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毎日投稿50日目 | 不意に救われる言葉に出会う瞬間って、ある。


最近、宇宙飛行士である野口聡一さんの著書「どう生きるか つらかったときの話をしよう」を読んでいる。

この本についてもいつか #読書感想文 で紹介したいと思うが、今日読んでいてすごくいいなぁと思った箇所があったので引用したい。


みなさんの中には、もしかしたら今、「自分には価値がない」と感じている人がいるかもしれません。
もしくはいつか「自分には価値がない」という思いにとらわれることがあるかもしれません。
その場合は目を閉じて、音のない真っ暗な宇宙空間と、宇宙服を着て浮かぶ自分自身と、美しく輝きながら動いている地球を思い浮かべてみてください。
そして、ぜひ地球と、一対一の命を持つ者同士として向き合ってみてください。
自分の存在、自分の命には無条件に価値がある。
そう実感することは、他者の評価、相対評価に頼らず、自分自身で、絶対評価に基づいてアイデンティティや価値を決めるための第一歩だと僕は思います。

どう生きるかつらかったときの話をしよう  p.92-93


このフレーズは、きっとだれかの心を救うのではないかと思う。
自分の存在、自分の命には無条件に価値がある。
この言葉を信じることが難しい人は、たくさんいるだろう。自分の臨床経験からも、この言葉を信じることができずに苦しみもがいている人が何人もいることは知っている。

目を閉じて、音のない真っ暗な宇宙空間と、宇宙服を着て浮かぶ自分自身と、美しく輝きながら動いている地球を思い浮かべてみてください。そして、ぜひ地球と、一対一の命を持つ者同士として向き合ってみてください。

こんなの、ありありと想像できるのは宇宙に行ったことがある野口さんくらいなものだろう。ずるい。わたしにはこんなこと言えない。宇宙空間という死と隣り合わせの瞬間に見た「地球」だからこそ得られた感覚だろうし、地上に留まり続けているわたしたちが野口さんと同じような感覚を得ることは難しいだろう。

それでも、この言葉たちは良いなと思った。
自分自身も、自分の悩みも、宇宙に浮かぶ地球から比べたらちっぽけなものなのだ。



書籍のこの部分を読みながら、野口聡一さんの美しい話とは比べものにもならないくらい小さなエピソードを一緒に思い出していた。わたしが学生の頃の話だ。

わたしの育ちは、あまり褒められたものではない。
たった一人の母親から受けた仕打ちが悔しくて枕で涙を濡らしたことなんてそれこそ星の数ほどあるといっても良いだろう。

頑張っても頑張っても、報われない。
周りの友達が経験していないような悔しさを経験させられる。
他の人が当たり前に受けている愛情を受けることができない。

母はしょっちゅうわたしを扱き下ろした。
悪いことが起こると全てわたしの責任だと言った。
お金がないのもわたしのせい、生活が苦しいのもわたしのせい、彼氏とうまくいかないのもわたしのせい…。

我ながら可哀想だと思うのだが、学生の頃のわたしは視野が狭く、母から言われた否定的な言葉を全て「ほんもの」として受け取っていた。
お金がないのも、生活が苦しいのも、わたしのせいなんだと。
(さすがに彼氏とうまくいかないのはわたしのせいじゃないと思っていたけれど)

そうしてわたしは毎晩責められ、毎朝嫌味を言われ、憂鬱な気持ちで登校しなければならなかった。


iPodは、わたしの親友だった。
わたしの気持ちがどんなに落ちている時も音楽を流してくれる。わたしの気持ちに寄り添ってくれていた。

そんなiPodから不意に流れてきたこの曲の歌詞が、一瞬でわたしを救ったのだ。



さあ 狂ったように踊りましょう
どうせ100年後の今頃にはみんな死んじゃってんだから

脳漿炸裂ガール/れるりり


今思うと、本当にばかみたいでしょ。
まさかボカロの曲にハッとしちゃうなんてねぇ。
でも、このあり得ないくらいの情報量が詰め込まれたこの曲の中のワンフレーズがわたしの脳に焼き付いて消えなかった。

そうだよ、どうせ100年後の今頃にはみんな死んじゃってるんじゃん。

わたしの嫌なことばかり言ってくる母親も、ちゃんと手綱を引いておいてくれない母の彼氏も、無口で都合の悪いことは全て無視して美味しいとこだけを取って行く末のきょうだいも、みんなみんな。


こんなふうに、不意に自分を救ってくれる言葉と出会う瞬間って、きっとあるのだろう。
わたしはこの学生時代の鮮烈な出会い以降、嫌なことがあっても「まぁでも100年後にはみんな死んでるからね…」と思うことでなんとか生き延びてきた。かなり不穏な心理士だが、心の中で何を思っていても行動化しなければいいのである。セーフセーフ。

毎日noteを更新しよう!とチャレンジを始めてから、この投稿で50回目になる。1年は続けてみようと思いつつ、なんとなく折り返しに来たような気持ちにもなる不思議な数字である。

こうして書き溜めたnoteの言葉たちも、いつか誰かにとっての救いになることもあるかもしれない。

その時はどうぞよろしくね。




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