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1カ月間坐禅をすれば「顔つき」が変わる

佛道の入り口は「禅」だった

私が佛道に興味を持つ不思議な子どもになったきっかけは、臨済宗(禅宗の一派)の沢庵和尚を知ったことからだった。

佛縁をいただいてお大師さまの真言宗に帰依している私だが、いまも禅寺を訪れると、その凜としたたたずまいに背筋が伸びる。

「顔立ち」と「顔つき」

「1カ月も寺で坐禅をすれば、『顔立ち』は変わらなくても、『顔つき』はしっかり変わる」

どこかで読んだ禅僧のことばだ。曹洞宗(やはり禅宗の一派)の澤木興道師は、若い頃は近寄りがたいピリピリした雰囲気をたたえていたが、老齢になってからは子どもがニコニコと近づいてくるほど柔和になったと聞く。「40歳を過ぎたら、自分の顔に責任を持て」と言ったのはアメリカのリンカーン大統領だったか。

私は毎日わずかな時間ながら、佛弟子の日課として瞑想を十年以上続けている。このおっさん然とした「顔立ち」にどのような「顔つき」がフレーバーされてきたのかは分からない。それでも、ニコニコと毎日を健康に過ごすことができる心身も、佛弟子としてのご縁によるものだ。すこしはマシな男になっていると思いたい。
(21/6/13)

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