2021/08/13 お盆とファミリーヒストリーと私
お盆が近づくと、家族や親戚のことを思い出す。絶好の番組が、NHKの『ファミリーヒストリー』だ。見ていると、誰しも、ひとりの人生で1冊の本が書けるという言葉通りだと思う。
「著名人の家族の歴史を本人に代わって徹底取材。『アイデンティティ』、『家族の絆』を見つめる番組。初めて明らかになる事実に、驚きあり、感動ありのドキュメントです」(公式サイトより引用)
私は熱心な視聴者ではない。たまに再放送を見る程度だ。その中でも鮮烈に残っているのは、落語家桂文枝の回。生後11ヵ月で亡くなった父の骨壺が、大阪・天王寺の真田山陸軍墓地の納骨堂に安置されていることを知り、約70年ぶりに「父」と対面を果たした。
ここまで劇的なシーンはまれだけれど、「人にドラマあり」。だからニンゲンは面白い。
NHKのさすがの取材力で、徹底的に調べ尽くす。文枝と「父」の再会も、そのたまもの。素直にすごいと思う。戦災や災害を乗り越えて、公文書など記録がよく残っている。とりわけ、興味深いのが、やはり男女のなれそめである。昔は全部お見合いだったかと思えば、駄菓子屋さんでダベっていたとか、筒井筒の仲だったとか、一緒に避難していて恋に落ちたとか。自由恋愛が意外に多い。
歴史好きなので、自分のルーツについては、親戚の中で割と知っている方だと思う。曾祖父母の代まで除籍謄本で調べたこともある。
それによると、私の父の母(私からすると父方の祖母)は、18歳で割と遠くの小さな城下町から嫁いできた。大きな川のほとりで所帯を持った。そして、3年おきに3人の子を産んだ。
戸籍には、悲劇も刻まれていた。私の父は妹(私からすると叔母)、母(祖母)、兄(伯父)の家族3人を、敗戦前年の昭和19年から3年連続で病気のために失っていた。父はその時、わずか5~7歳だった。三人の死亡日時を目にした時、涙がこぼれた。次々と亡くなっていく家族。父はどんなにか心細かっただろう。お母さんまで失い、どんなに辛かっただろう。もしかしたら、自分も死ぬんじゃないか。死の恐怖が少年の心に巣くったとしても不思議ではない。
後年、父は「健康のためなら死ねる」とばかりに、休日のランニングを欠かさなかった。台風が接近していても、嵐の中を飛び出して行った。まるで1日休むと、寿命が短くなる悲壮感さえにじませて。
父がなぜ、あれほど頑ななまでに健康維持に留意していたか。ひねくれ者で子どもに対して愛情のかけ方が分からなかったのか。父の生い立ちを知れば、その理由の一端が分かったような気がする。たった1枚の書類から、さまざまなファミリーヒストリーが浮かんでくる。
では、もしも、自分が著名人だったら、番組に取り上げられたいだろうか? 会ったことのない遠い親戚や実家近くの住民が登場したり、祖先の秘められたエピソードを明らかになったりして、放送を通じて世間の目に触れるのは、なかなか勇気がいる。ファミリーヒストリーは調べてほしい気持ちもあるけれど、公になるのは怖い。知らぬが仏、ということもあるのではないだろうか? 個人情報の流出にこれだけ厳しい今のご時世にあって、奇跡の番組だと思う。