病まない無能
他責思考という単語を聞いて、いいイメージを持つ人は少ないだろう。
これまであってきた他責思考の人を見ていて、意外と良いことがあると感じた。
しかも結構な差。
無能同級生
英語ができない。
《MONSTER》という単語ですら書けないくらいだった。
バイト先では陰でクソ野郎と言われていたほど仕事ができない。
ベテランパート
清掃。勤続十数年のベテラン。
でも無能。
要領が悪い。
新しく入ってきた新人パートに1週間で作業完了の速度で抜かされていた。清掃の質も低いと思う。
周りからも良い反応はされていないみたいで、本人もそれを認識していた。
しかしここからが分岐点なんです!
自分に対するネガティブな評価を認識していながらも、それはそいつらの性格が悪いからだと解釈して自己肯定感を保っていたのだ。
客観力や自省心はゼロ。
僕も最初は他責だったと思う。運が悪かったとか、たまたまとか、本調子じゃなかったとかね。無能ベテランと同じだ。
しかしあまりにも色んな人から叱責されてきたので、それを重ねるうちに「これ俺に原因あるんじゃねーかな?」と段々なっていった。
他責思考というのは、一見悪いことだ。
反省しないから自分は成長しないし、他者に対して攻撃的になるし。
だけど良いこともある。
病まない。
僕は何か悪いことがあった時性格的にまず自分に原因があったのではないかと考える。この気質はよく言えば反省できるし、成長の余地もあると思う。
しかし病む。
自分を責めるということ。
例えばだけど、口が臭いと言われたとしょう。自責他責で2パターンある。
俺の口が臭い
相手の嗅覚がおかしい
1が自責、2が他責。
もうこの解釈処理の直後から精神状態に差が出そうなのは丸わかりだろう。
1は成長ができる解釈。しかしそれはどうにかできることならに限る。
口が臭いというのも、スプレーや歯磨き舌磨きで改善できれば良い。
自責
口内ではなく臓器の問題だとしたら?
胃を入れ替えるというのは現時点の技術において不可能。
《自分に原因があって、それを改善するのは不可能》という解釈処理を下してしまうと、一気にダークサイド。
解決できる糸口があったとしても、自分の脳が「自分が悪いうえに改善しようとしても無理」と判断すれば、その後は成長どころか自己原因思想の矢印が、自分の方を向いて襲ってくる。
🧑🎓自己責任思想「こうなったのは全て自分の責任だ」
こうなると遅かれ早かれ精神崩壊するだろう。
他責
口が臭いと言われても、無能だと言われても、ブスだと言われても全部他人のせい。
「それってあなたの(歪んだ)感想ですよね」
これの悪いところは改善がないこと。
いいところは自分を責めないこと。
自分を責めないというのは生きやすい。
ストレスを生む場所は2種類ある。
まず外。人間とか、動物とか、天気とかおもちゃとか。自分の外にあるもの。
これは思い通りにならないので、どうしてもストレスの元となる。
もうひとつは自分自身。厳密には自分の思想。
これは自責の項目で書いたが、要は自分で自分を責める思想がストレスの元になってしまう。
ガン細胞みたいな感じ。
外からのストレスは一時的だったりする。雨はじきに晴れるし、嫌いな人も家まではついてこない。
だけど自分からは逃げられない。寝てる時ぐらいだろう。
自殺する人は自分というストレス源から逃げようとしたのだと僕は思っている。
なので自己嫌悪というのは、なにより重い病だと思う。
心のガン
と言っても過言でない。
僕は他責思考から自責思考に切り替えたものだが、出来事を引きずるようになってしまった。
そして自分の力ではどうにもならないことでも
「こうなったのは自分の責任だ」
と自分の内側にある自己責任思想が責めてくる。
「相手が低評価してくるのは自分が悪いから」
「人生がうまくいかないのは人生が悪いから」
「貧困なのは自分が悪いから」
「友達がいないのは自分が悪いから」
と…これが原因となって、ついに精神を壊してしまった。
というか自殺未遂をしている。
自己嫌悪をしていたと思う。
心のガン細胞に殺されかけた。
どっちが幸せ?
人間性はクズなので、人望は少ないだろうが、幸福度なら間違いなく他責思考者の方が上だ。