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「200字の書評」(308) 2021.12.10



こんにちは。

日没が早くなりました。夕景を楽しむどころか、アッと言う間に闇が押し寄せてきます。低い太陽は運転の深刻な敵です。丁度目の高さに赤めいた光が差し込み、前方が見えにくくなります。高齢者が絡む交通事故が多くなっています。ご注意ご注意です。

一昨日12月8日は太平洋戦争開戦の日です。日中戦争の泥沼化に向き合わず、国力に悲しいほどの差があるアメリカに戦いを挑み、その結果はご存じの通りです。国民だけで310万人を超す死者を出し都市は焼け野原、農業も工業も壊滅的状況でした。アジア全域では数千万人に被害を及ぼしました。天皇制の下での軍部の専横が招いた惨劇です。希望的観測を現実と取り違え、客観的な判断を軽んじる思考方法に注意を向けるべきです。
東條内閣で開戦詔書に署名した閣僚の一人、岸信介は安倍晋三の祖父です。占領軍により一度はA級戦犯容疑で巣鴨プリズンに収監されましたが、どういうわけか釈放され首相にのぼり詰めました。CIAとの密約さえ噂されています。

さて、今回の書評はアフガニスタンについてです。著者はアラビア語に堪能で、イスラム法学者です。物事は両面から見るべきと感じます。




中田考「タリバン 復権の真実」ベスト新書 2021年

私達は随分考え違いをしているのかもしれない。イスラムとは単なる宗教ではなく、政治社会制度であり、生活の規範、文化そのものであることを本書は教えてくれる。西欧的民主主義とは違う世界が存在し、価値観は多様であることは確実である。アフガニスタンは帝国の墓場、ソ連も米国も惨めな撤退をしている。米軍が去ると同時に、否それ以前からタリバンが事実上全土を掌握していた。この事実と向き合っていかねばならない。





【師走雑感】


☆阿房列車―帰郷篇☆


第6波が来る前にと、家族に勧められ先月思い切って釧路に向かいました。


11月某日 午前3時起床。身支度を整え、難逃れのお茶を飲んで家を出る。まだ真っ暗、寒気が身を包む。キャリーバックの音が未明の家々に響いている。


4時35分坂戸駅南口発高速バスに乗車。さすがに乗客は少ない。いつもなら20名以上は乗っているのに。羽田空港には6時前に到着。ひげを剃り洗面し、待合室の椅子から赤く染まる空を見上げる。


7時40分エアドゥ釧路行離陸。9時20分到着。レンタカーを借りて勝手知ったる土地に乗り出す。まずは、空港にほど近い阿寒町に住む高校時代からの友人宅へ。以前は市内に住んでいたが、郊外に広い土地を求めて晴耕雨読?の隠居生活。近況(と言っても健康と老いについてだが)と友人達の動静(これまた同級生の体調と訃報が話題)を確認する。生きているうちにまた会おうと約束して別れる。


次に向かうのは両親の墓参り。これが今回の本筋。湿原を横断する道路を抜けて、釧路川沿いの段丘に位置する墓苑へ。遥かに噴煙たなびく雌雄の阿寒岳を望み、眼下には湿原が広がる墓前に手を合わせ、無沙汰を詫びる。母の実家筋に当たるY岡家の不幸を報告する。私の1歳下で幼時より仲の良かった長男が逝去。彼は終生独身で残された高齢(97歳)の母親の処遇など、一番親しい親戚である私が行った一連の措置の了解を語り掛け、母としばし対話する。悲しみがこみ上げる。


墓苑を後に、Y澤家へ。仏壇にお参りさせてもらう。高校大学が1期上で水産仲卸業、釧路での土建屋時代にはずいぶん力を貸してくれた。夜の繁華街の顔でお姐さん方には人気があった、当時は勿論帰郷するたびに遊んでもらった。Y子夫人は旅行中のため、娘とその息子を相手に話を暫時。


