私の仕事(私の出産経験含む) その5 産婦人科で大事な仕事の一つとして お母さんが安心して無事に産めること、 赤ちゃんが元気に生まれてくること、 生まれてきたあとのお手伝いと指導 この3つになってくる。 私のお産は切迫早産でこそ大変だったが つわりもさほどなく お産もしんどくなかった。 一人目は36週で生まれて小さかったにもかかわらず、 最初に経験した陣痛はつらかった。 けれども産んだ後も体力は落ちていたが 元気そのものだった。 二人目は切迫早産の危機を脱したと思った
私の仕事 その4 秋くらいだっただろうか。 少し半そででは肌寒かった頃だったと思う。 私は家から通える距離の 産婦人科病棟に再就職した。 そこの産婦人科は このあたりでは出産数が多い病院で、 毎日満床になっている病院だった。 お産で入院している方、 不妊治療の副作用でしんどくなって 入院される方、 つわりがひどくて食事がとれず 入院になる方、 帝王切開で入院になる方。 切迫流産、切迫早産で 入院になる方など 色々であった。 病院には院長、 助産師、看護師、 ヘルパー
10.私の仕事 その3(3人目妊娠) お金と時間と心の 余裕のない生活をしていたが、 二人目が大きくなってくると、 「かわいいな~」と思えるほど 気持的にも余裕が出てきた。 まだ仕事をするという段階ではないが、 家事や子育てを手伝ってくれるくらいまでに 回復していた。 ほどなくして3人目を妊娠した。 仕事は続けて頑張っていたが、 やはり3人目も切迫早産気味となり 早々に入院するように 医師から説明を受けた。 けれど、 子ども二人家にいて、 夫はうつ病で、 経済的にも苦し
書きながら色々なことを 思い出してきた。 透析で看護師をしているときに 二人目の妊娠が分かり、 復帰後のタイミングで 平日は一般外来、 土日祝日は救急外来で働くという ことになっていた。 復帰後と言っても、 産後2か月で復帰。 育休は今とは違い、 少しの手当てが出て、 復職してからお金が 払われる仕組みだったと思う。 私は少しの手当てでは 生活ができないと思って、 育休は取らずに 産前産後の休みだけをとって 仕事に復帰した。 復帰するのはいいが、 生後2か月の赤ちゃん
今日は私の仕事について 書いてみる。 家を買った頃、 娘は2歳。 私は看護師として 病院で働いていた。 「透析 とうせき」 って聞いたことがあるだろうか。 透析とは、 腎臓の機能が落ちてしまい、 尿が出なくなってしまったり、 水分が体内に溜まりすぎてしまったり、 有害なものが体の中に 溜まってしまった場合に 治療として行っている。 図を見ると、 チューブが二つ出ている。 一つは体から出ていく血液のチューブ、 もう一つは機械を通して きれいになった血液が入っていく チュ
仕事をやめて 季節は過ぎる。 冬は夫の気分の沈みがあって、 ふさぎこみがちで、 薬も合わなくて、 週に1回の受診を定期的に 続けていた。 このころは、 最初にかかった病院の通院はやめて、 県内の都市部にある 心療内科に通っていた。 そこは家から下道で40分くらい かかるところで、 国道を走って、いくつか曲がって 大きなスーパーのすぐ近くの 心療内科であった。 スーパーの有料駐車場に車を停めて、 歩いて3分くらいのところにある、 新しくもない、大きくもない、 こじんまりし
6.傷病手当もらいきる! 「傷病手当、、、。」 元気で働いているときには 給料明細を見て、 「なんかいっぱい引かれとるな~。」 と思っていたが、 病気になったり、 働けなくなったら、 この制度はありがたいと 思えてくる。 厚労省に説明書きがあった。 「同一のケガや病気に関する 傷病手当金の支給期間が、 支給開始日から通算して 1年6か月に達する日まで 対象となります。 支給期間中に途中で就労するなど、 傷病手当金が支給されない期間が ある場合には、支給開始日から 起算
5.仕事復帰 その2 夫の上司と電話で話した夜、 夫と一緒の部屋で寝る気が 全く起きず、 リビングのあたしのお気に入りの ソファで寝た。 寝心地は悪くないが、 ソファのベッドの幅が狭いから 「ちょっと肩が痛い、、、。」 と思って朝、目が覚める。 今日も夫は仕事がある日。 きっと今日は無理だろうと 思いつつも、 重い足を一段一段 あげて階段をのぼった。 階段あがって子供部屋が 真正面にある。 左をみると吹き抜けがあり、 その廊下を渡って 寝室に入る。 ガチャ なんか
4.仕事復帰 「そろそろ仕事してもいいと思います。」 2年過ぎた頃、 いつものように受診に 付き添っていると 医師にこう言われた。 ふと、横にいる夫を見てみる。 嬉しそうなのか、 困っているのか よく分からない表情。 膝の上の手は 強く握りこんでいる。 次回の予約をその場でとって、 受付で会計をし、 駐車場に行く。 バタン、シュッ、カチッ 車に乗り、シートベルトを 装着しハンドルを握る。 ふと横を見ると、 助手席の夫はかぶってきた帽子を 顔に当て、シートを倒し
3.受診と仕事 うつ病疑いで始まった通院。 最初は薬の調整で 週1回。 仕方ないことだと思うけど、 仕事と子どもがいる中 平日に週1回病院に連れて行くのは 結構大変だった。 診察室に入り医師と話す。 本人はなかなか話せない。 付き添いの私が 普段の家の様子を話す。 「家では横になって寝ているし、 子どもと遊ぶこともしません。 前は子どもと遊ぶことが 好きだったのですが。」 「食欲は出て、食べれるのは 食べれるのですが、 その後はずっと寝ています。」 週1回通院した
2.「あ、、あれ?」 最寄り駅から車で5分。 歩いたら20分くらい。 このあたりの街中を流れている 川の橋を渡り、 和菓子屋さん、制服のお店など まだ昔の東海道の名残がある 商店街を抜けていく。 道幅も広くなく、間口が狭いたたずまいの 昔ながらの商店街。 そこはひっそりとしていて、 時々電気屋さんでお客さんと話している 店主の声が聞こえ、 和菓子屋さんからは、 ほのかに甘いにおいがしてくる。 狭い商店街なのに いつもきょろきょろ見渡しながら 歩いてしまう。 郵便局もあ
はじめに はじめまして。 かねさき ゆみです。 数人の友人から、 「ゆみちゃんのその人生は、 きっと人の役に立つよ!!」と 背中を押してくれたので 私の人生録を書いてみようと思います。 普段日記も書かない(続かない)私ですが、 私の人生が誰かの役に立つことを願って 記していきます。 お楽しみください。 ********************************** 1、夫との華やかな唯一の思い出 15年前のある日。 「ねえ、パパ、住むのどこがいい?」 夫の