「200字の書評」(359) 2024.3.25
こんにちは。
井上陽水は「だけど問題は今日の雨 傘がない」と歌ったが、昨夜来の氷雨が降り込めています。春というのは何と気まぐれなのでしょう。行ったり来たりの勘違い。いや「一歩前進二歩後退」春物に着替えたり、慌ててダウンを着てみたり、定まらぬ空模様を見上げて嘆いていては被災地の方々や戦火に逃げ惑う人々に申し訳ない。雪混じりの寒風に晒されている地震の避難者には生活再建の展望はあるのか。イスラエルの容赦なき野蛮な攻撃に、生命の危機生きのびるすべさえ奪われているパレスチナの難民は何を思うのか。ウクライナ戦争はいつ終わるのか。惑いは深まる。
自公政権は共同開発中の戦闘機の輸出をも可能にするとの報に接し、平和国家の根底が揺らいでいることを実感しました。先日郵便局からユニセフなどに振り込みながら、しみじみと無力感と怒りを噛みしめました。
さて、今回の書評は「知の巨人」と称される立花隆とは何者だったのかについての考察です。
高澤秀次「評伝 立花隆」作品社 2023年
知りたい、調べたい、書き記したい、そんな欲求に突き動かされ、果てしない旅をする万能知識人と著者は評する。知への探求は文理の壁を越え、宇宙と生命の本質に迫ろうとし、類い稀な文章力で記録される。科学技術への思い入れの強さは、原発推進に傾いたり自身の遺体をコンポスト化することを主張するほど。私生活の混乱と合わせると、本名橘隆志が立花隆に変成する過程にこそ、彼の無思想ぶりと哲学の危うさも読み取れる。
<今週の本棚>
水谷千秋「教養の人類史」文春新書 2023年
教養をテーマに人類の歴史を概観してくれる。冒頭の「知の巨人たちの求めたもの」は本書の入り口として興味深く、その切り口が独創的でその後の展開に期待感を持たせる。人類史の構造として柄谷行人の交換様式論を平易に説いて、歴史論として構成しているのは面白い。現代の抱える問題は過去の歴史にその根源があり、その解決の道も歴史から学ぶべきと説いている。
野村泰紀「なぜ宇宙は存在するのか」講談社ブルーバックス 2022年
宇宙人いる派としては宇宙の果てがいつも気になる。時間と空間という組み立ての中では、その問いは無意味らしい。ダークマターやダークエネルギーの解明はどこまで進んでいるのか。その候補が幾つかあることがわかってきている。でも、確実な解明には至っていない。地道な研究によっていつの日か壁が破られるのを期待したい。それにしても我々の宇宙は無数に存在する宇宙のうちの一つでしかない、また次元が10以上も存在するとしたら、それは数学的に証明されるという。彼らの頭の中は一体どんな構造なのか疑問だらけ。天文学者と理論物理学者の違いなども語られ、驚きの連続だった。
前田和男「昭和町場のはやり歌」彩流社 2023年
もう30年以上も前、「歌に思い出が寄り添い、思い出に歌は語りかけ、そのようにして歳月は静かに流れていきす」と中西龍アナウンサーの名調子で始まるNHKラジオの番組に「にっぽんのメロディー」がありました。それを思い起こさせる、流行歌と時代の絡みを表から裏から読み解いている。歴史の裏読みと斜めからの突込みが鋭い。そのやぶにらみ感は元東大全共闘らしさ満開である。国鉄に郷愁を感じる者としては、「あゝ上野駅」と「いい日旅立ち」の解釈に興味を惹かれた。また「沖縄を返せ」は「沖縄に返せ」が正当だとする主張に同意する。
【弥生雑感】
▼ 強風の朝、ゴミ置き場の先、線路の向こうに富士山が望める。寒い朝ほど凛然と純白の姿を現し、凍える心を励ましてくれる。混乱し汚辱に満ち厚顔無恥な輩が跋扈するこの社会から、画然とあるべき姿を示しているような気がする。寒い寒いといいつつも、周囲の道端や庭先にはハクモクレンと辛夷が開き、水仙の黄色、花桃のピンク、雪柳の白が目に沁みる。春はもうすぐ、気を取り直そう。
▼ 郷里の友人の体調がすぐれない。昨年来不調で何度か入院を重ねている。何とか乗り切ってほしい。そんな思いを込めて、先に逝った親友に力を貸してほしいと祈っている。夫婦相和して(バトルし)きっと回復し、楽しい語らいが実現することを確信している。
