孤立からくる妄想が人生の支えになってしまったというか、それに縋るほかなかった。そういう問題?を「電波男」的に「ネタ」としてしまうような風潮が運悪く広がっていたという感覚。一歩間違えれば自分もああいう思考になってたかもしれないという恐怖。それでも差し引いても肯定はできないが、ね。