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ひいおばあちゃんのこと

私が小3の時
ひいおばあちゃんがどっか行って帰ってきて
「わかってるのに聞かれたらわかんないのよ
もうボケロージンだわ」
と言い出した。

どうやら介護?の何かの認定をするテストをしてきて
いま見せたクシはどっちですか?とか聞かれて
今見たはずのものが思い出せないのよ

みたいなことらしい

そういうこと小さい時から華もよくあったから
別に気にしてなかったんだけど

ボケロージンの響きが面白すぎて
意味がわからなかった私たち姉妹は

「ボケロージンぼけろーじん」

繰り返し言ってたら
ひいおばあちゃんが泣き出した。

"ボケ老人"と気付いたのはもっと後の話で
BOKEROUZINという
言葉の響きで遊んでいただけなのに
大事な人を傷つけてしまったことがある。

小5で北海道から埼玉へ引っ越したので、
年に一回会う北海道のひいおばあちゃんは
どんどんボケ老人になり
私の事を覚えて居られなくなった。
バイトして飛行機に乗れるようになった頃には
時すでに遅し。
おばあちゃんっ子すぎた私は、
介護老人ホームにいる
ひいおばあちゃんとひいおじいちゃんに会いに行き
「自分(私)は誰の娘で誰の孫で、あなたのひ孫です
飛行機に乗って埼玉から来た
あなたのひ孫です」
と何度も繰り返して説明し
「こんなに小さかったのに、
もうこんなに大きくなったの?
あらー大きくなったのね(泣)」

一年に一回飛行機に乗って
おばあちゃんをバグらせて
感動して泣かせ
また飛行機に乗って帰るだけのひ孫となった。
そこのホームでは
それぞれの部屋のネームプレートに
精巧な折り紙作品が飾られてあったり
入ったとこすぐに季節ごとに
千切り絵の美しい絵が飾ってあったりした

どう考えてもスタッフらは
忙しいに決まっているのに
そこで暮らす人達のために時間を使って
装飾を展開してくれている人がいる
利用者さんが作っているとしても
そのために折り紙買ってきたり
下絵を描いたり
なんらか準備をしてくれてるはずである。
自分の生活もあるのに。
仕事とはいえ、
ご飯や睡眠のほかに
テレビ以外の楽しみを作ってくれる。
保育同様、介護も目を離すと危ないと思う。
そんな仕事をしてる人が居ることが奇跡とすら思う。
出来ないことが出来るようになっていく保育
出来ることが出来なくなっていく介護
同じ福祉の括りではあるけど
やってる事が違いすぎる。
介護施設看護師の叔母が
産まれたばかりの私の娘の
おむつ替えをして
「小さい〜なにこれー!」
と異次元の感動の仕方をしていた
介護施設で働く世の中の母親は
日中大人のおしめを替え
帰ってきたら我が子のおしめを替えているのか
すごすぎる。
私にはどうすることもできないけど
国からもっとお金などを貰って欲しい。

私にできることは
絵を描くことである。
そこで暮らす人たちにエンタメを
そこで働く人たちに
ちょっとの、なにかしらの、変化を。
ということで絵を描きたくて
描きに行った所で

詰所でスタッフが入れ替わるたびに
同じ話をポップに話す方がいて
大変興味深くて
(職場の人が出勤して来て、おはよう、お疲れ以外に何も話さないのもアレだから、一旦トピック挟んどきまひょか)くらいのもんなんだなと感じた
一周回って優しいか、とか思ったりしてね
あの人と仲良くなりたいわ

ていうか愛がないとやってらんないしすごい仕事だよなあ、どうしよう、私絵しか描けないとおもってたらやっぱり
「みんな歩くのに必死で誰も気づかないんだよねこういうの、良いね好きなことを仕事にできて」
とのこと。
あの人の優しさである。

「私あなたと仲良くなりたいです。
応援してます。
仕事じゃないんです、勝手に来て勝手に帰ります。
これしかできないので、
あなたたちのために描きたいんです」

とは言えないから
「そうなんですよね〜」
とか言って流してしまった
意気地なしッ!
ということで
それを込めて黙々と絵を描く。

描いてたら
利用者さん達もたくさん集まってきて
手がひいおばあちゃんにそっくりで
一瞬、ひいおばあちゃんが元気なうちに
こういうことしたかった
などと思い馳せたりしてみたけど

やっぱあの人に玄孫を提出して
それから私がちゃんと生きて
今だからできることなのよな
間に合うわけないさ、と
自分を慰めて
それを込めて描く。描く。

言語化するのに時間がかかったけど
まだ言葉にしたい気持ちがあるし
まだやってみないとわからない。

たまに来て、たまに勝手に窓に絵を描く人
と覚えてほしい
たまに来る、窓の清掃員くらいの感じで
またやらせて欲しいなと思っています。

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