今となっては、俳人としての名が高いけれど、久保田万太郎は、演劇評論家としてそのキャリアをはじめて、小説家、劇作家、演出家として昭和の演劇界に君臨する存在になりました。通して読むと…
¥880
- 運営しているクリエイター
2020年5月の記事一覧
落第するや、そんな学校にゐるのはいやだから、慶應義塾の普通部へ転じた。(久保田万太郎、あるいは悪漢の涙 第八回)
明治三十九年、万太郎十六歳、府立三中(現東京都立両国高校・付属中学校)の三年から四年に進級するとき、代数の成績が悪く落第する。 「……なぜ代数の点がたりなかつたかといふことは、"しきりに文学に親しん"で、ちつともその方の勉強に身を入れなかつたからである。後に、ぼくは、この間のことを扱って、"握手"、並びに、"東京の子供たち"といふ小説を書いたが、そのとき、落第するや、そんな学校にゐるのはいやだから、慶應義塾の普通部へ転じた。」(万太郎「明治二十二年ーーー昭和三十三年・・・
¥100