もう一軒お参りする前に、市立博物館へ。旧知の学芸員の顔を見ようと思ったが、あいにく非番。連絡してはいなかったので已む無し。丁度展示していた昭和20年代の釧路の新聞記事を読んだ。興味深く懐かしい記事ばかりだった。


M藤家へ。彼もY澤氏と同じ1期上、税理士であり経営上の知恵はつけてくれ、同時に悪い遊びも指導してくれた。仏壇に手を合わせて感謝をささげた。夫人とここでも昔話、家族ぐるみでスキーに行ったりパーティーに参加したり。思い出は尽きない。


北国の日暮れは早い。夕日が港に沈みつつある頃、レンタカーを駅前営業所に返却して、予約してあるホテルにチェックイン。一息ついたころ、友人のH部氏が迎えに来る。途中でサッポロクラシックビールを仕入れて彼の家へ。K子夫人もお待ちかね。心尽くしの御膳を囲み3人で飲み食い語る。旅立った共通の友人のこと、政治の腐敗、経済の不調、郷土の衰退など談論風発、憂国の情尽きることなし。夜も更け、ホテルに送ってもらい眠りについた。


11月某日 寝ぼけ眼で外の冷気を浴びに行く、やはり寒い。朝食を軽く済ませて本日の予定を確認。午前中にK山先生宅を訪問する約束がしてある。駅前のホテルを出て北大通りを歩き始める。往時には栄華を極めた目抜き通りもその面影はなく、シャッターの降りた商店、空き地、構えだけは立派なビルが並ぶ寂しき街並みが続いていた。北海道三大名橋で夕日の名所とされる幣舞橋で立ち止まり港を眺める。漁船が川筋を埋め岸壁が空く(バース待ち)のを待って錨をおろした貨物船で一杯だった港からは、ただ冷たい風が吹いてくるばかり。


橋を渡り、出世坂と呼ばれる急坂を登ると旧官庁街。その先の住宅街にある先生宅の門をたたく。先生は私の一回り上、この春に急性膵炎で入院し最近退院したばかり。お歳なので心配していた。彼は地元の大学で英文学を講じていた教授、先生と言っても生徒であったことも弟子でもない。高校大学が同窓であり、本好きであったことから親しくお付き合いするようになり、互いに本を紹介し合い、時には読書指導をお願いする間柄。お顔を合わせると思ったより元気な様子に心休まった。夫婦ともにスキーが趣味、体調が戻ったらまたまた滑りに行きたいと張り切っていた。これは大丈夫、当分本を介してのお付き合いが継続しそうと思う。病み上がりでは長居は無用。昼前に辞去する。


H部君が迎えに来る。蕎麦の名店「竹老園」へ、昼時は行列ができるのが通例だったが、今回はすんなり座れた。蕎麦を堪能した後は、大型書店「コーチャンフォー」へ、相変わらず豊富な品揃え。しかし思想は感じられない。探していた1冊を購入し、併設の喫茶店でコーヒータイム、今夜への鋭気を養う。


一度彼の家に戻り、K子夫人を乗せて最後のスケジュールである親友宅へ。途中眼下に港を見下ろし市街が一望できる米町公園に佇み夜景を見てから、5年前に旅立った忘れ難き友の霊のもとへ。彼のR子夫人、娘夫婦、こちらの3人で宴が始まる。ここでも飲み食い語る。娘夫婦提供の寿司の美味なこと、やはり水産都市らしい。彼の生前の話題は面白い、言いたい放題で褒められたり悪行が暴露されたり、笑いが絶えない。素敵な時間が過ぎていく。時の流れは止められない、別れを惜しみつつホテルに送ってもらう。