▼ 水俣病問題に関して熊本地裁の判決が反響を呼んでいる。要するに水俣病患者としての認定を求めたのに対して、それを否定し国の責任を認めなかったのである。ここで問題にしたいのは司法は何のために存在するのかということである。歴史を遡るまでもなく、国の責任を追及する提訴や米軍の存在への疑念に対しては一貫して腰が引けている。むしろ国(政権)と超憲法的存在である米軍への拝跪すら感じさせられる。それは沖縄に対する一連の判決をみれば明らかであろう。仄聞するに裁判官には国権を優先する派と国民に寄り添おうとする者がいるのだろう。もちろん司法は国家権力の一翼であることは承知の上だが、前者が主流であり後者は出世は出来ない。無謬を至上命題として横車を押す検察同様、前者を法匪と呼びたい。
▼ 禍福は糾える縄の如し。絶頂期を迎えつつある大谷選手の足元に陥穽があったとは。影の如く寄り添っていた水原通訳がスポーツ賭博に関与した疑惑が報じられた。ドジャースは即時水原氏を解雇したのこと。詳細はわからぬが野球史上不世出の選手である大谷にとっては青天の霹靂であろう。彼の野球生命に暗雲が漂わねば良いが。真相は如何に?!今後の調査が待たれる。
☆徘徊老人日誌☆
3月某日 国道沿いの大型電気店にて見切り品のデスクトップ型パソコンを購入。使用中のノートパソコンは息子のおさがりで、最近は時々ご機嫌斜めになり困惑してしまう場面が少なくない。この書評も送れなくなるかも(その方が平和でよい、との声あり)。丁度帰省中の息子の見立てで、性能価格ともに合格点とのこと。設定を後日するのでそれまでアナログ人間は触るなと厳命される。
3月某日 夜半に降雪。朝方は庭先が白くなっていた。ベランダの雪を掻きよせ、溶けやすくしておく。雪はいじればいじるほど溶けやすくなることは経験上知っている。白い世界もすぐに元の色。
3月某日 バイクの廃車手続きのため所沢車検場へ。もう30年以上も前に自車のナンバー変更のため行った記憶があり、関越高速所沢インターを出て浦所バイパスを所沢方面に向かう。以前より広く綺麗になっていた。ABCと3棟の建物があり、それに従って事務処理をする仕掛けになっていた。何とか用をすませる。帰りは富士見市方面に向う。昔なじみの見知っていたはずの街並みの変化は大きく、画一的なロードサイド店舗群が櫛比していた。富士見市勤務時代に交錯した人々の顔が浮かぶ。感慨にふけりつつ川越市を経て帰宅。
3月某日 やや北風の弱まった昼下がり、家人と近くの桜堤に花見に出かけた。車で15分程の越辺川(おっぺがわ)沿いの河川敷に造成された「安行ヒカン桜」の並木である。平日なのにツアーバスさえ乗り入れていてかなりの人出であった。卒業式帰りの子連れ家族、犬愛好家のグループ、中国人らしき団体などが群れを成していた。埼玉県でもマイナーな地域であるのに地元民以外にこんなに客が来るのかと、半ば呆れながら1.5kmの並木を往復する。タキシードとドレス姿のカップルが2組ポーズを決めて写真を撮っていた。結婚式の事前撮影なのだろうか、肩を出したドレスで寒くはないのか、レンタルであろう長いドレスの裾は引きずって汚れないのか、老人は気になる。余計な懸念を抱きつつ、染井吉野の様な華やかさとは違う趣きの花の盛りを楽しんだ。
3月某日 いつもの散歩道、高麗川堤防の斜面は菜の花の黄色に染められていた。目の前を白いものがチラチラ、ついに目に来たかと思いつつ目を凝らすと白い蝶々が舞っている。菜の花に白い蝶、幻想的な一瞬だった。
年齢の故か眠りが浅く、チョコチョコ夢を見る。でもその多くは覚えていない。確かに夢の世界にいたはず、時には登場人物も場所もはっきりと思い浮かべられることもある。妙にはっきりとした懐かしいシーンと厭な場面もある。こうした夢の功罪は那辺に。
季節が落ち着きません。花粉もまだまだです。永田町霞が関界隈では精神衛生上よろしくないことに満ち満ちています、どうぞお元気でお過ごし下さい。
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