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親がいなくなった時、自分は泣けるのだろうか···⑤ (僕と両親の関係性について 4 )



【 前回までのお話 】




父は無関心と暴力の人だった。
よくある、気に入らないことがあると、
「お前、どういう教育してきたんや !! 」と母に掴みかかるような、そんな人だった。

中学2年の3月、「今日は卒業式か ? 」と聞いてくるくらい息子の年齢も把握していなかったし、高校受験で悩んでいる時も当たり前のように中卒で社会人になることを熱心に勧めてきた。
息子の人生がどうなろうと心底どうでもよかったのだろう。

怒るとすぐに椅子が飛んできたし、母と一緒に僕を羽交い締めにして外に無理矢理、放りだしていた共犯でもあった。口癖は、
「俺は喧嘩で負けたことないねんからな。その口、二度と喋れんようにしたろか ? 」だった。


あの日、見ていた空はいつもこんな感じだった。


決定的な事件が起きたのは高校生の頃だった。
「晩ごはんで自分の使った食器は自分で洗ってから部屋に帰れ」と父が急にルールを作った。

ルールを守っていた僕だったが、その日、たまたま忘れて部屋でくつろいでいた。
バーン ! 凄まじい音を鳴らして鍵をかけていた部屋のドアが揺れた。何度も響き渡る凄まじい音とともにドアが角から潰れていくのが分かった。

「出てこい、コラ ! お前、ただで済むと思っとんか ! 」という声が次第に近づいてくる。
「···殺される ! !」そう思い死を覚悟した。
心拍数が異常に上がって上手く息が出来ない。

このドアは潰れないと思った父が急に去ったかと思うと、僕が一息つく前に父の絶叫が聞こえた。
急いで何が起こったのかとリビングに行くと。

見てしまった···

赤一色に染まった台所と傍で号泣している母の姿。
父は意識を失って血の海の上で放心していた。
怒りをコントロールできずに手当たり次第に皿を破壊して手首の大動脈をざっくり切ったらしい。

母も号泣する前になぜ僕の部屋のドアを壊そうと正気を失っている父を必死で止めようとしなかったのか。夫は心配だが息子はどうでもよかったんだろうな。

くだらない、情けない、見苦しい。愚かしい。
親になってはいけなかった人たちの醜態。

僕が救急車を呼んだ。
そして今なおそのことを後悔している。
出血の様子から見て、すぐに病院に行かないと父は助からなかっただろう。それでよかったのではないか。未だに自分の中で答えが出ずにいる。


あの日、本当に使いたかったのはこっちの電話。
とにかく誰かにSOSを届けたかったのだ。


あれ以来、社会人になってすぐに家を出て行くまで、親は憎しみと軽蔑の対象でしかなかった。
ただただこの状況から逃げたい、その一心だけで僕はかろうじて存在を保っていたのだろう。

中学校の時の国語教師の言葉が蘇る。
「親の死を前にして泣けないやつは人間ではない」と。その時思った。僕はたぶん泣けない。今もこれからもずっと。だから僕は···人間失格だ。


心の鉛は今なお消えない


あ、今日もこの辺りでいったんストップします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。また少しずつ続きを書いていきます。




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