が過ぎて行った。
そんな状態で迎えた2年生の夏。
ある夜、私達二人が部屋にいると、
いきなり母が入ってきて
上手く日程を合わせて2日休みを取って欲しいと
言ってきた。
我が家は家族で出かけるようなことは
殆どなかったので、
一体何があるのかと不思議に思いながらも、
何だか母がこんなことを言うのは
何か理由があるのだろうと思い
ちょうど兄も私も部活が休みの日の前日に
休みを取ることにした。
そのことを母に伝えると、
とても嬉しそうに母は部屋に戻っていった。
それから数日して、
母に何を計画しているのかを聞いてみると
家族で福井県に旅行しようと計画していると
いうことであった。
家族だけでの旅行など数年ぶりだったので、
とても不思議な気分であるとともに
一体福井県でどのようなことをするのか
とても疑問がいっぱいであった。
だが、その時点では福井に行くことぐらいしか
情報がなかった。
それから夏休みが過ぎて行った8月の中旬。
ようやく家族旅の内容が公開された。
なんと、福井県のとある民宿に泊まり、
その近くで釣りを楽しむという内容であった。
父や私達は釣りが好きであったが、
母は全く釣りをしない。
母も一緒に釣りに行くつもりなのだろうか。
色んな疑問はあったものの、
日ごろ川や琵琶湖でしか釣りをしない私達にとって
海での釣りは魅力に満ち溢れていた。
そうして迎えた旅行当日。
父の運転するバンに乗り家族で福井県に向かった。
とても久々の家族旅行に母は妙にウキウキしており
助手席から何やらお菓子を出してきては
父や私たちに勧めていた。
運転席の父はいつも通りの感じで
黙々と運転をしている。
途中で休憩をはさみながら約2時間ほどで
目的の民宿に到着した。
民宿と言いながらも綺麗な旅館のような場所を
勝手に想像していたのだが、
そこは海沿いにあるお世辞にも綺麗と言えないような
The民宿であった。
車を降りた時点でその辺りには磯の匂いが
プンプンと漂っており、
いかにも海に来たのだと実感させられた。
部屋に案内され、荷物を置くと
ほどなくして民宿のすぐ近くの防波堤で
釣りを始めることになった。
この民宿は釣り客をターゲットにしているらしく
エサは民宿で購入することができた。
私は初めて見るイシゴカイに驚きながら
仕掛けを作り、早速海に投入してみた。
するとほどなくして竿にアタリを感じ、
引き上げてみると見事なシロギスであった。
日ごろ釣りをしている川ではこんなに簡単に釣れるのは
ブルーギルぐらいのものであるが、
海で釣れたのは美味と有名なシロギス。
これはもしかすると爆釣するのではないか。
同じようにすぐにキスを釣り上げた兄と二人で
私達はテンションが爆上がりした。
そんな私達をみながら父はマイペースに
仕掛けを投入しては着実に魚を釣っていく。
私達は焦りがあるせいかアタリをものにできず
エサだけを持って行かれる状況が続き、
余計にエキサイティングしていく。
そんなときふと私は防波堤の根本を見ると
母がつばの広い帽子をかぶりながら
そこに座り私たちの様子を見ていた。
父は母に釣りをするように勧めたらしいが
母は私達が釣りをしている様子を
見ていると言ったらしい。
一体母は何が楽しいのであろうか。
私はそれがわからないと思いながらも
自分の釣りにまた戻っていった。
そうして何時間ほど釣りをしたのだろうか。
夕方ごろになり、疲れてきたタイミングで
竿をしまって民宿に戻ることになった。
小さな風呂に入り、しばらくすると
部屋に料理が運ばれてきて
私は目を丸くした。
そこにはこれまで見たこともないような
刺身の盛り合わせが置かれていたのである。
日ごろスーパーで見るようなマグロや
ハマチではなく、
明らかに新鮮でプリプリとした身の刺身が
色んな種類大皿に盛られていた。
お世辞にも愛想の良くないおかみさん曰く、
全てこの近辺で獲れたものらしい。
早速食べてみるとその食感は見た目の通り
これまで食べてきた刺身と明らかに違う
食べ物の様であった。
しかも、日ごろ刺身を食べるときには
何切れ食べていいかを考えるが、
大きな皿にドンと盛られたその刺身は
どう考えても4人家族には多い。
当時とてもよく食べた私達は
遠慮することなく食べられる刺身の前に
ひたすら白ご飯のお替りを繰り返した。
自分も食べながら私たちの様子を嬉しそうに見る母。
そうして食事が終わり、
私達はテレビを見ながら夜を過ごした。
その翌日。
朝から再び少し釣りをして、
昼前に私たちは帰路についた。
昼過ぎに自宅に到着したとき、
父がおもむろにポケットから小銭を出して
家の前の酒屋でビールと私たちのジュースを
買ってこいという。
運転のために我慢していたのであろう。
1リットルのビールの缶(当時はよくあった)と
私たちのジュースを買ってくると、
父と母はビールを飲み、私達はジュースを飲んで
疲れた体を家でゴロゴロして過ごした。
こうして振り返ってみても母は
特に何か自分が楽しいことをしていたわけではないと
思うのだが、
こうして自分が親になってみて息子が家にいる時間が
とても短いことを想像した今、
何となく母の気持ちがわかる気がした。
自分が一緒に楽しめなくても、
子供たちが楽しんでいる様子を見れるだけでも
とても嬉しいものである。
自分の知らないところで子供たちが一生懸命に
部活を頑張っているのはもちろん嬉しいが、
母としてはやはり私達の楽しむ様子を
自分の目で見たかったのであろう。
そう考えると、あの時の思い出を
改めて母と話をしてみたいと思った。
親になって初めてわかったことは山ほどあるが、
その中でも自分の親が自分に与えた言葉や
態度について改めてその意味を感じることは
とても多いものである。
今も大抵休日は息子のサッカーに
時間を費やしているが、
これから数年すると余計に家族の時間は
取りにくくなるだろう。
そうなった時にかつての母の気持ちが
もっとリアルにわかるのかもしれない。
いまとなっては場所もわからないが
その時にはあのボロボロの民宿に
家族で行ってみたいと思う私であった。
ちなみにその民宿で夜中に
お笑いのスペシャル番組をみたのが
いまだにはっきりと記憶に残っている。
おそらくこれを自宅で見ていても
あまり記憶には残っていないと思うと
人の記憶とは不思議なものである。