一夜だけブックチャレンジ
五月五日から季語の上では初夏と聞いて驚いた。
夏めいた日差しに誘われて、神保町まで歩いた。
東京堂書店が開いていると知ったからである。
早く用事をすませようと、電動自転車でいく旅とは視界がことなる。
水道橋のなかほどで立ち止まって、川面を見た。
東京都立工芸高校を振り返ると、神田川にまぎれもなく橋が架かっていると気がついた。アーチが連なり、みずを湛えていた。
今日は、六冊の本と一袋を東京堂で求めた。
ひとふくろというのは訳がある。東京堂と早川書房のコラボレーション企画で、トートバッグを売っていたのでつい手が出た。
デザインは、早川書房のデザイン室。表には、東京堂のロゴマークが金色で入り、裏には、コナンドイルのシャーロック・ホームズからの引用がある。家に帰って調べてみた。
You did not know where to look. And so you missed all that was important.
見るべき所を見ないから、大切なものをすっかり見落とすのさ。『花嫁殺人事件』。
ピアニストのとりすさん、ベーシストのきりんさん、シェイクスピア学者の杣人(そまびと)さんと連句の会を立ち上げた。
だれもが連句に触れたことがなく、手探りの遊びだが存外楽しい。
ライバルに先んじようと欲が出て、文庫の棚から山本健吉『ことばの歳時記』(角川ソフィア文庫)を見つけた。
単なる初学書ではなく、季語の周辺をゆるやかに旋回する文章にひかれた。俳句といえば、角川書店の思い込みが私たちの世代にはある。
歌舞伎学の泰斗、古井戸秀夫先生の『鶴屋南北』(吉川弘文館)が、新刊の平積みになっていた。奥付を見ると四月二十日になっている。
古井戸先生には大著『評伝 鶴屋南北』(白水社)の上下巻がある。容易には読み通せないボリュームだが、この人物叢書の一冊は、その縮刷版、エッセンスと見て取って、小脇に抱えた。
エレベーターで三階にあがるが、ふとためらって二階へ下りる。夕方の東京堂は、再開を待ちわびた読書人が集まっている。かといって三密というべきほどの人ではない。向かい会う二双の棚をひとりじめできる。
美術のコーナーでギルダ・ウィリアムズ『コンテンポラリーアートライティングの技術』を見いだす。これが「コンテンポラリーシアターライティングの技術」だったら、あえて無視したかも知れない。
勤務先の大学で、学部一年生向けに、アーティストステートメントを書くための講義を持っていることもあって、何かの参考になるのではないかと思って購入。
アメリカらしいプラグマティックなハウツー本だが、技術を体系的に教えるのはむずかしい。私自身も授業も、体験的、直感的になっているのではと反省しているので、きっと役に立ってくれることだろう。
帰り際に、小笠原正勝『映画と演劇 ポスターデザインワークの50年』を見つけてぱらぱらと。
映画や演劇のポスターは、担当宣伝の思いとデザイナーが真剣勝負をする場だと思う。
一枚、一枚のポスターが完成するために費やされた対話、その熱き声が聞こえてくるかのようだ。通常の興行だけではなく、映画祭・特集上映作品のポスターも収められていて、さらに熱い。
一階に下りて、東京堂名物の平台をもう一度見直す。みすず書房から、ハンナ・アーレントの新訳が続々と刊行されている。
『アーレント政治思想集成1』。
ウィーンのレオポールド美術館の隅には、一枚の写真がある。市庁舎で行われたアドルフ・ヒトラーの演説に熱狂するオーストリア国民を俯瞰で捉えている。決してあのときのことを、なかったことにはしない。そんな覚悟が伝わってきたのを思い出した。
ハンナ・アーレントは、かなり初期から、ドイツのユダヤ系市民の運命を案じていたとこの本にあった。
東西ドイツの壁が崩壊する寸前、取材のためにドイツ文学者の池内紀先生と、ベルリンを旅した。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。