半月 諒
エッセイをまとめたマガジン。ノートの端にメモっておくような、そんな気持ち。
でんぱ組.incはいいぞー!! ラジオ番組SCHOOL OF LOCKでは、電話をくれたリスナーが高2だと自己紹介をするたびに、副校長が言っていました。 高2はいいぞー!! って。 もう何年も前の副校長なので、今は言ってないんでしょうけど。 自分も事あるごとに言いたいですね、でんぱ組.incはいいぞー!って。 ファンじゃない方からすると、でんぱ組.incってどんな印象なんでしょうね。自分調べの統計によると、最上もが、バカリズム、が一番よく挙がったキーワードでした。
最近、言いようのないモヤモヤした気持ちに、毎日のように襲われる。 脳みそが四角くなって、喉がねじれて、足は言うことをきかなくなってきた。 このままでは僕は壊れる。 いつかフスン、と音がして動かなくなる。 そんな気がする。 僕は逃げなくてはならない。今から。世界から。世間から。未来から。人から。家から。友人から。命から。僕から。君から。 逃げろ!逃げろ!今すぐに。もう時間はない。命がやって来る前に、やつらが追ってくる前に、急いで逃げろ! コトバを吐き出して、饐えた
モノを考えられるようになって、世界が見えて、そのまま小さく小さくなって、いつかぐちゃりと音を立てて、潰れるのか、いや、潰すのか。
どんなことをしていても、“敢えて”〇〇する、ってことありませんか? 敢えて関西弁を使う 敢えて音を外す 敢えて「押すな」と言う これらは全て、上手くいけば技巧を凝らした工夫という扱いを受けますよね。 上手く関西弁が使われれば、これは冗談で言ってるんだと言外に主張しているように聞こえるし、上手く音をズラせれば、それはハモリだし、上手く「押すな」と言えれば出川です。いや、ダチョウか。 “敢えて”何かするという行為は、上手く使いこなせれば、確実にワンランク上のものに仕上
その日、僕は朝の八時に目覚めました。雨が降っているようで、しとしとと音がしていました。焼きそばを朝食に食べ、その後はベッドでスマホを意味もなく眺めます。 最近の休日はいつもこんな感じで、大学に入ってからこちら、時間が無為に流れていくことが増えました。なんとなく、そんな状態にあることを、嫌だなあとは思っていたのですが、しかしすることがないというのが大学一年生。どうしようもありませんでした。 その日はスーパーに買い物に行こうと思っていたのですが、あいにくの雨で面倒にな
Instagramに“ストーリー”って機能、ありますよね。このストーリー、不思議な魅力のあるものだなって、今回はそんな話です。 インスタって他のSNSと同じで、1度投稿したものはユーザー本人が削除しない限り半永久的にネット上に存在しますよね。 しかしご存知の通り、ストーリーはそうではない。投稿した画像も映像も、声も文字も全てが24時間後には消えてくれます。 SNSに写真なんかを載せる時って、結構気を遣いますよね。半永久的に残るとわかっているから。けれど、ストーリーなら2
※※※ネタバレ注意※※※ 今回の記事は映画『ひるね姫』のネタバレが含まれます。 ※※※※※※※※※※※※ 私はアニメ映画はできるだけ見る、ということを決めているのですが、もちろん全てを映画館で観ることはできません(時間的にも、経済的にも)。 なので、レンタルビデオ店には非常にお世話になっています。新作でも5本一緒に借りれば1000円というのはありがたい。 そして先日もいくつかの映画を借りてきました。そのうちの1つが、今回のお話の主人公、アニメ映画『ひるね姫~知らない
文化祭のことを思い出そうとすると、決まって高校の文化祭のことを思い出す。大学でも文化祭はあったのに。 しかし高校の文化祭にトクベツな思い出があるかといえばそうでもなく、ただ単純に『文化祭』=『高校生』という固定観念が私の中にあるからなのだ。 なぜこんな固定観念があるかというと、それは私がオタクであるからに他ならない。 オタク文化にあまり馴染みの無い人は理解しにくいかもしれないが、アニメやラノベ、マンガなんかで一番よく舞台にされるのはなぜか高校である。 中学でもなく、大
私はあまりまともな恋愛をしたことがないので(恋はあるが、それはいい形でなかなか身を結ばない)、その辺のことに関しては予測予想で話をしているのだが、なんとなく、本当に何気なく、恋愛って、こういうものなのかもしないって思うことがある。 それは、寒空の下で聞こえた他人の会話だったり、真夜中の家の光だったり、布団に入って間もないときの温もりだったりするわけだけれど、そのうち一つでも、正しいものはあるのだろうか。 私の想う、想い描く恋愛というのは、現実世界のソレとはどう違うのだろう
木で出来たセピア色のドアを押して開く。カランカラン、とぶら下がった鐘が鳴った。 いらっしゃい、という気さくな挨拶をしてゆったりと笑うマスター。 カウンターに座ってジントニックを頼む。 「久しぶりですね。忙しかったんで?」 「いやあ、学生に忙しいなんてことはありはしませんて。ここ最近はずっと何も無かったってだけですよ」 そうですか、とまたゆったり笑う。 「じゃあ、今日は何か話したいことができたから来たってわけですか?」 コルクのコースターの上にジントニックを乗せて、
最近、他人としゃべることが苦痛だ。それは、明らかに自分に非があることによって生まれた問題なので、私がどうにかする以外方法はないのだが、どうすることもできないまま長い時間が過ぎてしまった。 人との会話が嫌いかというと決して違う。むしろ好きだ。 ただ、空気を読んで、ノリとタイミングを合わせて、会話するというのがどうにも嫌いなのだ。 自分の話したい時に話したいことを話す。そんな当たり前だけど、許されない行為が、私自身できなくなったのは、いつからだったろう。 この、“話せない
最近、あるアニメを思い出した。タイトルは『電脳コイル』。これは私が小学生だったころにNHKで放映されていたアニメで、電脳メガネと呼ばれるウェアラブルコンピュータが発明された世界を描く、近未来SFだ。 これからこのアニメの面白さについて延々と話すかというとそういうわけでもない。 なぜなら、私がこのアニメを見ていないからである。 私の親はなかなかに厳しい人で、小学生の頃はまともにアニメなんぞは見れなかった。(その抑圧されていた好奇心が爆発し、後にオタクへの道をひた走ることと
ふと思う。君に会いたい。すぐにでも。もう11時を回ってるけど、今すぐ君に会いたい。 君に初めて自分から電話を掛けた。 私はいつもタイミングが悪くて、3回に1回ぐらいしか出れないのに、君はすぐに出てくれる。 ごめん、君のことが好きじゃないんだ。 自分でも不思議なくらい、君のことが好きじゃないんだ。 話してて心地いい。会ったら楽しい。君は私のことを特別だと言ってくれる。満たされていた。 けど、好きじゃない。 前から知っていた。絶対好きにはならない。けど、気づけば君は