もう千年もすると、漱石の文章も読むには酷な文体と感じるようになるのだろうか。源氏物語がそうであるように。 そんなことを思ったら、なんだか切なくなってきて、漱石の本を今のうちに隅から隅まで読みつくしておきたくなる。 別に、千年後に、自分が生きてるわけでもないのに。
毎時毎分、空気に囲まれてるけど、私は空気のことをあまりよくは知らない。全体の1%も知っていないかもしれない。 家族とか友人とか仲間とかについても、同じことが言えてしまうのかもしれない。 1%も知ってはいないかもしれないと思えるほうが、よく知ってると思ってるより、健全な気もする。
現時点の科学技術的には、透明になるのは難しいどころじゃないですよ。 不可能に近いです。 「透明になりたい、これは比喩表現です」って言ってもらわないと、僕には通じません。 悪しからず。
平和、どうだろうな。 ボケ、いかがなもんかな。 戦争ボケっ、つのはないのかな。 平和中に、戦争や安全保障とかにばっかフォーカスしつづけるのは それはそれで、すごくハードな人間にしあがっちまいそうだ。