漱石の「私の個人主義」を読んで考えたこと
ある時、私は夏目漱石の「私の個人主義」という彼の講演集を纏めた本をみつけた。読み進めるとこの本には共感できるところが多く、彼自身「私の講演が・・・今日になっても、・・・読者の役に立つだろうという自信を、私は十分持っているのである」と自負している。
漱石の根本思想がつまっていて、半世紀以上経った今日でも響くことが多いのではないかと思ったのでぜひ紹介したい。
今回は、2つの章をピックアップして、私なりの解釈で簡単に紹介する。
中味と形式
2つに分けて説明する。
まず中味のとも合わない情報、知識による優劣の判断について、次に、ある程度算段の整ったものでも経験の裏書を得ない形式に関してそれぞれの批評を綴った章である。
中味について
その分野、道に暗い門外漢ほど、形式に拘り、その少ない持ち合わせの情報のなかで優劣をつけてしまう。
形式について
どれだけその分野に精通していて、頭の中で見込みあって、形式が出来上がっていたとしても、実現してみなければ確信が持てない。
形だけが纏まっていても実際の経験がそれを証拠立ててくれない以上は心細い。
以上から中味と形式の真理を認識し、さらにバランスよく見て考えることが重要だと説いている気がする。
私の個人主義
最終章となるこの章では、漱石の経験を基に「自己本位」という考えについて触れている。
英国での留学経験がだいぶ苦労した事、煩悶した上で「自己本位」という言葉を手に入れた事、この考えを基に生活することで、どれだけ自己の安心と自信が付随し、支えになったのかを説いている。
自己本位という言葉を手に入れて
先ほども触れたように漱石は英国留学でだいぶ苦労した。目的であった「英文学とはどうゆうものか」は結果として、わからずじまいであったと綴っている。しかし、この留学経験のなかである考えを掘り当てた。それが「自己本位」という考え方である。
私達は世の中に出る以上、どこが正解か曖昧で、進んでもしばしば不安になる場面がある。その時、こだわりを持つために何かに打ち当るまで行くという事は、生涯の仕事としても、あるいは何年の仕事としても、必要ではないかと説いている。
それを掘り当てることできたら、自信を安心させる要素となる。個性がそこにぶつかって、始めて腰が据わるからだろう。
権力と金力、そして個性
まず権力と金力にはある力が作用する。それは自分の個性を他人の頭に無理やり圧し付けることができるもの、そして、誘き寄せることのできるものである。この力があることを認識した上で、
組織である程度力を持つものは、慎重に行動しなければならない。
次に個性の発展上、個人の自由は必要なものである。どうしても他に影響のない限り、僕は左を向く、君は右を向いても差支えないくらいの自由を付与、そして把持しなくてはならない。
それが彼のいう個人主義だと説いている。
まとめ:読み終えて私の考えたこと
この本を読み終えて、漱石の考える個人主義が個性や自分らしさの考えにすごく近い気がした。昨今、個性や自分らしさを謳っていることが多いが、社会という枠の中で個性について考え、掘り当てていく作業が重要であり、結果として多様性や個性の発展につながることなのだろう。「自分がそれだけの個性を尊重し得るように、社会から許されるならば、他人に対してもその個性を認めて、彼らの傾向を尊重するのが理の当然になってくるだろう。」とあるように注意しなければいけないのが、「個性を認めるから自分勝手な真似をしても構わない」ということではないという事だ。
モラルという前提があって一人ひとりが個性について考えて伸ばしていくことが多様性ある社会の発展なのだろうと私は考える。