「200字の書評」(344) 2023.6.10
こんにちは。
梅雨入りです。
雨上がりの紫陽花はイキイキと輝いて見えます。夜来の雨があがった朝の散歩で、嬉しいのは花々が語り掛けてくるような感覚にとらわれることです。
漢詩に
「渭城朝雨浥軽塵
客舎青々柳色新
勧君更尽一杯酒
西出陽関無故人」
とあります。
「渭城の朝雨軽塵を潤す
客舎青々柳色新たなり
君に勧む更に尽くせ一杯の酒
西の方陽関を出れば故人なからん」
と読みます。
唐の詩人王維が辺境に使いする友人へのはなむけの七言絶句です。
散歩で雨に濡れた草花を見ると、この一編を思い出します。もう40年も前になるでしょうか。確か上海で古字体に惹かれて買った掛け軸です。帰ってから床の間にかけて、よく見ると添え書きに疑問が一つ。早速吹野安編「唐代詩選」を開いてみると、やはり間違いがありました。鑑定団なら1,000円と言われそうです。今も時折床の間を飾っていますが、それもまた懐かしい思い出です。
優れた文学的センスを持つかの国が、強権的であることに悲しみを覚えます。 梅雨の日々、読書と思索にあてたいものです。
さて、今回の書評は700万年を遡ってみました。
篠田謙一「人類の起源」中公新書 2022年
ホモ・サピエンスとは賢い人だという。地球の惨状を見るに、本当に賢いのだろうか。約700万年前が人類の起源とされる。近年研究が進むゲノム解析により、分岐し広がっていく流れは徐々に解明されつつあり、近縁のネアンデルタール人、デニソア人などとの交雑が示される。遺伝子は民族、人種の別の無意味さを教えてくれる。悠久の地球の歴史を思うとき、人類の時代の何と短いことか。彼方から、謙虚に生きろとの声が響いてくる。
【水無月雑感】
▼ 日本人の忘れやすさは天下に並ぶものはないようだ。12年前に国土の東半分が壊滅しかけたあの原発事故を経験し、サヨナラ原発を誓ったはずなのに。老朽原発を60年超えての運転を認め、新設さえ容認する法を制定してしまう。国民はそれを推進する自公政権+追随勢力に支持を与える。とても「賢い人」とは思えない、返上の時期かも。
▼ マイナンバーカードに関して、混乱が拡大している。本来取得は任意のはずなのに、無理やり持たせようと飴と鞭で駆り立てる。野蛮極まりない強権的行為である。健康保険証を人質にするなど卑劣である。厚顔無恥なコウノタロウの態度には嫌悪感を覚える。トラブルは自治体と健保組合、IT会社に押し付ける。拙速さと強引さこそこの混乱のもとである。太郎と言う世襲政治屋に碌なのはいない。
▼ 「人類の起源」を繙いて、大学での人類学の講義を思い浮かべ、次に高校時代の生物と地学を思い出した。理系でこの二つは好きだったので、もし物理と数学が不得手でなかったなら理系に進めたのかなと妄想した。ヒトは何故ホモ・サピエンスが現代につながり、他の系統は絶滅したのだろか。遺伝子だけではなく、文化の痕跡も残っている。この何故を解明してほしいものだ。
▼ 入管法改正(改悪)案が国会を通過した。この法律は禍根を残すことは間違いないが、その当否とは別に気がかりがある。アベ政権以来顕著になったことは、国会が言論の府としての機能を喪失して、多数派の翼賛機関になっていることである。憲法41条は「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。」と規定している。その尊厳は保たれているのだろうか。閣議決定を乱発し、国会での議論は形骸化、「お答えは差し控える」が常套句になってはいないか。民主主義国家の装いすらかなぐり捨ててはいまいか。
▼ ウクライナ戦争の終わりは見えない。ダムが決壊し下流では水没の危機が、一方では原発の冷却水不足が心配される。G7が武器供与をはじめ支援を決めたが、和平と生活再建に真剣に取り組むべきであったのではないか。もはやG7が世界を主導する時代ではない。他の勢力と協調して、世界の分断ではなく平和構築の先導者であってほしい。「不正義の平和だろうが正義の戦争よりは、よほどましだ」(機動警察パトレイバー2 the Movie)と思うのだが、どうだろうか。
<今週の本棚>
藪田貫「大塩平八郎の乱」中公新書 2022年
大坂町奉行所の元与力で高名な陽明学者でもあった大塩は、何故武力による世直しを企てたのか。学校で習った大塩平八郎の乱とは違う様相が見えてくる。幕政の行き詰まりとともに庶民の困窮は深まる。与力として何度か幕政への建議をするものの、到底届くものではない。身分的には下級の地方官吏でしかない大塩にとって、身分制度への憤りが爆発の域に達したのであろうか。
★徘徊老人日誌★
5月某日 前回紹介した鈴木敏夫さんの蔵書が何と8000冊。丁度友人からの唆しもあり、拙宅の本棚を総ざらいしてみた。昨年来相当数を処分した経緯もあって、果たしてどのくらいか数えてみると、答えは約2000冊という結果。熟読し理解しているのは、そのうちどの程度かは大いに疑問。
6月某日 従兄弟の命日。2年前に寂しく世を去った彼の墓参りに出かける。母の実家筋で昔からお世話になり、縁が深いので欠かせない。雨空を気にしながら都内に向かう。永田町で有楽町線から半蔵門線に乗り換え錦糸町へ。少々混んでいた、吊革につかまって本を出して読み始めると、前に座っていた体格の良い爽やか系の若者がスッと立って席を譲ってくれた。お礼を言って座らせてもらう。今時珍しいなという感動の次に、周囲から見ると自分は十分爺さんなんだと自覚させられた。帰宅して家人にこの話をすると、当然よとばかりに笑われた。
6月10日 本日は時の記念日、天智天皇が漏刻により時刻をはかった故事による。この真偽は置くとして、「とき」とは何だろうか。宇宙論では時間と光は密接不可分な関係にあると、勝手に理解している。時計で測れる時間と「とき」は同じなのだろうか。「とき」の流れは私達に何を問いかけているのか。
コロナ感染拡大の兆しあり。梅雨前線の停滞、それに呼応するかのような巨大台風の接近により豪雨被害発生。ハザードマップを開き、周辺の状況を確認しておきましょう。同時に危険を察知する感覚を大切にしてください。
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