「知らない」ということは こんなにも人を 大胆に愚かしくしてしまう。 今ここで起きていることを ありのままに観る。 そしてそれが一体 何なのかを如実に知る。 その点検作業の繰り返しが 不善を取り除く。 初めは間違いだらけ。 それでも構わない。 一つの間違いを次の変化の糧に。
同じ事象を見ても感じ方が違うのは 受け取る心が変化しているから。 10年前、20年前、30年前… もちろん身体も変化しているけれど 人によっても時と場合によっても 全く違う反応が出てくる。 違和感は当然の反応かも。 単なる記憶が感覚を 昔に引き戻そうとする。 諸行無常。如実知見。
思考という妄想を挟まなければ 全ては目の前にありのままに在る。 それを観られるかどうか。 偏見、先入観、思い癖… 真実を歪めるものに気づく。 それを一つずつ少しずつ取り除いて 如実知見、ありのままに。 無いものを観ず、あるものをそのままに。
自分を他者だと思わない限り、 完全な他者は存在しえない。 他者を自分だと思わない限り、 完全な自分は存在しえない。 区分された自他とは互いに不完全な自他である。 だから、自己言及も人間分析も空しく、 言語は常に各自の鏡面に基づき、 その虚像を放射しているにすぎない。 公理即定理
物事をありのままに 観察するのは本当に難しい。 こうあるべきとか これはいけないとかが 無意識に働いている。 それに気づいて手離して どんな形でもアリなのだと 頑固な自分に繰り返し言い聞かせる。 ダメとか良いとかの判断を 棚上げにして如実に見て知る 懐の深さを持ちたい。