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0時12分。電車を降りる。終電の前に乗ったのに、ずいぶんと遅くなったな。と思う半面、このあとも電車が動いていることに、まだ驚く。上京して十年と少し。今日もまた、東京の夜は明るい。季節を問わず、いつでも、いつまでも。 秋になって良いことがあるとすれば、ヘッドフォンだと思う。夏は暑くてその存在すらも忘れていたけれど、衣替えと一緒に発見した。ワイヤレスのヘッドフォン。ノイズキャンセル付きで、没入感抜群。最近はまたコイツにお世話になっている。移動中に、音楽を”鳴らす”という行為か
「ねえっ、玄関のダンボール! ”紅茶”って書いてあるの、ほんとう?」 本当は紅茶なんかじゃなくて、Amazonからの荷物だったら日用品で、もしそうならば、然るべき場所に片付けなくてはならない。 「それ、ほんとうに紅茶〜〜〜!!」 台所から、声が響く。 「なんかね〜〜〜、友達が美味しいって言ってて。それが季節限定だって言うから、箱買いしちゃったァ」 なるほど。そのわりにはまだ開封もされていないわけだけれど。仕方がない、開封しやすいように箱の端を切っておくか。 「開けてくれ
引越し祝いは傘だった。 初めてのひとり暮らしで、すべてに浮かれていた。「引越し祝いを持っていくよ」という言葉にも、必要以上に浮かれてしまったかもしれない。わざわざ家の住所を聞いて、予定を合わせて、届けてくれるというのだから。 渡された包みは想像よりも小さかったけれど、充分に大きいと思えた。そして「なんだろう」と思えたのは一瞬で、すぐに傘だとわかった。 「傘?」 「そ、折りたたみ。持ってないでしょ?」 「持ってないけど……」 「いま、引越し祝いとしてはどーなの?って思っ
それは、大きな鞄だった。 朝の、込み入った電車の中で、それはあった。 もう少し奥に行こうと、隙間があるような気がしたのだけれど、そこは鞄だった。 実に大きな鞄で、身長150センチに満たないわたしが”体育座り”をすれば、すっぽり収まってしまうような。そういう錯覚すらあるような大きさだった。 鞄の主は、座席に座って本を読んでいた。 それもまあ、電車で読むには似つかわしくないくらいの厚い本だった。ハードカバーの。5センチより厚みがあるように見えた。 男は、少し痩せ
友達から連絡がきた。 ぽんっ、とひとつ、いつも通りのメッセージが届いたあと、しばらくしてこちらを気遣うような内容が続いた。自意識過剰かもしれないけれど、生身の、温かさを感じた。 わたしは時折、文章から必要以上の温度を感じ取ってしまい、それを勝手に受け取ってしまう。 感覚を信じすぎてはいけない、言葉は言葉であり、それ以上ではない。 わかっているのに、無視することができない。足裏を流れる、さざなみのように 心配をかけてしまったな、と反省した。 いつも、自分としては落ち着いた心
幾つかの言葉を、思い出しながら生きている。 「頻繁に、靴を買い替えたほうがいいかもしれないですね」 二度目に会ったとき、そのひとは行った。 そこは鍼灸院で、わたしの靴は内側にすり減っていた。 その、内股の癖で歩き続けると身体にとってバランスが悪い状態ですよ。ということだったらしい。 なるほどだった。 居心地良いことと正しいことって、案外異なっている。 そういうことばっかりかもしれない。 「見ていてごらん」と言われた。 ライブハウスの、階段の下の受付によく座っていたときの
仕事に行こうとして、失敗した。 家を出るときには「具合が悪い気がする」だったのに 電車に乗っているうちに、霧が濃くなるように身体が重くなり まあ会社まで歩いてみようと頑張ってはみたけれど、着いたところで給料泥棒になりそうだったので、スターバックスに座った。 取り急ぎ、会社に連絡を入れる。 誰も何も気にしないとわかっていても、「休みます」の連絡は、いつも気が重い。 「最寄り駅まで来たけどダメだったのでちょっと休んで帰る」というのを、社会人風に伝える。 コーヒーを飲んで(今日
