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『この世は夢のごとくに候』…足利尊氏が清水寺にお願いしたこと……@東京国立博物館

東京国立博物館(トーハク)には、歴史上の人たち本人が書いた手紙やお経などが頻繁に展示されています。先日までは、室町幕府をひらいた足利尊氏が、京都の清水寺に納めた願文が展示されていました。


足利尊氏の願文:原文や書き下し文

「この世は夢のごとく…」までは意外と読めてしまうので、その後に何が書かれているのか気になってしまいます。以降は判読が難しくなりますが、以下のようにしたためられています。

この世は夢のことくに候、尊氏にたう心たはせ給候て、後生たすけさせをはしまし候へく候、猶󠄁々とくとんせいしたく候、たう心たはせ給候へく候、今生のくわほうにかへて後生たすけさせ給候へく候、今生のくわほうをは直義にたはせ給候て、直義あんをんにまもらせ給候へく候、
建武三年八月十七日
尊氏(花押)
※以上「は」は、実際には「ハ」とカタカナで記されています

さきほどの原文に当てはめると、下図のようになります(間違いがあったらご了承ください)。

「たすけさせをハしまし候」など「を」を見つけると、無意識に「を、」と頭の中で認識してしまい、なんだ? ってなりますね。古文を読む時は、「を」を「お」に頭の中で自動変換するなどの対策が必要……といつも思いつつ、毎回失敗しています。

足利尊氏の願文:単語・句の解説

1. 「この世は夢のことくに候」

  • 「この世」 : 現世や現実世界を指します。尊氏はこの世のはかなさを述べており、「仏教的な無常観」を暗示しています。

  • 「夢のことく」 : 「夢のごとく」、つまり「夢のように」という意味で、仏教的な視点からこの世のはかなさや儚い性質を強調しています。

  • 「に候」 : 「~でございます」という意味の丁寧表現で、主に武士や貴族の間で使用されていた敬語です。

2. 「尊氏にたう心たはせ給候て」
・「たう心」
: 「道心」と同義で、仏道や修行の心を持つこと、信仰心を指します。ここでは尊氏が仏道への志を持つ心を述べています。
「たはせ給候て」 : 「賜(たま)わせ給(たま)いて」という敬語表現で、「お授けください」という意味です。尊氏が仏に対して「道心を授けて欲しい」と願っているのです。

3. 「後生たすけさせをはしまし候へく候」
・「後生(ごしょう)」
: 来世や死後の世界を意味します。尊氏は現世を超えた来世での安楽や救いを願っています。
「たすけさせ」 : 「助けてほしい」という意味で、尊氏が仏に来世で救済を求めています。
「をはしまし」 : 「おわします」の連用形で、尊敬表現です。「あられる、いらっしゃる」を意味し、ここでは仏に対する敬意が込められています。
「候へく候」 : 丁寧な願望表現で、「~していただきたい」の意です。「後生の救いを願っております」という願望を表現しています。

4. 「猶々とくとんせいしたく候」
・「猶々(なおなお)」
: 「なおいっそう」という意味です。さらに強く願う気持ちを表しています。
「とくとんせい」 : 「得脱生」とも書き、仏教用語で「解脱」や「悟り」の境地に達することを意味します。仏の救済によって迷いから解放されることを望んでいるのです。
「したく候」 : 「したいと存じます」という意味で、解脱を願っている意思を示しています。

5. 「たう心たはせ給候へく候」
再度「たう心(道心)」を授けて欲しいとの願いを強調しています。「たう心たはせ給候へく」とすることで、道心を持つことが救いへの道であると考え、仏の加護をさらに願っています。

6. 「今生のくわほうにかへて」
・「今生(こんじょう)」
: 現世やこの世を意味し、来世に対する現世のことを指します。
「くわほう(功徳)」 : 仏教の用語で、善行や善意に基づく利益や功績です。尊氏が現世で積んだ善行や徳を指します。
「にかへて」 : 「~に変えて、代わりに」という意味で、現世での功徳を来世の救いに変えて欲しいという願いです。

7. 「後生たすけさせ給候へく候」
再度、来世での救いを仏に祈っています。現世での善行を、来世の救済に替えて欲しいという形で、強く願望が述べられています。

8. 「今生のくわほうをは直義にたはせ給候て」
・「直義(ただよし)」
: 足利直義は、尊氏の弟です。尊氏は自分が受け取るべき果報を弟に譲ることを仏に願っています。
「たはせ給候て」 : 「賜(たま)わせ給(たま)いて」という意味で、「授けていただきたい」と願っています。果報を直義に託し、弟が現世で安寧を得られるようにと願っています。

9. 「直義あんをんにまもらせ給候へく候」
・「あんをん」
: 「安穏」と書き、「平和で安らかなこと」を意味します。直義が現世で平和に、無事に過ごせるようにと願っています。
「まもらせ給候へく」 : 「お守りくださいますように」という意味で、仏に弟の加護を求めています。

足利尊氏の願文:全体の解釈

足利尊氏は、この願文で「この世は一時的で儚いものであり、自らの魂が来世で救われるよう」強く仏に祈っています。また、自身が受けることになっている果報を弟の足利直義に託すことで、彼が現世で無事に安寧を得られるように願っています。この願文は、無常感と家族への思いやり、さらには仏教的な信仰に基づく自己浄化と救済の希望が込められていると解釈できます。

以上がChatGPTによる、足利尊氏の願文の、授業っぽい解釈ですね。どういうことが書かれているのか、足利尊氏のその時の状況や立場などを考慮せずに、純粋に古文の解釈をすると、こうなるということです。

太平洋戦前の願文の解釈や評価

わたしは日本史が好きなのですが、正直、足利尊氏って、よく知りません。同じく源氏でほとんど同郷と言っても良いような近所の領主、新田義貞とともに鎌倉幕府を倒し、かつ室町に幕府を開いたという……足利尊氏って英雄ですよね? という感じですが、いまいちピンとこないんですよね。関東に生まれ育ったわたしとしては、日本史上で初めて天下を統一した人なのだから、もっと身近に感じても良いはずなのに……いまいちボヤァ〜っとした存在の人です。

そのボヤァ〜っとした印象がないのは、わたしが彼に興味が抱けなかったということもありますが、明治から昭和前期までの、足利尊氏のとても政治的な評価が関連しているのかもしれません。

以下は太平洋戦後の1952年に佐野学さんという方によって記された、願文の解釈です。

尊氏は建武二年八月、後醍醐天皇の命に従わずして京都から關東(関東)に下り、北條時行の軍を破つた後、遂に天皇に叛いた。その翌年正月京都に攻め上り、やがて北朝光明天皇を擁立した。しかし表面政務上の事は弟直義にゆずり、自分は佛道(仏道)に歸(帰)し菩提心を求めた。その事実を物語るのが清水寺に納めたこの願文である。全文尊氏の自筆でくりかえしくりかえし現世の果報は直義に与え、自分には道心を給つて後生を助けてほしいと願つている。これが尊氏の本心に發(発)するものかどうか見る人によって意見がわかれるが、また以て彼の宗教心を見るに足るものである。

『足利尊氏』佐野学 著(出版者 青山書院 1952年)

一方で、下は戦前の昭和7年に記されたものです。

本書は建武三年八月、丁度氏が光明天皇を擁立した翌々日の十七日に、京都清水の観音に捧げた願文で、その主旨は信仰心を授かり、遁世して後世を助からんことを願ひ、現世の果報は弟直義に与へられんことを祈つたものである。
蓋し氏は後醍醐天皇の洪恩に背き奉つて、驚懼懊悩のあまり、日来信仰し、且つ自身ともに直義に對して擁護の霊験を示された清水の観音を憑み奉つて罪障消滅を願ふと共に豫て(かねて)より進取的であつた弟直義をして政務に當らしめんとしたのであらう。
尊氏の直筆の知られたるものは可なり澤山にあるが、本書は漢字と仮名とを併せ観ることが出来るのみならず、その書風巧秀にして品格あり、以て彼の學問人物を想見するに足るものがある。

『日本名筆全集 第12巻』雄山閣 昭和7年

この『日本名筆全集 第12巻』では、「蓋しけだし(足利尊氏)氏は後醍醐天皇の洪恩に背き奉つて、驚懼懊悩のあまり」とあります。後醍醐天皇の恩に背いた……後醍醐天皇と対立し、最終的に朝廷に背いて新たな幕府を開いた……という点で、特に明治に入ってからの天皇を絶対頂点とする歴史史観では、足利尊氏は朝廷に背いた反逆者として、許されない存在だったんですね。

そんな足利尊氏は「驚懼懊悩のあまり、日来信仰し、且つ自身ともに直義に對して擁護の霊験を示された清水の観音を憑みたのみ奉つて罪障消滅を願」ったとしています。守るべき道をはずれた足利尊氏は、狂おしいばかりに悩み、清水の本尊である観音さんにすがって、過去に犯した罪を仏道の修行によって消し去ろうとした」とまで書いています。

『日本名筆全集 第12巻』では、そうして断罪しつつも「その書風巧秀にして品格あり」と絶賛しています。

まぁこの執筆者は、足利尊氏の悪口を書きつつも、実は別に足利尊氏のことを罪人とは思っていなかったのでしょうね。ただ「足利尊氏を褒める」ということが世間で許されない行為だったため、褒める前にボロカスにしておき、「わたしは足利尊氏が大嫌い」というのが前提なんですけれど、それでも、この願文については「その書風巧秀にして品格あり」と言わざるを得ません……と言っているのではないでしょうか。

歴史は、新たな資料が見つかることによって、評価が変わることがありますが、そうした証拠が見つからなくても、世の中の雰囲気によっても、評価が大きく変化する……そんな好例の一つが、足利尊氏に対する評価だと思います。

調べてみると、足利尊氏さんは、けっこうちょこちょことお経を各地の自社に奉納するなど、仏心浅からぬ人のようです。

ということで今回のnoteは以上です。

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