【読書】HSPというよりエンパス『LAの人気精神科医が教える共感力が高すぎて疲れてしまうがなくなる本/ジュディス・オルロフ著』
物心ついた頃から、悩んでいるというかずっと、心に違和感みたいなものを抱えて生きてきた私。
その違和感が、自身の共感力にあることにはうっすらと気づいていて、どうにかしてその正体を明らかにしておきたくて、おそらく自分はHSP(Highly Sensitive Person)なのだろうと、そのあたりの本とか記事とかを読みまくって、いわゆる自分の特性みたいなものを認知したつもりでいたのだけれど、なんかしっくりこない感がずっとあって、そしてやっとたどり着いたのがこの本だった。
はじめに
「エンパス」という概念を教えてくれたこの本に、私は今心から感謝している。なぜならずっと私は生きづらかったから。この本を読んで、私の生きづらさがかなり改善された気がしている。そして、もし私と同じように日々の生活で生きづらさを感じている人がいるならぜひ、本書を手に取って欲しくて私は今、この記事を書いている。
☑️自分はHSPという自覚はあったけど、なんだかまだ違和感がある人
☑️周りの人の怒りや悲しみが気になりすぎて眠れない夜を過ごしたことがある人
☑️疲れやすくて人よりも長い睡眠が必要な人
☑️気づいたら静かで自然のある場所に辿り着きがちな人
もし上記に1つでも当てはまる項目があったなら、私も同じことを感じているので、共感できて非常にうれしい。
この記事では、私の実体験や特性をもとに、この本を読んで興味深かった点や、大切だと思った点、所感を綴り、どこかの誰かの本書を手に取るタイミングに寄り添うことができればと思っている。
エンパスとは
「エンパス」という言葉を、この本に出会う前に、この本の内容が一部引用されている本に出会ってから、私ははじめて知った。
この入り口を読んだだけで、あぁ、私のことだとすぐに察知した。
私がそう思った背景には、どう考えても何なのか説明がつかなかった実体験が自分の中に心当たりとしてあったからだ。
【私の実体験】
①自分ではない誰かと30分以上会話している(敬語などを要するビジネスシーン以外)とき、私は気づいたら、その話している相手のイントネーション、方言、なまりなどを完全にコピーして話していることがよくある。
自覚したのは大学生時代。九州の田舎から関西の大学へ進学。関西弁をしゃべる友人たちに囲まれる中で、無意識のうちに私は関西弁をしゃべるようになっていた。出会った人たちいわく、私があまりにも流暢にしゃべっているので「関西出身なのか?」と言われることもしばしばだった。
けれど別に関西弁をマスターしたという訳ではない。しゃべっている相手が変われば、自分の方言も変わるのだ。標準語を話す相手なら標準語だし、地元の方言を話す相手なら、地元の方言に切り替わる。他にも様々な地域の方言でしゃべっていたことがあった。けれど自分では自覚がない。無意識のうちに相手に合わせて、自分の言葉スイッチが切り替わっていた。
②居酒屋で酔っぱらってゲロを吐いている友人をまじかで見てしまったとき、別に自分は全然酔っぱらっていないにも関わらず、そのゲロを吐く友人が苦しそうで、自分まで気持ちが悪くなってきて、自分もゲロを吐いた。
「もらいゲロ」的なものだと思ってあんまり気にしていなかったけれど、結構な頻度で、自分も気持ち悪くなってしまうので、ゲロの気配を敏感に察知するなり、ゲロの現場から離れるようになった。だから、私はゲロを吐く人の介抱ができない。
③働いていた職場で、救急救命講習を受講する必要があったときがあって、それに参加した際、AEDと人工呼吸を先生たちが目の前で人形に実践しながら説明をしてくださっていたとき、人工呼吸で胸を何度も押されているその人形を見て、自分までなんだか胸を押されている感覚になって、苦しくて息ができなくなり、その場で私は気絶して倒れた。
④運転免許講習のときとか、免許更新の際に受講者に向けて配信されるビデオが私はめちゃくちゃ苦手だ。
もちろん事故を抑制するために作られているものだということは重々承知しているのだけれど、事故を起こした本人に降りかかる苦労とか、被害者家族が抱える苦しみとかが、少し過激に描かれているので、そのビデオに出てくるあらゆる人物の人生を自分自身が追体験している感情になって、気分が悪くなる。決死の思いで毎回免許更新に通っている。