駅の反対側に、松屋ができた。 駅の反対側はあんまり来ないので、もともと何があったかはわからない。 自分の住んでいる町なのに、どこかよそゆきの気分になる。 両手から何かを、零し続けてしまっているような 自分の目が、とんでもない節穴のような 自分のからだが少し浮いて タイムスリップしてしまっているような ここが、自分の住んでいる町であることを、きちんと確かめる必要がある。 そんな感覚だった。 そして、松屋はあった。 見慣れた黄色い灯りを放ちながら 煌々と佇んでいた。 牛丼
下北沢に、カレーを食べに行った。 このあいだ食べたカレーが、どうしても美味しくて 「美味しい」の種類には様々あるのだけれど、このカレーは「毎日食べたい」系の美味しさだった。 ほっくりとやさしく、一筋の暴力も混じらず、すべてが丁寧で、さわやかだった。 「おばあちゃんち(イメージ)みたいな味」だと思ったけれど、実際のおばあちゃんの味っていうのは、もっとくたっとして暴力的だったと思う。なんていうか、強い。 食べ物なんて食べられればなんでもいいし、お腹は空くけれど、食事の数は極限
夢を見た。 よく、夢を見る。 内容を、うすらぼんやり覚えている。 多くは、眠る前に見たアニメとか、日頃考えていることとか、そういうことに引っ張られる。 そろそろ会いたいな、と思えば、友達の家の猫が出張出演してくれるように。 そして時折、現実に紐付かない夢も見る。 今日は、やさしい人の夢を見た。 やさしい人は、時折わたしの夢に訪れる。 そして必ず、わたしを助けてくれる。 迷っているときには手を引いてくれるし 如何ともし難い、そんなときには背中を撫でてくれる、 導き、許し
医者に行った。 コイツ、話聞いてないな。と思った。 ◆ 前回とは違う先生で、少し話しやすい空気を出していたので幾つか話してみた。 というか、前回も話した内容も、引き継ぎとかされてないんだな。と気づいたので、少し丁寧に。 最初は幾つか頷いて聞いてくれて、 それから、相手の話を幾つか聞いた。 そしてまた話しかけている途中に、手応えのなさに気づいた。 ああ、このひとは自分の言いたいことを話したいだけで これ以上言うことがなくなったいま、面倒くさい顔をしているんだ。と 確か
「だいじょうぶだよ」と言う。 目の前のおとこは、やさしく笑う。 にんげんの、人生の、一体何パーセントが”大丈夫”なのだろう。 「大丈夫な人」と「大丈夫じゃない人」がいるわけじゃない。 「大丈夫な状態」と「だいじょばない状態」があるだけで、それは等しくなくとも皆に訪れる。 このおとこは、「だいじょうぶだ」と言いすぎている気がする。 言わせすぎているのは、わたしだ。 もう、「やむを得ない」のか、ただ甘えているだけなのか、わからない。 勤務時間がぐっと減って、家にばかりいるわた
海は、いつでも特別だった。 静岡の山奥の、川のとなりで育った。 泊まりにきた友達が明け方に、「雨が降っているの?」と尋ねてきて、驚いたことがある。 それは川の流れる音で、毎朝当たり前に聞こえるものだった。上流から下流に、言葉通りに流れてゆく。 上流の石は大きく、下流まで流れた石が削れて小さくなっていることを、本能的に知っていた。 小さな川は雨で茶色く濁り増水し、晴れが続けば干上がる。 それでも、決まったスポットでは大抵深い水が溜まって、夏はそこで泳いでいた。 蔦に捕まって
「ほんとうに、いろんなことを知っているねえ」と言われて、驚いた。 そもそも、「ネイル塗るのが上手」と言われて驚いた。 たぶん、今集まっている5人の中で、わたしがいちばん、或いは4番目に不器用なはずだった。 「最近のネイルは、むかしよりずいぶん早く乾くようになったんだよ」 ただ、それだけのことだと思っていた。 ハタチくらいーーー今から15年ほど前は、ネイルを塗るのって一大行事だった。 ムラになるし、乾かない。 ネイルを塗るっていうのは、半分くらい落ち込むことと同居していた。