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「200字の書評」(323) 2022.7.25



暑中お見舞い申し上げます。

とにかく暑く、湿気がまつわりつきます。暑さを避けて早朝に(老人は朝が早い)短めの散歩をします。夏の花百日紅が鮮やかな紅を呈しています。

コロナ第7波襲来、深刻な状況になっています。うっかり人込みには行けません。どうぞ自衛してこの危機を乗り切ってください。政府、行政には危機感が薄いようです。経済の活発化は必要です、同時にどのようにして国民の健康を守っていくのか。国産のワクチンや特効薬はありません。安心できるくらしを提供できるのかが問われます。

ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡を知っていますか。ハッブル宇宙望遠鏡の後継機として打ち上げられ、運用され始めました。先日公開された写真の美しさに息をのみました。まるで花火のようです。130億光年先の銀河からの贈り物です。ほぼ宇宙の果てです。美しさと同時に、その先はどうなっているのか、果ての先には何が存在しているのか。或いは何も存在していないのか。私達が認識する次元とは違う次元になってしまうのか。などなど???が重なります。光速より早い存在はない、空間は重力によって歪むという。もしかすると宇宙空間と時間とは相関関係にあるのでしょう。

違うスケールから見える人間の営みは、何とささやかで愚かしさに満ちているのでしょう。もし高度な科学文明を持つ宇宙人がいたら(私はいる派です)、争いが絶えず、破壊と後悔を繰り返す地球人を見て笑っているのでしょうね。

さて、今回の書評はいのちと老いを考えさせられたエッセイです。




中村桂子「老いを愛ずる―生命誌からのメッセージ」中公新書ラクレ 2022年

理系研究者には、寺田寅彦、中谷宇吉郎など優れた随筆家が少なくない。著者もその一人。分子生物学の研究者ながら、その微細さよりも生命の壮大な"いのち”の物語である生命誌を構想している。生老死という流れは生命の循環であり、それ故に争いの愚かしさ、日常の大切さが語られる。日々の暮らし、孫への愛、人とのふれあいなど、その筆致は優しい。大事な論点はコラムとしてまとめられている。老いも悪くはないかも。




【文月雑感】


▼ 日本は世界146国中116位。これは世界経済フォーラムが公表した「ジェンダー・ギャップ指数」における順位です。先進国は言うに及ばず、アジア太平洋地域でも断トツの最下位です。指数は政治、経済、教育、健康の4分野を分析し算出する。格差が著しいのは政治分野です。退任したドイツのメルケル首相の存在感は大きかったが、現在ではフィンランド、アイルランド、ラトビア、ニュージーランドなど少なからぬ国では大統領や首相として活躍しています。翻って我が国の女性国会議員は微々たるもの、衆議院では9.9%、参議院は28%。地方議会も同じようなものです。人口に占める比率は半々のはずなのに。クォーター制を提起されているが、実現するでしょうか。歴史的に男性中心で進んできた社会そのもの在り方が問われています。比率を論ずると同時に、その政治的姿勢と思想も問わなければならないとも思います。権力者に媚びるように見受けられるタレント議員には、鼻白んでしまいます。


▼ 子どもの背負っているランドセルの重さに驚きました。先日娘宅に用足しで行った時のことです。丁度、汗だくで下校してきた孫娘のランドセルを持ってみました。こんなに重いものを毎日背負って通っているのかを実感しました。しかも水筒を肩から掛け、荷物を抱えての通学です。教科書、ノートは暑く大判になり、タブレットも入っていました。学習内容が高度化多様化して、詰込み型になっているのでしょうか。登下校を身軽にしてあげたい、そう思いました。


▼ 宗教とは何だろうと考えてしまいます。人の迷いと過ちを正し、生き方を教示してくれる。そう思っていました。後期高齢者の年代まで生きてくると、宗教には少なからぬ不信感を持ち、とても信仰しようとは思えないのです。どの宗教(特に新興宗教)を取ってみても、その本山や施設の壮麗豪華なこと。信者は相当なお布施(寄付?)を支払っているのでしょうか。政治的には多くの場合、時の権力に寄り添っているように見受けられます。お金と権力、それに財力。何だかなァ?アベ銃撃事件から見えてくる、カルトと右派政治との関係は不健全。アベ国葬による神格化には反対です。モリカケ疑惑桜を見る会疑惑などは未解明のままです。


▼ ウクライナ戦争は先が見えません。報道は少なめになってきています。国際政治と経済の複雑な絡みの中で、市民生活に深刻な影を落としています。勧善懲悪的なとらえ方には、やや疑問を持つようになってきました。米ロ代理戦争の様相、ウクライナ国内の反動化、ぜレンスキー大統領の独裁化など懸念が少なからずあります。隣国への侵略を仕掛けたロシアには組しません。むしろプーチンの謀略的政治には断固として反対します。プロイセンの軍人クラウゼヴィッツは「戦争は政治におけるとは異なる手段をもってする政治の継続にほかならない」(「戦争論」上 岩波文庫)と書いています。世界の政治的経済的危機はロシアとウクライナにあるのでしょうか。果たして人間の知性は如何に?避難民の不安は深まるばかりです。「不正義の平和だろうが、正義の戦争よりは、よほどましだ」(パトレイバー2)の言葉が響いてきます。絶対的正義とは一体何でしょうか。




<今週の本棚>


渡邊一民「中島敦論」みすず書房 2005年

目が俗事で霞み始めた、これはいかんと本棚を見渡して手に取ったのは、やはり中島敦でした。漢学の家に生まれ、幼時より漢文に親しみ、硬質で流麗な文章を綴る才能に惹かれていました。改めて「山月記」「弟子」「李陵」などの凄味を感じ、以前読んだ「中島敦論」を再読しました。沁み込むような文章にかすかな悲しみを感じます。喘息という宿痾に悩まされ、34歳で世を去ります。死後才能は評価されます。もし彼が現代に生きていたら、どんな作品を私達に提示してくれたのか、夭折を惜しみます。


葉室麟「読書の森で寝転んで」文春文庫 2022年

藤沢周平の衣鉢を継ぐ時代劇作家でした。惜しむらくは彼も向こうに行ってしまいました。名前通りの凛とした文体で、崩れない小説ばかりでした。沢山は読んでいませんが、好きな作家でした。このエッセイ集は作家としての生き方が詰まっています。坂口安吾の堕落論についての一節に「消費者こそが王様である世界で、争って消費者であろうとするのは、自分たちの望んできた姿だろうか。政治家による暴言、失言、さらには一国の首相が反対の意思を示す国民に向かって、『こんな人たちに負けるわけにはいかない』と叫ぶのも権力者としての矜持を喪った一種の堕落だろう。」と喝破し、また「近頃本が売れないのは、人生に挑む気合に欠けているのではないだろうかとも思うが、どうだろう。人生という戦場に出ていくからには、読書という武双が欠かせないと信じていたが、いまは違うのだろうか。」とも書く。気概が感じられる。私達への問いかけになっている。




この頃遠くに出かける気になりません。電車に乗ろうとは思いません。せいぜい近隣の図書館か、家人のお供でスーパーでの買い出しくらいです。もちろん、時々徘徊はしていますが。外出が少ないのは年齢のせいもあり、コロナのせいでもあります。友人知人との会話は、政治の右傾化に対する憤懣と、健康の話しが主になっています。誰それが入院した、手術した、音信が不通だという会話です。それでも、政治や社会への怒りがあるうちは大丈夫かな、と言い聞かせています。

暑さがぶり返しています。世界的な異常気象が報じられています。人間が招いた結果なのでしょうね。どうぞ健康に留意してお過ごしください。


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