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正しくないかもしれない靴底

幾つかの言葉を、思い出しながら生きている。



「頻繁に、靴を買い替えたほうがいいかもしれないですね」

二度目に会ったとき、そのひとは行った。
そこは鍼灸院で、わたしの靴は内側にすり減っていた。
その、内股の癖で歩き続けると身体にとってバランスが悪い状態ですよ。ということだったらしい。
なるほどだった。
居心地良いことと正しいことって、案外異なっている。
そういうことばっかりかもしれない。



「見ていてごらん」と言われた。
ライブハウスの、階段の下の受付によく座っていたときのこと。

「まっすぐ歩いて降りてこられる人は、少ないんだよ」

その階段はそれなりに横幅があって、幅だけでいえば余裕で数人がすれ違うことができるくらいだった。
それを、まっすぐ降りられる人は少ない。
そんなことを考えたこともなかった。

わたし自身も
まっすぐ歩けているかだなんて、考えもしなかった。




いまでもときどき考える。
わたしのまっすぐ、本当のまっすぐ、
正しさと、居心地の良さ。

わたしは疑う。
ひとつひとつの思考をぶつけて、脳内で破壊活動を続ける。
ひとつ、ひとつ
正しいのが、正しくあるべきなのか
まっすぐ歩けているのかどうか
それがいかほど重要なことであるのかどうか。
重要であることが重要なのか。
考えて、考えて

昨日の答えと、またひとつ違う思いにたどり着く。
それを誰かが、「すぐに意見が変わる」とバカにしても

自分を疑えない人間や
誰かの言葉を栄養にできないような生き方はしたくないのだ。と思う。

そうして、明日も変わらないことを確かめて
今宵の正しさを抱きしめて眠ったりする。


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松永ねる
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