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曽我蕭白だから見入ってしまうのか? 東京国立博物館の《松鶴と人物図屏風》
新年の東京国立博物館(トーハク)の「屏風と襖絵の部屋」には、「奇想の画家」に指定された一人、曾我蕭白(そがしょうはく)の《松鶴人物図屏風(しょうかくじんぶつず)》が展示されています。
2019年に東京都美術館で開催された『奇想の系譜展』のWebサイトを参照すると、どうやら「奇想の画家」とネーミングしたのは、美術史家・辻惟雄氏(1932-)です。正確には、辻さんが1970年に著した『奇想の系譜』に、「それまで書籍や展覧会でまとまって紹介されたことがなかった、因襲の殻を打ち破った、非日常的な世界に誘われるような絵画」が採り上げられたそうです。あくまで作品がセレクトされていたわけで、「奇想の画家」と言ったわけではなさそうです。ただ、同書が話題になったことから、採り上げられた作品の作者……画家たちに、スポットライトが当たるようになった……ということのようです。そして、採り上げられた作品の画家たちというのが、以下のような人たちです。生年月日順に並べてみました。
改めてみると、岩佐又兵衛さんや伊藤若冲、長沢芦雪、歌川国芳などは、本当に「それまで書籍や展覧会でまとまって紹介されたことがなかった」のかなぁ? と疑問に感じます。例えば長沢芦雪を主人公にした司馬遼太郎の『芦雪を殺す』を所収する短編集が発売されたのは1960年なんですよね。
まぁそこは深堀りする必要もありませんが、来週からトーハクで始まる特別展『大覚寺』で、多くの襖絵が展示される狩野山雪さんも入っているんですね。まぁ今でもメジャーな画家とは言えないかもしれません。そのほか白隠慧鶴さんについてはよく知りませんし、鈴木其一さんもよく知られた絵師とはいい難いかもしれません。
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(2025/01/25追記)大覚寺展で多く展示されているのは、狩野山雪ではなく狩野山楽でした。勘違いしていました。
岩佐又兵衛 (1578-1650)
狩野山雪 (1590-1651)
白隠慧鶴 (1685-1768)
伊藤若冲 (1716-1800)
曽我蕭白 (1730-1781)
長沢芦雪 (1754-1799)
鈴木其一 (1796-1858)
歌川国芳 (1798-1861)
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とにかく今回は、この中の曾我蕭白さんです。以前、彼の《蝦蟇鉄拐図》をトーハクの同じ部屋で見た時に、確かに「これはすごい」と感じましたし「目が離せない」とも思いました。今回の《松鶴人物図屏風 A-108》は、どうでしょうかね。
《松鶴と人物図屏風(右隻)》…描かれている4人の文人
《松鶴人物図屏風 A-108》は、右隻が《人物図》で左隻が《松鶴図(しょうかくず)》という構成になっています。そして奇想の系譜っぽさを感じやすいんは、右隻の《人物図》でしょう。
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その右隻に描かれているのは…解説パネルによれば…「日本でも好んで絵画化された中国人物(右から周茂叔、蘇東、陶淵明、黄山谷か)」なのだそうです。もうね…陶淵明以外の3人は、名前を聞いたこともないです。ということで、一人ずつ簡単に紹介しながら、曾我蕭白さんがそれぞれをどう表現したかを見ていきます。
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周茂叔(しゅうもしゅく)は、北宋時代の儒学者で、1017年から1073年まで生きました。本名は周敦頤(しゅう とんい)で、茂叔は字(あざな)です。蓮をこよなく愛したことで知られ、「愛蓮説」という蓮を賞賛する文章を書きました。日本の室町時代の絵画にも影響を与え、狩野正信による「周茂叔愛蓮図」という国宝が残されています。
素直に見ていくと、この窓から大きく体を乗り出している方が「周茂叔(しゅうもしゅく)」さんということになるでしょう。一緒にいる子どもは、何か由来があるのかもしれませんが、絵の構成として1人だと寂しいから、ペロリと舌を出した子どもを追加しとこう…といった感じだったでしょうか…そんなテキトーなのか? 周茂叔(しