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美術史第46章『メソポタミア美術-前編-』
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「メソポタミア文明」は現在のイラクのメソポタミアの住民達により段階的に始まった文明で、ティグリス川とユーフラテス川の間や周り、現在のイラクからシリアあたりにあたるメソポタミア地方で誕生した。
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これはエジプト文明とはほぼ同時に発達したことから共に人類最古の「文明」であるとされており、エジプトが「ファラオ」によって治められる統一国家となった一方、メソポタミアでは多くの都市国家が建設されて割拠する状態であり、そこで人類最古の文字とされる「楔形文字」が誕生、そして、高度な都市文明が発達するとともに美術も高度になっていくこととなったのである。
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メソポタミア文明では、文明の誕生よりも前の新石器時代に様々な形で、幾何学模様など比較的緻密な装飾が行われた彩文土器が出現、中部のサーマッラー文化や北部のハラフ文化では普通の幾何学模様に加えて、特徴を極端に誇張した人物や動物の文様が生まれており、文明出現以前から社会がある程度、発展していたと思われる。
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また、新石器時代のメソポタミアでは沖積平野という地理的な問題でほぼ全く石材が取れず、他の地域と違い宗教的な巨石記念物が建てられず、宗教的な建造物は煉瓦で建築され、アーチ式の建築技法が誕生した。
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紀元前4000年頃にはメソポタミアでウルク文化の時代が始まり、煉瓦作りの神殿を中心とした都市が多数誕生、都市の誕生により人が集まった事で商人が生まれ商業が活性化すると共に商売などの情報を伝達するために文字の原型となる絵文字が使われ始め、楔形文字が誕生し、メソポタミア文明もここで誕生したといえ、青銅器もこの頃に導入された。
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その一方で美術では、神殿の内部でも陶器の破片により壁面や柱部分がモザイク装飾されているものが誕生、彫刻作品は人の質感を表現するのに望ましい大理石で作られるようになり、これらの伝統は遥か後の時代まで継承されていくこととなる。
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そして、紀元前3100年頃からのジュムデト・ナスル文化の時代、紀元前2900年頃からのメソポタミア初期王朝時代を経たメソポタミア各地では政治的な指導者が生まれ各々の都市が本格的に国家として発展を開始した。
それに伴い礼拝者や聖職者を象った立像の制作が行われるようになり、美術品全体では素材が石や銅、粘土などだけでなく金、銀、ラピスラズリ、貝殻などが使われ始め多様化、戦争を扱った叙述的な表現も行われた。
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またこの頃には大理石による彫刻が行われ、その中でも「エビフ・イルの像」に代表される礼拝像は非常に特徴的な様式を持ち彫刻の人物の目を強調して作るというのがあり、これは現在、メソポタミア文明やメソポタミア文明を誕生させたシュメール人達の象徴的なイメージとなっている。
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また、木材、金箔、ラピスラズリ、貝殻のような加工しやすい素材もの頃には使められていたのだが、これらを組み合わせたレリーフや彫像は非常に写実的で、この時代、メソポタミア美術は大きく写実化したといえる。
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紀元前24世紀にはメソポタミア文明北部のアッカド人のサルゴン王によりメソポタミア文明の多くを傘下に収めていたシュメール人のルガルザゲシ王を倒した事によりメソポタミアが初めて一つの国、アッカド帝国の傘下に入りアッカド時代が開始した。
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建築や円筒印章ではさらに写実的な表現が発展、円筒印章では世界の残酷や不条理などを描いた悲壮な雰囲気のものとなり、アッカド人の文化の影響で、動物を描いた円筒印章も多く作られ、それと同時に王などの権力者の権限が強くなったことで彼らを讃える美術も確立した。
その後、前22世紀に現在のイランの山岳地帯のグティ族の襲来でアッカド帝国が滅亡、すぐにシュメール人の都市国家ウルクのウトゥ・ヘガル王がグティを追い出し次のウルク王ウル・ナンム王がウルを拠点にしてメソポタミアを支配した。
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こうして「ウル第三王朝」の時代が開始すると各地の都市の再建が進められ煉瓦の巨大神殿ジッグラトが各地に建設され、建築関連の美術様式が発達、エジプトにも影響を与え、これにより有名な「ピラミッド」が作られることとなった。