天正19年(1591)9月4日は蒲生氏郷、浅野長政らが奥州で起きた九戸政実の乱を鎮圧した日。もともとは奥州南部氏の後継者を巡る一族内の争いから起きた反乱。秀吉による奥州仕置が終わった後に起きた最後の組織的な抵抗といわれる。最後は助命の約束で降伏したが反故にされ政実は処刑された。
天正19年(1591)9月4日は蒲生氏郷、浅野長政らが九戸政実の乱を鎮圧した日。奥州南部氏一族内の争いだが、小田原攻め後の奥州仕置が終わり秀吉に対する最後の組織的抵抗と言われる。最後は助命の約束で開城したが反故にされ処刑された。今後起きないよう見せしめでしょうが何でもありですか。
文禄5年(1596)8月14日は伊達政宗が浅野長政に10ヶ条の絶縁状を送りつけた日。政宗が秀吉に降って6年、取次役の長政の対応に積年の不満が爆発した。長政の対応の問題もあれば政宗の言いがかりもあるという感じではないかと。いずれにしても人の仲介役というのは簡単なことではないですね。
文禄5年(1596)8月14日は伊達政宗が浅野長政に10ヶ条の絶縁状を送りつけた日。政宗が秀吉に降って6年経つが取次役の長政の対応に積年の不満が爆発した。引き金は1か月前に政宗家臣が殺害される事件が起こり長政の意見に従い処理を申し入れたが事件糾明の様子がなかったからだという。