おばあちゃんのお父さんは行政で45年働きました 男性が戦争に行っていたころ、ひいおじいちゃんは岡山に残り女性や子供を守るように言われていました 岡山にも沢山空襲が来ました 警報が鳴ると共に鐘を叩いて避難させました 引退する際、皇居で賞状を受け取りました「人生悔い無し」と残しました
私のひいおじいちゃんは小学校の校長先生でした 最後に赴任した小学校に足を運んできました 赤白帽子を被った子供たちが校庭で授業を受けていました ひいおじいちゃんはその後、坂田金時の終焉の地の町長となって静岡県の小山町と提携を組みました それから今まで標識やマンホールに金太郎がいます
祖母のお父さんも師範学校を卒業し、師範学校附属の小学校の先生になりました その後男子校の先生から県の教育委員となり先生たちを指導しました