渡辺始興さんをはじめ江戸時代の琳派系作品が並んでいます@東京国立博物館
東京国立博物館(トーハク)の安土桃山〜江戸時代の書画コーナー(本館8室)は、これでもか! というほどに、著名な作家による作品が展示されています。それに、わたしが知らないだけですが、その他の作家の作品も素晴らしいものが多いです。
例えば、もうすぐ展示替えされてしまいますが、2024年10月1日(火) ~ 2024年11月10日(日)の同室の展示は下の写真のとおりです。
一番左の平台ケースに展示されているのは、先日noteした、狩野探幽さんの《草花写生図巻 秋》です。
■渡辺始興さんの《農夫図屛風》
そして上の写真の立ち位置からだと、一番奥に展示されているのが、渡辺始興さんの《農夫図屛風》。この展示室の、今季の主役は渡辺始興さん……と、勝手に決めつけています。
で……「渡辺始興さんって誰だよ?」っていう人がわたし以外にもたくさんいるかと思いますが、この方はとても良い作品を描いているはずなのですが……わたし個人的には残念なことなのですが……写真を撮ってきてnoteにアップする……なんてことが禁止されている場所ばかりに、日本国内では展示されているんです。そのため、渡辺始興さんの作品って、どんなものがあるの? と言われても、なにも思い浮かばない人が多いのではないでしょうか……そんな不遇の作家と言えるでしょう。(もちろん「今の状況が、そんなに不遇とは思えない」という考え方があるのも理解しています)
とにもかくにも、今回の展示では俵屋宗達、本阿弥光甫、尾形乾山の次に渡辺始興さんの展示が並んでいることから、なんとなく「琳派の流れを汲んでいる人なのかな?」という雰囲気ではあります。
ただし絵を見ても、琳派っぽさを感じることはありませんでした。細かく見れば、ここが琳派っぽい……みたいなところはあるのかもしれませんが、わたしには分かりません。それよりも渡辺始興さんのルーツである、狩野派っぽさの方が強いのかなと。
……まぁ狩野派も琳派も、そんなに知らないので……多く書くのはやめます。
七種類が記されているのか分かりませんが、秋の七草が描かれています。水墨画だとよく分かりませんが、いわゆるやまと絵というか日本画というかには、必ずと言っていいくらいに和歌や俳句で季語にあたる、季節を感じさせる草花が描かれていますよね。
そういえば大河ドラマ『光る君へ』を見ていても、庭などに季節の草花が見えることが多々あります。実際はどうだったのか分かりませんが、紫式部や藤原道長などの着ているものを見ても、パッと季節が分かるような雰囲気ではありません。そこで草花で季節感を出しているんだろうなぁと、ぼんやりと思いながら見ています。
金のチラシかたも上手ですよね……というか、この屏風って、そもそもの話になりますが不思議な画題ですね。名前が《農夫図屛風》としてあるとおり、農村の風景を描いています。でも、これを見ていたのって、公家さんたちなんですよね。下々の生活を見るのが流行っていたのでしょうかね。
■俵屋宗達や尾形乾山などビッグネームもちらほら
展示室の全体を逆から見ると、下のような感じです。奥の方が狩野派で、じょじょに琳派となり、狩野派+琳派のミックスである渡辺始興さん……という並びです。
紅葉した楓の下、流水のほとりに白菊が咲くさまを描いた一作。乾山は尾形光琳の弟で陶芸家として有名ですが、絵画制作においても趣のある作品を残しています。その多くには自賛があり、本作でも、書と画を合わせて書画一致の世界を楽しむことができます。
本阿弥光甫は、本阿弥光悦の孫にあたります。光悦が亡くなったのは光甫が37歳のときで、それまで光甫は光悦から茶道や香道、書画などを学んだといいます。
その本阿弥家の先祖は妙本=長春ということになっています。その長春が足利尊氏に仕えて刀剣奉行になったと言われているんです。そして足利尊氏の上京に伴って京へ引っ越します。そして日静という僧に帰依して剃髪……妙本阿弥仏と称します。光甫は『本阿弥行状記』を(父とともに?)著しますが、そこには「尊氏将軍叔父僧日静、鎌倉より上りて本国寺を営む。依之後醍醐天皇為勅願寺」と記しています。
だからなのか、今季のトーハクには足利尊氏が建武三年(一三三六)八月十七日に、清水寺へ奉納した自筆の願文が本館3室に展示されていました……撮り忘れました……。
俵屋宗達の月を見上げる兎の絵は、以前も見たことがあったのですが、面白いのは、トーハクへ寄贈したのが川合玉堂さんだということ。Googleで「川合玉堂 うさぎ」で検索すると、玉堂さんの兎を画題にした様々な作品が見られます。この俵屋宗達さんの兎も、参考にした時期があったのかもしれません。
絵は池大雅さんが描いていますが、この七言絶句の漢詩は、親友の韓天寿さんがしるしたものです。韓天寿と言うと、大陸系の人なのかな? なんて思ってしまいそうになりますが……まぁこの頃は文人の大陸かぶれが多かったのでしょう。実名は、生家は青木ですし、養子先は中川で、通称は長四郎……天寿というのもWikipediaによれば、本来は「たかかず」と読むそうです(号としては「てんじゅ」)。
ということで今回のnoteは以上です。今週末までの展示なので、もう一度、ザザザっとおさらいしておこうかなぁとも思います。