自分が学校に拘る、というのは思春期だからこそではないか。序列で優位に立ちたいという思いというより、自分がこれくらい努力したという自信が誇りなのだと思う。社会人は勉学よりかは仕事にシフトしていく。その際学力の甲乙は取りあえず置かれる。それが何故か学歴不要論に取って代わるの何故?
人の勝手、という言葉が軒並み通用すると思い込む人は、自分の勝手は尊重するも、相手の勝手は排斥する。サイコパスは我田引水の理を表す。
もしあのとき、ああしていたら運命は変わっていたろうとは、フローチャートの一部しか見ていない。はい・いいえは運命の仮初、大きく見れば流れとは一本の軸であろう。偉そうに語ったが、これは祖母が語っていた事。分岐点は分岐点、目的地は大きく一つ。それが判っていれば振り返って嘆息しない。
今週は激務になるかも。GWののんびり加減とはエライ違いだなあ・。この落差が、如何にもという感じだ。渡豪してたときは、物価高に面食らったが。今年は旅行に行くから、楽しみは取っておこう。
政策は理念だけでは成り立たない。実際に確かな経済効用がなくては、国民の支持は得られない。多くのメディアが政策を報じる際、イデオロギーで峻別しようとするから、議論が憚られてしまう。