「という」依存症——それは文の病 自分が気づかないうちに「という」つなぎを乱用した文章を量産すること 書き手にとっては息継ぎ的存在なのに 読み手にはただじれったい存在でしかない(ワンテンポ置かれるため) このギャップに気をつけたい
半年ほど、ブレない生き方を感じるnoteの#日記を読んでいる。続けて読んでいると、その時の自分を炙りだしてくれることが分かってきた。ダサい自分、ブレブレの自分、自分大好きな自分だったり、見えていない自分とか見たくない自分を炙りだしてくれる。それをどうするかは自分次第なんだよね。
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