悟りを追い求めること自体が、イメージの産物であり、私たちはその「悟り」や「真の自己」という理想像を描き、それに到達しようとします。しかしそれ自体がトリックであり、常にその先にあるものを探し続けてしまうのです。そして、その追求は永遠に続き、疲弊してしまいます。
悟りというものは、言葉や概念で説明できるものではなく、体験を超えたものである。すでに知ってることなのに、私たちはそれを見ようとしません。いったい「何を探していたのか」を一度立ち止まって見つめ直すことが重要です。