⑤④に関連することではあるのだが、私は映画やドラマを観るときにもよく不便を感じることがある。私は、医療行為が描かれているシーンや、人が殺されたり、拷問を受けたりするシーン、とにかく誰かが血を流すシーンが含まれているものは基本観ることができない。あわせて、最終的に主人公が幸せになれないハッピーエンドで終わらない物語も結構無理だ。
なぜなら、すべて、自分の心と身体で追体験してしまうからだ。
ひどいときには、予告編で涙してしまうことだってある。
しかしながら残念なことに、私はドラマや映画を鑑賞することが非常に好きな人間である。
だからずっと、そういう上記のパターンに当てはまる映画やドラマを観る際には、いつも誰かと一緒に観てきた。そういう血のシーンや、悲しすぎるシーンでは目と耳を塞いで、終わったら教えてもらって、そのシーンが長すぎて展開がわからないときには解説してもらいながら生きてきた。
むろん、一人で観るときは必ず、あらすじやレビューなどを事前にしっかりと確認し、意に反してそういったシーンに突如出くわしてしまう場面に出会ったら、早送りやスキップ機能、最悪の場合鑑賞を辞める、ということをうまく活用しながら観るのが私の鑑賞スタイルである。
以上の心当たりから、私は明らかにエンパスであることに気づいて、ありがたいことに、この本の最初に記述されている、エンパス診断自己診断テストを試してみたら、「完全なエンパス(チェックが16個以上の人)」にがっつりと当てはまっていたのである。
HSPとの違い
私はずっと、自分自身はHSPだと思っていた。けれどどこかそれだけでは説明のつかないことが上記に記載したようにあって、本書ではその点についても記載されていたので、非常にありがたい知見となった。
そもそも、私が自覚していたHSPという特性は、エンパスに重なる部分も多いので、私自身の自覚の認識自体は間違っていなかった。
この記述からわかるのは、エンパスはHSPの特性をほぼほぼ含んだ上でさらに、「敏感である」ということである。
ではこの「敏感である」という状態は果たしてどういうことなのか。
まさに、私の実体験と重なって驚いた。
もちろん、それなりに30年ほど生きてきたので、なんとなくその自分の「敏感さ」には気づいていて、自分なりに工夫して、いわゆる、たいていの人たちが備えているという「フィルター」なるものを作ることを試行錯誤し、対処してきたつもりではいるのだが、毎日ずっと、いついかなる瞬間も、この「フィルター」なるものを自分自身で作り出すということにはかなりの精神的負荷がかかるので、そうやって自分に「フィルター」がない、自覚がないときに急に、「考える」よりも先に「感じて」しまうことがよくある。それが自分にとって良くないネガティブなものであるときほど、しんどいことはないのだ。
身体エンパスと感情エンパス
明らかに自分自身がエンパスであり、その特性を理解したところで、本書では、そのエンパスの中にも種類があるという記述がなされていた。
その中で、自分自身があてはまった項目について下記に忘れないように綴っておこうと思う。
「身体エンパス」の特徴に関しては、上記に書いた、実体験のエピソードを照らし合わせたときに、そのまま当てはまっていると言えるだろう。ゲロを吐いている人を見てゲロを吐いてしまったり、映画で人が刃物で腹部を刺されているシーンを見て、腹部がいたくなったり、あと私は、ニュース番組でその季節になると放送されるインフルエンザの予防接種なんかにも反応して、子どもたちが注射針を刺されている箇所が痛くなる。何なら、他者ではなく、上記で挙げたような人間に限りなく近い人形にまでエンパシーを感じてしまうのだから、お手上げだ。
「感情エンパス」の特徴に関しても、かなりの心当たりがある。
悲しい感情を目の前にすると悲しくなるし、イライラの感情を目の前にするとイライラするし、怒りの感情を目の前にすると本当に怒りを感じてしまって、そのあとどっと疲れてしまうのだ。もちろん、それはそれで、一緒にいた他者側は、自分の事柄に深く共感してもらえたと思ってもらえて、満足してもらえることは多かったし、そうやって感謝されると自分自身もうれしくなる瞬間は何度もあった。けれど、、、、。こういう負の感情を常に目の前にしているというのは、本当にめちゃくちゃしんどい。
