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【掌編】ひとりぼっち

 0時12分。電車を降りる。終電の前に乗ったのに、ずいぶんと遅くなったな。と思う半面、このあとも電車が動いていることに、まだ驚く。上京して十年と少し。今日もまた、東京の夜は明るい。季節を問わず、いつでも、いつまでも。
 秋になって良いことがあるとすれば、ヘッドフォンだと思う。夏は暑くてその存在すらも忘れていたけれど、衣替えと一緒に発見した。ワイヤレスのヘッドフォン。ノイズキャンセル付きで、没入感抜群。最近はまたコイツにお世話になっている。移動中に、音楽を”鳴らす”という行為から、”聞く”という感覚に変わってゆく。どこでも自分ひとりの空間があって、音楽に守られているような。

 最近、サブスクをSpotifyから、YouTubeMusicに切り替えた。
 今までのお気に入りがすべて消え去り、それはまるで、臓器がひとつ持ってゆかれたかのような気分で、ゾッとした。あるいは、自分の空っぽさに。
 あれほど「音楽に救われたきた」などと豪語していたのに、好きなアーティストの名前が、全然思い出せない。日頃聞いていたやつ……スガシカオと、最近推しているVtuberと、あとは何だろう。洋楽だと、レッチリ? あまりよく思い出せない。
 それでもひとつずつをお気に入り登録して、自分自身を取り戻す。大丈夫、きちんと音楽が好きで、そこにある。何も変わっていないし、失っていない。

 PaperBagLunchboxの名前を検索したのは、本当に気まぐれだった。
 大学生の頃に好きだったバンドで、Spotifyにはいなかった。最近は「サブスク解禁」なんて言葉もよく聞くし、念のため調べてみるか……と思ったら、まさかの「サブスク解禁」だった。
 今日も、PaperBagLunchboxを聞いている。
 むかしは、終電ばかりで、ときには始発で、朝から牛丼食って、寝て、ときどき授業を受けて、煙草を吸って、そんなことばかり繰り返していた。
 今はどうだろう、と思うけれど、あまり変わらない気もする。コンタクトにするのは怖いからメガネのままで、運良くジーパンのサイズは変わっていない。穴もそのままあいている。靴は、セールで彼女が買ってきたやつから、ニューバランスへと進化した。あとは、なんだろう。あとは……始発で帰ることは、ほとんどなくなった。たぶん本当に、それくらいだった。信じられないくらい何も変わっていないのに、ずいぶん遠くへ来た気もする。

 耳元では、PaperBagLunchboxが「今日からはひとりぼっち」と歌っている。

 果たして、人はひとりぼっちになった瞬間に歌をうたうのだろうか。なんてことを考えたけれど、実際はそんな余裕なんてない気がする。
 だけど、彼女に振られたときには、スガシカオの「クライマックス」を歌った。「ふられてしまうという、クライマックスに遭遇してる?」なんて歌詞で、もう笑うしかなかったし、笑うにはこれしかなかった。
 しかし「ふられてしまう」というのはなかなかわかりやすいけれど、「ひとりぼっち」というのは、どんな状況だろう。「ふられてしまう」というのもひとりのような気がするけれど、あのときは周りがあれこれと世話を焼いてくれた気がする。飯を食わされたり、飲まされたり。

「とりあえず今のオマエは、ひとりぼっちじゃないだろう」というのが、夜の意見だろうと思う。「みさきちゃんがいるじゃん」と言われたらその通りで、みさきという名前の彼女がいる。付き合って五年ほど経つだろうか。

 このあいだは二人で映画を見て、帰りは買い物に付き合った。
 もともとアクセサリーの類は好きなようだが、その日はひとつの指輪をずいぶん真剣に見ていたので、「買ってやろうか?」と声をかけてみた。値段を盗み見たら一万円もしなかったし、アクセサリーを贈ったことはなかったので、まあ良い機会かもしれない、と思って。
「ほんとうに?」と嬉しそうに笑ってくれたので、一安心した。アクセサリーを贈るような仲ではないのではないかと、どこかで不安がなかったといえば、嘘になる。つとめて冷静に、「支払いはカードで」と告げ、「そのままで大丈夫です」と、みさきの声が続いた。
 指輪はそのまま、彼女の左手に収まった。左手の、中指に。

 きっと深い意味はないのだろう。指輪を贈られたことも、中指にしたことも。
 そして今0時14分、改札を抜けて「ひとりぼっち」の意味を考える。
 PaperBagLunchboxはまだ、「ひとりぼっち」を歌っている。

 もし、もしもみさきが、薬指を選んでくれたならば、自分は「ひとりぼっち」ではなくなっただろうか……たぶん、きっと、そうではないような気がしている。
 ひとりとか、家族とか、よくわかんねぇな。そうやって難しいことを考えずに逃げるのは、悪い癖かな。そういうやつが、最後にひとりぼっちになンのかな……こんな話を、みさきや友達にしたら「薄情」だとなじられるかもしれない。
 風がびゅうと吹いて、両手をポケットに突っ込む。ああもう、コンビニに寄るのも面倒だ。冷蔵庫に、ビールとキムチとサラダチキンがあった気がする。自分の中で信じられるものなんて少ないけれど、少し冷えた部屋で飲むビールの安堵と孤独だけは裏切らない。そして、こういうひとりの夜がたまらなく好きだと気づけば、みさきが薬指を選ばなかったことに、どこか安心している自分が、とたんに無責任に思えた。
 ああ、いいや、もういいや。今日はひとりぼっちでビールを飲む。それだけ、それだけで。





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松永ねる
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