キューピーちゃんの領域
誕生日プレゼントを躊躇なく捨てられるようになった。
誕生日になると、ありがたいことにプレゼントを貰う。
月日が経つごとに誕生日プレゼントに限らず、いろんな貰いものがたくさんたまってきていた。
貰いものは自分が選りすぐって買ったものではないから、好みじゃないものも割りとある。それでもやっぱり嬉しいのだけど。
ものは躊躇なく捨ててしまう私でも、さすがに貰いものは捨てることができなかった。けれどどんどんものが溢れてきて、ときめかないものに囲まれて暮らすことが少しずつしんどくなってきた。
一人暮らしの狭いワンルームはいわば私だけの縄張りで、自分が選びに選んだものたちで埋めつくしていたかった。所詮在学4年だけの縄張りだから、完璧にお気に入りだけで作り上げることはできなかった。だけどそれでも、 ときめかないものが場所を占領することにモヤモヤしていた。
モヤモヤを抱えたまま、他の人はどうしてるのだろうとネットで調べてみる。友達に聞いてみるのはさすがにちょっとはばかられた。
すると、プレゼントはプレゼントとして誰かに贈られた時点でその役目を終えると書かれていた。
プレゼントを贈ったほうは、しばらくしたらプレゼントに何を贈ったかなんて忘れているだとか。私はけっこう覚えているほうだと思うけれど、全てを完璧には覚えていない。そもそも贈ったプレゼントを思い返すことなんて、こんなときくらいしかない。
プレゼントは貰ったときが一番嬉しいもんね。包装紙に包まれているときが一番いとおしい。たとえその中身がどんなに期待以上でも、期待以下でも。
インターネットの情報をなんやかんやと自分のなかで正当化して、プレゼントを捨てることにした。一度捨てるともう躊躇はなくなった。
ゴミ袋のなかに、プレゼントを捨てる。「今までありがとう」とつぶやく。プレゼントを贈ってくれた相手にではなくて、そのもの自体にお礼をいう。
全然好みじゃない貰いもののなかで、私が唯一捨てられなかったものがある。キューピーちゃんの起き上がりこぼしだ。
ピエロみたいな服を着た、手のひらサイズのキューピーちゃんだ。
今はもう亡き、ひいおじいちゃんが病室で私にくれた。
あれはもう何年前のことだろう。私の年齢がまだ一桁のときだったかな。
もう記憶も曖昧だけれど、日が差す真っ白な病室の真っ白なベッドの上にいるひいおじいちゃんが笑いながら私にくれた気がする。
ニュース番組ばかり観ていたひいおじいちゃん。顔を思い出してみると、けっこう厳粛な顔つきをしていた。でも記憶にあるのはすべて優しいひいおじいちゃんだった。
実家の自分の部屋。戸棚を開くといつもキューピーちゃんがいる。戸棚を開くたびに目があう。
在学中の4年間、キューピーちゃんは私だけの縄張りを侵すことはできなかった。
就職が決まって、私はまた一人暮らしをする。もう一度縄張りを作り直していく。今から着々と計画を立てている。
次の縄張りには、キューピーちゃんの領域も作ってみようか。
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