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パリでの宿は妹が予約したのだけど、10日の夜に到着するのになぜだか11日からしか宿を取っていなかった。10日はどうすんの?ときいたら、税理士さんがいいって言うっちゃもん、と意味ワカラン返答。あちらの空港に到着して入国審査中何とかあわてて宿を取ったが、怪しげな恐ろしい宿だった。

モンマルトルの丘の階段にはひとびとがたいそう多くいました。 それはまるで、百年の秋がいちどにやって来て森じゅうが胡桃だらけになったやうだったと、栗鼠はいったのでした。

それからというもの、おじいさんとおばあさんは、エトワール凱旋門をものすごく近くで撮るのでした。

パリの西のはずれのお店に売っていた橇。 木偏に毛が3つでソリである。

エッフェル塔から歩いて老舗のチョコレート屋へ向かっている途中に出会った木製のドア。 おそらく一つ一つのデザインに何らかの意味があるんだろうなぁ、と何もわからずカメラを構える。 ものごともいちごいちえのかみひとえ。

「ルーブル美術館はもともと王様のお城だったんだけど、その前は敵が攻めてきた時のための砦だったんよ。でさ、上のあのガラスのピラミッドを作る時にさ、掘ってみたらこれが出てきたんだって。で、当時の石工たちは歩合制だったらしくて働いた証拠を残すために自分のマークを石に刻んだんだとさ」

パリに行って食べたかったものがタルタルステーキ。ステーキと言いつつぶつ切りの生肉に卵黄とスパイスとタマネギとネギのような野菜。そして付け合わせのフレンチフライ。このタルタルにスペインワインっぽいハウスワインの赤を合わせたのだけれども全速力で走りたくなるほどのうまさであった。

猫に話しかけるとすり寄って来て、そして店へ入っていった。 「猫はこの店の猫ですか?」 朝ご飯を買う時に訊くと、おじさんは肩をすくめ、英語はわからない、と残念そうな顔。「ネコですよ、ネコ、ほら、そこにいたネコ」外を指さすと「ああ!猫ね!あいつはいま地下室で寝てるよ、働かないんだ」

パン釜のようなものを、パリの建物の下の方にたくさん見かける。 石材建築ばかりなので、ここで薪を焚いて建物全体を暖める暖炉のようなものだと勝手に思っていたけれど、調べてみた。どうやらこれの中には、ガス管とメーターがあるらしい。

モンマルトルのとあるアパート。 ここの一室には、テオというオランダ人青年の兄が住んでいた。 兄は絵を描いていたが、弟のテオだけが彼の絵を買った。

セーヌ川にかかるサンミッシェル橋でぼんやりしている。1キロくらい離れたところに、鳥たちの雰囲気がする。直感的に「コレハイケルッ」と思い、たまたま持っていたバケットの切れ端を、セーヌ川へ大げさに放り投げて、口笛を吹く。しばらくするとたちまち数十羽のカモメたちに囲まれた。

宿はモンマルトル付近なので、そこを拠点にして歩いたり走ったり。町なかの普通のパン屋や本屋や花屋が、やたらにかわいい。 と、思いきや、向かいの通りの路地に入るとスラム街のような空気感になり、一気に雰囲気が変わったりする。 日本のいつもの普通の安全は世界的には異常なのかもしれない。

「ルーブル美術館は予約購入必須!40分くらい並ぶことになります!」 どのサイトにも旅行本にもそう書かれている。けれども、この日のここは驚くほど空いていて、わたしたちはだいたい四秒くらいで入館できた。 サモトラケのニケは、潮風を受け、まとった生地がはためき、海の匂いがした。

旅さきにあるちいさな日常にふれるのがすきだ。 クリスマス前のパリの百貨店のショーウィンドウは、通りすがりの人びとの足をとめるためのさまざまな工夫がなされている。 小さな子どもからおとし寄り、そして犬までもが、わくわくするそれにこころおどらされ、足や前脚などをとめてしまう。

大正の終わり。 フランス帰りの日本人がとあるお菓子を持ち帰ってきて、それをもとに神戸であのお菓子が生まれたそうな。そう、それが皆さんが幼いころに親の目を盗んで台所でこっそり食べたゴーフレットである。 ちなみにこちらのお店は1761年創業。 その日本人も、これを食べたんだろうか。

中学生の甥っ子二人を連れて、マレ地区のあたりからルーブルへ向かう。サン・マルタン通りを南下してシテ島へ。そしてフラワーマルシェのあたりで甥っ子二人をまく。 不安そうな声でライン電話がかかってきたけれど、ふたりでルーブルへ来なさいと伝える。  ふたりを待つ間の夕暮れルイ14世。

映画「アメリ」に出てきた八百屋。 この店の3階だか4階だかがアメリの部屋だったはず。

おしっこを我慢して凱旋門からトロカデロ広場へ徒歩で移動。パリはトイレが少なすぎる。 エッフェルタワーの見えるカフェ Café du Trocadéro にて排泄ののち、クロックムッシュートリュフにむしゃぶりつく。 わたしはパリでいちばん、はらぺこだった。