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【劇評210】勘九郎、七之助による追善となった『猿若江戸の初櫓(さるわかえどのはつやぐら)』

 歌舞伎には、寺社が設立された経緯を構造として組み込まれている演目がある。『摂州合邦辻』は、大坂、四天王寺にほど近い月江寺建立。『三社祭』は、江戸、浅草、漁をしていて観世音菩薩像をすくいあげ、三社様の本尊としたという枠組みがある。中世の説話や説経節を日本の藝能は引き継いでいる証しだろうと思う。

 ならば、江戸から綿々と繋がる歌舞伎の家系を寿ぐために、ある種の神話を新たに作ってしまおう。こうした新作舞踊ができたのは、先の伝統に連なる作劇の方法の流れがあるのだと思う。

 今月の第一部で上演されている『猿若江戸の初櫓(さるわかえどのはつやぐら)』(田中青磁作)は、初世中村勘三郎が江戸三座のはじまりとして、江戸中橋に中村座を開いた歴史を踏まえて、昭和六十二年に作られた。

 このとき猿若を演じたのは、のちの十八世勘三郎、当時の五世勘九郎である。このとき、十七代目勘三郎は健在だったから、勘九郎は、長く絶えてきた勘三郎の名跡を継いで、ふたたび歌舞伎界の中央に立った父の業績を寿ぐために、この「縁起」をもとにする舞踊を構想したのだろうと思う。

 この十七世の三十三回忌の追善は、昨月行われたから、今回の上演は、現・勘九郎、七之助による父・祖父への追慕と思うと感慨が深くなる。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。