台湾に行ったとき、市場にも寄ったんだけど、結構カッコいい服あった。九份も景色は良かったな~。平和でありますように。
読書をエンターテイメントにするというのは、活字の持つ重みを隠した言い回しなんじゃないのかなと思ってしまう。読書って必要に迫られてやるものでもないし、脳のキャパ通りにしか読めないから、何かを乗り越えられるという発想で読もうとすると挫折してしまう事は肝に銘じておきたい。
わっきゃいさんとパックンさんとのディベートは、終始わっきゃいさんが気持ちが昂っている様子が窺えた。YouTubeで検索すればすぐにヒットする動画だが、内容はといえば、パックンさんは受け身でかわし、わっきゃいさんがドンドン押しまくる感があった。そうだな、相手の文化を叩くのはなしだ。
DJまるさんの容体が心配だ。結核とは一大事だから。こう言っちゃあなんだが、少し働き過ぎたのではないかと思ってる。東南アジアと日本を行き来して、本人の知らぬ間に身体にストレスを抱えたのかもしれない。でもミュージシャンである以上、あまりゆっくりともしてられない。も少し休ませてあげて。
真剣に取り組むってなんだ?それは自分にとって意義の有無で取捨選択される程、軽々しいものか?重荷なのか?私は、今一度問い直したい。今目の前の事にぐずる前に、自分の取組みが過去一か、絶えず思いを致したい。
大事にしてるのは、やるのは自分だからなるべく早く独り立ちして仕事に貢献するという事。僕の価値基準は人のやり方を吸収し、自分にしっくりくるときはそれでやる。仕事の思いというのは重く、中々中身まで書けないのだが、外形的には今以上の勉強であることは間違いない。
政治家の在るべき姿が清廉潔白だったというが、昔から比べたら遥かに昨今の方がマシになったという評価であると思っている。歴史家がどう評価するのか、その結論を待つほか我々一般人にはないが。田沼の後の松平定信じゃないが、政治には変革と安定の2フェイズがあるのは、代々の伝統であると思う。
岸田総理の支持率が危機的という。所得税減税はzに良いようにあしらわれ、政策に次ぐ政策が裏目に出る訳だが。日韓関係は前にも書いたが、あくまで尹大統領の辣腕ぶりのおかげである事と、ウクライナ危機は米国追随、イスラエルハマス紛争は見当違いの仲裁といったところで、先ず国内も国難である。
一人っ子は精神に問題があるとか、勝手なイメージを作ろうとする一定勢力に屈しないで欲しい。時代に反する示威的情報戦略に負ける訳にはいかないだろう。そういった意味で、中高六年間という差別の専横がなされる期間で、反骨心ひいては反発する正義の心を養って欲しい。心の自由までは責められぬよ。
報道ベースででしか判らないが、日銀が金融政策を変える程の物価高なのか。そして円安を赦せないという人間がいる事に輸出企業はどうなってもいいのか?というか、賃金上昇がどのような経路で実現できるのか、国は頭を下げる以外の具体的な行動を求められてる事に気づくべきだ。
所得税減税が時限付きで思った以上に評判が悪い。岸田政権の思い切りの悪さは政策へのコミットが薄いからだと思っている。岸田総理自身が本当にやりたい政策は何なのか、本音でぶつからないといけない。そしてそもそも新しい資本主義とはどういうものか、今一度具体性をもって深めて欲しい。
井田良先生のX観て、イケメン学者とはかくあるものなのかと再確認させられた。というか高橋則夫先生の虫を◯したら殺虫剤はウケない要素は感じない。我が恩師もギャグは鋭い方なので、同系列として時代の混沌をぶった斬っていってほしい。
辛い事が続くと、絶望的になるけど底につくと後は上がるだけとはよく言ったもの。諦めぬ心が環境を前進させる。前を向こうと健気に思う事って大事なんだって皆が言ってる。
イスラエル対ハマスの戦いをもっと拡大してイスラエル対イスラムの戦いの構図に持ってこうとするのはイランと言われてる。エルサレムの奪い合いだという本来のパレスチナとイスラエルの衝突は最早単なる領土問題から複合的な世界規模の戦争に繫がる虞がある事と米国以外の諸国も認識しなければ。
違う価値体系の中で各々育った人というのは、折り合えぬ部分は当然出てくる。ましてや違う言語の人とは寧ろ妥結点を見出すのが難しい。その中で人との繋がりを大事にするのは、口先だけでは出来ないだろう。だからこそ、私は実際に行動するという、心の力学を活用したい。受け止め、返すやり取りを。
良く君は腹割って話せる友はいるか?という問いがあるが、んなもんあるなら当然要らぬ質問である。いるかもしれない、がそれを人に一般化されても困る。先ず自分の考えが世の中とズレが生じていると体感出来ているのであれば、それは教育の成果である。頭の中で相対化出来るのは、日々の努力から。
真剣に人生を考えるとき、まず大学進学がコスパ悪いと言われると困る。高校までの勉強が要らないとかそういう事じゃない。昨今就職予備校と騒がれる大学という機関が研究機関としての意義を発揮できないのは、実は教育のニーズと経済界のニーズがズレてきてると前々から指摘された通りの現象が起きてる
大学になんて行きたくないと高校生に言われたら、どうすんだ?未だ結論の出ない問いだが、自分なりに説得する義務というのはあるのではないか、そう思ってる。小学生や中学生ならいい。まだ時間的ゆとりがあるから、説得に窮する事もなさそう。でも高校三年とかでそれ言われたら、どう説得するのか?