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【読書】これぞ官能小説の傑作なのかもしれない『眠れる美女/川端康成著』

「川端康成」という作家の存在は知ってはいたけれど、ずっと著者の本を手に取れなかった。

あるとき、xで上記の投稿を見つけて、気になりすぎて思わず手に取った一冊がこちら。

三島由紀夫、エドワード・G・サイデンステッカーらが大絶賛した、
川端エロティシズムの金字塔。

上記amazonの説明欄より引用

まずもって、このキャッチコピー、パワーワードすぎないか。
この説明文を読んで、この作品を読まない人っているのだろうかと疑問に思ってしまうくらい惹きつけられて、図書館で借りて読んでしまった。

三島由紀夫が「息苦しい」とあとがきに書いているように
本当に息苦しい小説だった。

今までいろんな官能小説と呼ばれる類のものを読んできたけれど
これほどまでに、いわゆる官能小説を官能たらしめるシーンが描写されていないのに「官能」を感じさせるって、すげぇ。

とそんなことを素直に読み終わって思ってしまった。

めちゃくちゃ著者には失礼かもしれないけれど
たまたまふらっと立ち寄ったレトロ感溢れるバーで、片隅で飲んでいる別に派手でも地味でもない、清潔感と雰囲気のある男性に、自ら声をかけてしまって、予想外に話が盛り上がって、「2軒目行きましょうか。」ってなった行く先は、自然と近くのホテルになっていたけれど、そこに違和感が何もなくて、その前に立ち寄ったコンビニでお酒を彼が選んでいる間に逃げようとも全く思わなくて、そのままホテルに入るなり、買ってきたお酒で乾杯して話しているうちに、いつの間にか眠ってしまっていて、朝起きたら服は着たままなのにその彼は消えていて、連絡先を聞いていなかったことをその場でひどく後悔して、けれどそのときには遅くて、仕方がないのでしばらくの間、そのバーに毎日のように通ってしまうほどに、自分の中に彼の余韻が溢れて、結局のところ何もなかったがゆえに、彼が人生で一番忘れられない男になってしまうという感じ。

に、すごく似ている息苦しさだと勝手に思った。

「官能」ってこのことか。
と妙に納得させられる不思議で圧巻の小説だった。

江口老人も六十七年の生涯のうちには、女とのみにくい夜はもちろんあった。しかもそういうみにくいことの方がかえって忘れられないものである。それはみめかたちのみにくさというのではなく、女の生のふしあわせなゆがみから来たものであった。江口はこの年になって、女とのみにくい出合いをまた一つ加えたくはない。この家に来ていざとなって、そう思うのだった。しかし眠らされ通しで目覚めない娘のそばに一夜横たわろうとする老人ほどみにくいものがあろうか。江口はその老いのみにくさの極みをもとめて、この家に来たのではなかったか。

「眠れる美女」より引用

しかし女に死んだように眠ったと言われた、そのよろこびの方が、若々しい楽音のように残った。その時、江口は六十四歳、女は二十四五から七八までのあいだだったろうか。老人はこれがもう若い女とのまじわりの最後かとも思ったほどだった。わずかに二夜、ほんとうは一夜きりであったにしてもいい、死んだように眠ったのが、江口の忘れられぬ女となったのだった。

「眠れる美女」より引用

そんな「眠れる美女」の余韻ままならぬままに読んだあとの別の章の小説にも、またさらなる余韻があって、まんまといろんなことを考えさせられた。

「なにかがのぞくの?」と娘の片腕が言った。
「のぞくとしたら、人間だね。」
「人間がのぞいても、あたしのことは見えないわ。のぞき見するものがあるとしたら、あなたの御自身でしょう。」
「自分・・・・?自分てなんだ。自分はどこにあるの?」
「自分は遠くにあるの。」と娘の片腕はなぐさめの歌のように、「遠くの自分をもとめて、人間は歩いてゆくのよ。」
「行き着けるの?」
「自分は遠くにあるのよ。」娘の腕はくりかえした。

「片腕」より引用

「しかし、過去ってものは、いったい失われたり、消え去ったりするものかしら。」
「ところが、そいつを人工的に保存する工夫を覚え出した時から、人間の不幸がはじまったような気もするな。」
「自分のものにしようと楽しんでいた娘を、横合いからあっけなく殺されたんで、もっともらしいことを考えたね。山辺三郎の懲役も、彼の殺人という過去を人工的に保存する、一種の工夫だろうがね。その罪を問わないことにすれば、多分人間は幸福だろうさ。・・・・」

「散りぬるを」より引用

怖いのは、どの物語も、かなり昔に書かれている上に、現実からは遠い世界線で描かれているはずなのに、ありえない別世界の話だと思って油断していたら、ふと耳元でささやかれているような、急に現実世界に戻ってくる感覚に、めちゃくちゃしびれた小説だった。

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