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【読書】人は誰でも宗教の中で生きている『信仰/村田沙耶香著』


インスタのお気に入りに保存したままになっていた村田沙耶香さんの「信仰」という本を読んだ。

著者の本を読むのは、かなり前に読んだ「コンビニ人間」以来2冊目だ。
かなり前なので内容はおぼつかないが、そのときと同じように、なんだか背筋がぞくぞくする、暑い夏にぴったりの1冊だった。

本書は、主に8つの物語が掲載されているが、一番印象に残ったのは、本書のタイトルにもなっている「信仰」の章と、その次に続く「生存率」の章だった。あまり日本ではスポットを当てられにくい「宗教」「信仰」みたいなものを身近に感じることのできるお話、かつ、しかも小説なのでとても読みやすかった。
1つ1つの物語の背後から、ちらついてくる筆者の主張は、今後、生きていく上でとても重要な視点になるような気がしたので、今日はそれについて忘れないように、特に印象に残った上記の章を中心に綴っておこうと思う。

「現実」という名の宗教

第1章の「信仰」の物語の中では、主人公の視点から、さまざまな宗教にハマっている人が登場する。

・高価な浄水器が世界を変えることを夢見て、借金を作りまくった元同級生
・高級食器のブランドに、何百万と払うことを厭わない友だち
・アクセサリーショップ起業のセミナーでぼったくられてもなお夢をあきらめない妹

物語の中で、あくまで主人公は、そんな彼女たちはみな、宗教にハマっていると認識し「原価いくら?」「高すぎない?」「ぼったくりじゃない?」そんな言葉を投げかけて、彼女たちを責め立てる。

物語の最初では、そんな彼女たちは詐欺・カルトにひっかかっている「異質な人」みたいなニュアンスでストーリーが進むのだが、途中から、そんな現実ばかり相手に対して強要してしまう主人公の方が「異質な人」みたいなニュアンスでストーリーが進みはじめる。

「お姉ちゃんの『現実』って、ほとんどカルトだよね。」

主人公の妹が言い放ったその一言で、背筋がぞくっとした。
そういえば、似たようなことを知人に言われた経験があることを、読みながら急に思い出した。
たしか、その知人が、自分自身で新しく事業を始めようと起業の準備を進めていたときである。自分自身も起業に興味があったので、その知人に、資金面や、運用の計画についていろいろと聞き出していた。知人の答えを聞きながら、どう考えても、本当に初期コストとか採算とか大丈夫なのか。と疑問に思う部分があったので、「資金面とか、回収できるか不安にならない?」
そんなことを話の流れで聞いてしまった。

「もちろん、不安もあるけど、起業の夢あきらめて、『現実』にそのままで生きてるほうが不安じゃない?」

そんなことを真顔で返されて拍子抜けしてしまったことをよく覚えている。
その知人を主人公と同じように現実責めしてしまっていた自分に気づいて、とても申し訳ない気持ちになってしまった。

・「宗教」「カルト」という言葉は日本ではあまりよいイメージとして使われていない。

・けれど、視点を変えれば、仏教とかキリスト教みたいに、○○教という名前はなかったとしても、みんなそれぞれに何かを信仰して、人生を豊かにしながら、生きている。

・「現実」というものも一つの宗教である。

・「現実」を誰かに押し付けることは、ときに、その人の夢や日常の喜び、生きる喜びを奪うことにつながる。

そんな著者の主張が聞こえてくるような一説だった。

そして、印象的だったのは、主人公が最終的に、その「現実」という名の宗教から抜け出そうと必死にもがいていること。
どうやら、その宗教には、幸せや豊かな気持ちは見出せなかったらしいというところに、社会に対する一番の皮肉を感じて、また背筋がぞくっとしてしまった。

「生存率」を高めることに意味はあるのか

そんな「現実」について考えさせられた章のあとに、「生存率」というタイトルの章が続く。

ここではまさに、私たちの多くが信仰している「現実」という名の宗教を言語化したようなストーリーが展開されている。

生存率とは、65歳のときに生きている可能性がどれくらいか、数値であらわしたものだ。
今の時代、お金さえ払えば大抵の病気は子供の頃に治せてしまうので、生存率は本人が得るであろう収入の程度の予測とほぼ比例している。生存率には、温暖化や自身による災害の計算も含まれている。でもそれも、収入があるほうが安全な土地の丈夫な家に住めるので、結局、収入格差と生存率格差がほとんどイコールなのは変わらなかった。

こうやって人々はAからDの生存率に区分けされて生きることを強いられている。もちろんAになることが望ましいとされ、Aになるためには、幼いころからしっかり勉強をして、受験戦争に打ち勝ち、お金を多くもらえる企業に就職することがAになることの絶対条件とされている。Aになることが絶対正義だと疑わない世の中で、主人公はそこに違和感を感じ、Aになることの意義を問う。

受験戦争に勝ち、いい就職先を見つけ、お金を稼ぎ続ける。生存率のためだけに、朝早く起き、夜遅くまで勉強する毎日。これでは生存率のための人生ではないか、と、急に嫌気がさしてしまったのだ。・・・
生存率に支配されながら生きるより、生まれたままの生存率で生きて、ほどよいタイミングで死ぬほうがずっと健全な気がした。

この主人公が違和感を感じている「生存率」。
物語の設定も、内容も、どこか現実離れしていて普通にフィクションとして読んでいたのに、途中から、あれ、これって今の日本の世の中のことじゃない?って急に現実に引き戻される感じに、背筋がぞくっとした。

物語の中には、65歳のときに生きている可能性が低いことに愕然としたり、ショックを受けたりする人が登場して、でもそれって確率の話でしょ?別にそこにこだわる必要ないじゃん?って最初はツッコミを入れていたはずなのに、、、

そういえば、積立NISAとか老後資金とか、まるでまだ見ぬ未来に支配されて、毎日をお金の心配ばかりして生きている私が、「生存率」にこだわっていきる物語の中の人たちに重なって、背筋がぞくぞくぞくっとして、思わず身震いしてしまった。

暑い夏を冷やしたい方にはぜひ。
もちろんそれもだけど
「宗教」とか「カルト」とか「信仰」とかについて馴染みが薄い日本人にもっと広まってほしいなと思う一冊だった。

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