だからなのか、私の周りには基本的にいわゆる「陽キャ」と呼ばれる友人が多い。
彼女たちは、なんというか、本当に陽気だ。驚くほどに陽気で、いつもポジティブだ。ポジティブすぎていささかこちら側がイライラしてしまうこともなきしもあらずだが、そんな彼女たちのポジティブな感情に、私が今までに何度救われたのかは言うまでもない。彼女たちといると、自分もポジティブでいられる。そうやって彼女たちのそばにいたからこそ、今の私がある。だからその友人たちは、私の命の恩人であって、心から感謝している。
おそらく学生時代から無意識的に自分の特性に気づいていたのだろう。毎日のように負の感情に触れてしまっていると自分の心が死んでしまう。そうやって自分自身の危機管理能力が働いていたのだと、読みながら思った。
エンパスの恋愛
エンパスの恋愛について記述している章の上記のタイトルを見たとき、まさに私のことすぎて、当てはまりすぎて、思わず笑ってしまった。
人目のあるカフェでこの本を読んでいることに気づいたのはそのあとで、そんな人目にさらされていることにさえ気がつかずに、普通に笑ってしまっていた。
まさか、自分自身の恋愛までエンパスじみていたとは、、、。
精神科医である著者は、患者のことだけでなく、自分自身の恋愛の実体験についても綴っていた。
著者の実体験が踏まえられているからこそ、さらに共感できたし、むしろ書いてくださってありがとうと感謝の気持ちが溢れた。
私にも、嫌というほどに心当たりがあった。
友人たちには
「○○は勉強もできて賢いし、面白いし、人にも好かれるし、なのになんで、いつも意味わからないどこぞのクセの強いクズを好きになるの?」
そんなことをよく言われていた。
30年生きてきて、恋なんて腐るほどしてきて、何度も傷ついたから、そろそろ自分自身でも、成長していいはずなのに、私が恋をする相手はいつだって手に届かなくて、クセがすごい男だった。
なぜそんな男を好きになるのか、何度も言語化して友人に説明しようと試みたけれど、「人は青信号のときに横断歩道を渡る」くらいあたりまえに、無意識のうちに、私は彼らを好きになっていたので、説明のしようがなかった。
そして、若くて盛っていた頃、そんな私が一時期、セフレという関係性に一番の居心地よさを感じていたのも、この特性に起因するに違いないと思った。
どうせ恋しても成就することはない。それに、セフレという関係性であれば、手軽だし、自分の身のうちを打ち明けなくてもいいし、逆に打ち明けられることがない。だから一番しんどくない。無意識のうちに、その関係性になることによって、自分自身を潜在的に守っていたのだと本書を読んで確信した。
エナジーバンパイア
著者は、この「エナジーバンパイア」という章で、エンパスの特性を持つ人々が、他者と関わる上で、関わると非常に危険である人々の特徴を紹介している。
あぁ「ディメンター」のことだ。
とまた私はここでも心当たりを感じてしまった。
私もエンパスとして30年生きている歴史があるので、明らかに関わると自分自身が危険にさらされる人がいることは当の昔に発見していて、何度も関わって痛い目にあった(なんなら、それが原因で転職を余儀なくされたこともある。)からこそ、私は勝手に自分自身で、そんな人たちのことを、大好きなハリーポッター映画に出てくる怪物「ディメンター」と称して、自分なりに距離を取るように生きてきた。
ちなみに「ディメンター」を知らない人のために、一応下記にネットから拝借した注釈を貼っておく。
調べてみて、漢字では「吸魂鬼」と書くのかとはじめて知って、まさに言い得て妙な秀逸な例えだったと、自画自賛してしまった。
そう本当に、私は何度もこの「ディメンター」なるものに魂を吸い取られて生きてきた。
著者は、私が指すところの「ディメンター」を「エナジーバンパイア」と称していて、それらの特徴を下記7種類の分類に分けて、わかりやすく綴ってくれている。私も、存在自体は認識していたものの、分類分けできていた訳ではなかったので、非常に勉強になった。
下記にその7種類の特徴を、著者の言葉を引用しながら、簡単にまとめておく。
実際にこれら7種類のタイプについて学びながら
「普通にエンパスじゃなくても気を付けないといけなくない?」
そんなことを思うくらいに彼らの恐怖を改めて感じた。
