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読書感想文 | 愛が日常のなかに配置されている。
丁寧な生活には、いつでも憧れている。
初めて買った大型家具はニトリのダイニングテーブル・チェアとソファだった。ソファは2人で座るには十分な大きさだったけれど、家族が3人になるタイミングでファミリータイプのマンションへ引っ越しを決めた時に買い替えた。
ダイニングテーブルはそのまま一緒に着いてきてもらった。4脚あったチェアは2脚だけにして、子ども用のハイチェアを1つ置いている。シンプルな色と形のダイニングテーブル。本当は買い替えたいけれど「これが良い!」というものに出会えないまま、もう5年以上の時を共にしている。
ふと我が家の家具について考えたくなったのは、安達茉莉子さんの「わたしの生活改善運動」を読んだから。
この著書では妙蓮寺に住み始めたところから始まり、日々の暮らしの中で「生活改善運動」に取り組んでいかれる様子を描いてくださっている。
ちなみに、「生活改善運動」とはこういうものらしい。
生活のいろいろなことを、「これでいいや」「実は好きじゃない」で済ませず、快・不快を判別し、自分にとって幸せなほうに向けて生活の諸側面を改善していく運動です。
自分の好きなものを母親から否定され続ける生活を送っていたわたしにとっては、結構難しいことである。なんとなく人に合わせて「これでいいや」と思ってしまうし、「実は好きじゃない」ものと長年一緒にいることを続けてしまうタチである。前述のダイニングテーブルは、わたしの中では気に入っている部類ではあるのだが。
安達さんの「生活改善運動」がどのようなものかは、実際に著書を読んでいただきたいと思う。
今回のnoteでは、読んでいてわたしがきゅんとしたところを紹介させていただきたいと思う。
*
愛のない空間には一秒もいられなくなってしまった。となると、あとはつくっていくしかない。マウスは立ち上がり、巣をつくり始めた。マウスはひとり暮らしである。だけどその巣に住んでいるのは、この世でただひとりの、大事なマウスなのだった。
この文章に、安達さんの「生活改善運動」のエッセンスがギュッと詰め込まれているように感じる。「愛のない空間」というのは、これでいいや・実は好きじゃないといったときめきのないモノで満たされてしまった空間。
安達さんは本棚を作り、器を買い揃え、その人がその人らしく生きて生活している空間を目の当たりにしていく中で「愛のない空間には一秒もいられなくなってしまった」と気づく。色褪せたところにはいられない。愛のある空間を、自分で作っていくしかないのだ。誰でもない、大事な自分自身のために。
こうやって生きることさえできれば、人は思い悩むことなく健やかに過ごせていけるのではないかとさえ思わされる一文である。
部屋のなかは、安心して幸せな気持ちになる場所であるべきである。ただ住めればいいというわけではない。そこにいて幸せになるように、いとおしいものを積極的に生み出していっていい。
(中略)
私の生活は、雑誌で紹介されているようなライフスタイルには到底及ばないかもしれない。だけど。これが私の生活だ。そして、私の人生のワンシーン。私は、私の生活を愛している。
わたしも、こういう思いを持って生活したいなぁ。
我が家はわたしにとって、安心して幸せな気持ちになる場所である。気に入って育てているグリーンがあって、日当たりも良くて、子どものおもちゃが本人なりに整頓されて置かれている。夫のものがあって、わたしのものがある。家族の呼吸音が聞こえるような部屋。
でも、もっともっと良くしていきたい。家具に一目惚れして息が詰まるような思いをしたい。悩みに悩んで厳選して手に入れたものを、そっと日常に配置したい。物を収納するためだけに何となくおいているカラーボックスは、あんまり好きじゃない。子どもなりに片付けたのであろうおもちゃも、本音で言えばもう少し整理整頓してほしい。
わたしがわたしの生活をより愛せるように、日常の中に愛を配置していきたい。そう思えた一冊でした。