11月某日 朝短い散歩。朝食を済ませてチェックアウト。目の前の駅へ。売店で池田名物「バナナ饅頭」を買う。息子が大好きなので、戻ったら宇都宮に送ってやろう。


8時25分札幌行き特急「おおぞら4号」に乗車。定刻発車。始発なのに乗客はパラパラ、昔は満席で走っていたのに。帰りは釧路空港からの直行便ではなく、千歳経由で羽田に飛ぼうという魂胆。鉄道好きならではの計画。南千歳で新千歳空港行きのエアポートに乗り換える予定。14時発のエアドゥに乗り、羽田からは17時20分発坂戸行き高速バスで帰宅するのが今回の旅の最後の趣向。


計画は良かったが、どこかで狂うのが常。「おおぞら」は快調に走行していたが、帯広を過ぎ狩勝越えを控えた新得駅で停車したままなかなか発車しない。昔はここで急坂の狩勝峠を越えるために蒸気機関車を重連にしたのだが、今は経路が変更になり難所は無いはずしかも蒸気機関車ではない。変だなと訝っていると車内放送が、先の信号所でポイント故障が発生し点検修理が必要とのこと。長引くようなら飛行機に間に合わないと心配になる。JR北海道は経営難と労使関係の悪化で、保線が不十分と以前から指摘されている。釧路のH部君と電話で話す、駄目なら戻って来いと。もしかしたら、もう一晩かなと頭をかすめる。


11時35分頃ようやく動き出す。狩勝トンネルを抜けると、そこは白一色。トマム近辺は銀世界でした。果たして千歳には何時につくやら、ハラハラする。13時10分ようやく南千歳着、すぐに連絡するエアポートに乗り換え空港へ。30分前に手続き完了、機上の人となる。乗客は7割くらいか、羽田への飛行はこともなし。後はバスだ。17時25分バスの座席に身を沈める。これで19時30分には帰宅できる。と、思いきや首都高は大渋滞。結局帰宅は20時過ぎ。


「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」と宣った百閒センセイには及ばぬものの、2泊3日急ぎ旅の阿房列車は斯くの如く感傷旅行。母への報告、友人たちのお参りは無事済ませた。2日間行動を支えてくれたH部夫妻に感謝。


▼ このところ地震が頻発しています。折からテレビでは「日本沈没」が評判です。若いころ小松左京の小説を読み、地球が複数のプレートに覆われていて、それが干渉しあっていることを知りました。宇宙的時間で見るなら当然起こりうる事態です。日本は世界有数の火山国でありプレートがせめぎ合う立地、安逸ををむさぼってはいられないようです。




<今週の本棚>


望月衣塑子「報道現場」角川新書 2021年

スカ官房長官の記者会見に乗り込み、敢然と質問を繰り返す著者の記者魂に感心していた。でも、彼女一人をヒロインにしておいてよいのだろうか。自己規制と忖度が罷り通るメディアの現状を見るのつけ、使命感と勇気を持ったジャーナリストが孤軍奮闘する構図はおかしい。アベスカ政権下で劣化していく報道記者たちの後ろ姿は滑稽でさえある。政治家、官僚の懐に入り込み特ダネを取ろうとする努力が、いつの間にか取り込まれ同じ発想をするようになっていく。テレビでは政権に批判的なコメンテーターが席を失い、ニュースショーと化しているのは情けない。一方では権力の牙の下での、毅然と本分を貫こうとする一群のジャーナリストがいるのは心強い。


江田智昭「お寺の掲示板 諸法無我」新潮社 2021年

お寺の門前には掲示板があり、何やら書いてあるのは知っていた。不信心な私はまじめに読もうとしてこなかった。本書を読んで、無知を恥じる。「生・老・病・死」を仏教では四苦と言い、人が逃れえぬものである。宗教心薄きものながら、本書には教えられ反省させられることが多々ありました。心が安らかになるように感じました。




この時期の郵便受けには灰色のハガキが届きます。”年賀欠礼”友人知人の逝去を知ります。住所録に線を引かなければなりません。侘しい作業です。コロナ変異株がひたひたと迫ってきます。まだまだ油断はできません、マスクは外せないようです。お互い気を付けてこの冬を乗り切りましょう。


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