ちなみに、私は本当に見事に、この全種類のタイプをコンプリートしていて、読み進めながら「あぁ、あのときのあの人のことか。」と具体的な人物がどんどんとヒットしていくので、なんだか途中から、もはやおもしろくなっていた。
私が一番苦手なのは、⑦のタイプ。
彼らが一番恐ろしいと思っているし、実際に私は尋常じゃないくらいに疲弊させられた。なぜなら、彼らがそのタイプだと理解して断定するのに、この7種類の中で一番時間を要するからである。要する時間が長いということは、それだけ無意識のうちにすり減らされている時間が長いというわけで、、、。
思い出しただけで身震いしてしまう。
ちなみに、各タイプごとに対処方法も具体的に本書には、こと細かく記載されているので、私は一番苦手な⑦については、力を入れて読んだ。非常にありがたい知見となった。
それに、すべてのタイプに共通するとはっきりと、本書には記載されていないが、これらのいくつかのタイプのバンパイアに、エンパスは近寄られやすい。ターゲットになりやすい。ということがところどころに記載されている。
つまり、もちろんこの7種類のバンパイアは、エンパスじゃなくても避けた方がいいこと間違いなしであることは確かなのだが、彼らに近寄られやすい私たちエンパスは、エンパスではない人たちよりも、より気を付けなければならないということになる。
私もずっと、周りよりも明らかに、このバンパイアの人たち(言うなれば私が今までディメンターと呼んできた人たち)との距離が近い意識はずっとあった。
周りにも彼らの存在をなんとなく認識している人たちはたくさんいたのだけれど、彼らは驚くほど、バンパイアたちとうまく距離を取れていたりしたので、なんで、自分は、明らかに危険だと自分自身で意識しているつもりなのに、いつも気づいたら距離が近くなってしまっているのだろうと疑問に思っていたので、この章を読んで、「近寄られやすい」という気づきを得ることができたことは非常に大きかった。
あと、読みながら、私が出会ってきたバンパイアたちのデータを分析する中で、このバンパイアは、7種類に完全に分類されるわけではなくて、複数のバンパイア特性を持ち合わせていたりすることがあると気がついた。
その点も要注意だと思った。人によっては3つ4つの特性を持っていたりすることもある。恐ろしい。
そして、私が思うに、あくまで彼らも「人」なので、バンパイアであるかどうかは変化する。
バンパイアだと思っていたけれど、しばらく会っていないうちに、バンパイア気質がなくなっていたということもある。そういう場合は普通にうれしい。
けれど、その逆が一番怖くて、今までは全然、違和感なく接することができていたのに、久しぶりに会ったら、バンパイアに豹変していたりして、けれどそうでない時期の記憶があるがゆえに、そのバンパイア気質に気づかないことが一番恐ろしいと感じた。
何はともあれ、うまくかわして、うまく生きていきたいものである。
おわりに
これまで、著者が記載しているエンパスの特徴を中心に、自分自身とリンクするものを重点的に記載してきた。
これら特徴に対して、一つ一つ、対処方法や、生きやすくなるコツなどを、本当にこと細かく著者はこの本で紹介してくれているので、もし、ここまで読み続けていただけた方でさらに知りたいと思った方は、ぜひ本書を手に取ってもらえたらなと思う。
もちろん私もこれからその対処方法などを実践して、生きづらさを緩和させてこうと思っている。けれど私的に、まずは、この本を読んで、自分自身がエンパスであると、そう認識できただけでも、生きづらさがかなり緩和されたと思っている。
何も知らずに、自分の特性もなにもわからぬままに、闇の中でもがき続けるということは非常につらい。私自身もずっとそうだった。結構精神的にダメージを受けていた時期も長くあった。
この本を通じてやっと言葉として言語化されて、闇の中に光が差した気がして、私の心は晴れやかになった。
もちろん、繊細で、生きづらさを他の人よりも感じやすいのは、つらい。
けれど、それ以上に、このエンパスという特性を武器にすることだってできるのだという著者の主張に強く励まされたので、最後に引用しておく。
どうこの特性に対処するか、も大切だけど、どうやってこの特性を生かしていくかを考える方が私には楽しいような気がしている今だ。
自分でもいろいろと思考錯誤してみようと思う。