といふことで当初は映画の件にしようとも思っていたの
ですが、ノート写経を眺めていたら、この一文に妙に感動
したので、まずはそれを紹介するところから。
行きつ戻りつして、ようやくここに辿り着いたか、と思わせる
この一文に結構改めてやられたものです。
因みに「電波男」の要諦と主文は大体このあたりです。
まあ妄想力(は想像力)のありなしはやはり生きる上で大事な
要素である、といふことを把握するのは大事で、だからこそ、
そこをしっかり汲み取れる(可能の助動詞)辻村深月は古式
ゆかしきドラえもん映画のメソッドをキープしつつ昇華
(アウフヘーベン)出来るから『のび太の月面探査記』は
すごいんですが。
『のび太の月面探査記』をもう一推しするツイートはこれも
捨てがたい。
このあたりを踏まえて、この奧に控えている「バブル女は
死ねばいい」って本もあるわけですが(それに絡めて一度書いた
記憶もある)、まあここを蒸し返すにはもう少し手業が必要
なので、今日の時点ではここまで。
本題に戻すから、ここで閑話休題、といふわけで。
(昔コミケの同人誌で「閑話休題」の使い方がおかしい、って
ハナシはさんざ観たような)
本題はむしろ基礎編の把握ですね。なのでメインテクストはこれ。
以前コメントで、例文として赤瀬川源平の「老人力」と共に
この本田透「がっかり力」を紹介したコメントをしたことは
あるのですが、まあ身につけていて損はしないので、「がっかり力」
の基礎はここに記しておこうかと。
まあここは「現国」こと『現実主義勇者の王国再建記』の21話
でも描かれた基本原則にも通じる大枠を把握することがまず大事。
『現実主義勇者の王国再建記』の21話でアミドニアの姫が
主張するのは「本当に必要なのは仕事とご飯」としっかり
相通ずるわけですが。
で、「がっかり力」の基礎はこの2つ、だっけ。
まあこれがある向きによっては「あちこちオードリー」でも
さんざ議論された「キャッチマン」こと「ネタ受け取り人」
のスタンスに立てば立つほどダメージは限りなく少ない
(まあそこが責任を取る立場にない、ってことで危機回避を
そもそもしてるから、ダメージなんてない)ってロジックが
絡んでいるのである種絶望でもあり、希望にもなりうる皮肉の
パラドックスで出来上がっているのが「なんともはや」で、
だからこそそんな時にはやはり「あとづけの、がっかり」に
して客観視に努めるのは「メンタルファースト」においても
有効だったりするわけで。
もう一つはこれか。
あとはこの「がっかり力」を用いながら何に費やすことが
大事か、はこないだミトちゃんの夏休みでオードリー若林と
対談してた小薮一豊の「玉葱の芯」論とも相通じるところが
あるとは思いますが。
といふことで新庄が札幌ドームのホーム最終戦で「BIG BOSS」の
ユニフォームを脱いで来年は「SHINJO」で頑張る、というパフォー
マンスがお壊れたようですが、これも何かの矜恃があってこそ、
のパフォーマンスが「儀式」として必要だったんだろうな、
と普段から「がっかり力」を持っていると理解出来るわけで。
昨年の時点で同意出来た拾ったツイートのコメント、ってこれか。
ヤフコメで同意出来た参考コメントはこのあたりか。
もう一つはここを拾っておくか。
そしてこの「がっかり力」は福留の「偶然だぞ」や阪神タイガース
日本一後の見事なオチや山下大矢のアスキーアートなど、野球ネタの
「がっかり力」に満ちているのですが、多分プロ野球ネタも封印に
なりそうな気配のする中で例を挙げるのはここだけにしようかと。
で、ここで哲学者の一文を挟んでおくくらいが適切かな。
ちゅうことで本来月別の記事数でいくとこれは200記事になる
ハズなのですが、一つミスリードでこさえてしまった派生記事を
今月一つ消しているのがカウントされていると思うので、これは
199回目の記事になると。まだまだ達成はなしよ、といふ「がっかり
力」は付いているのですが、そんな感じで次は本当の200記事目を
書こうとは思います。
やはり身につけておくべきは本田透「がっかり力」、でした。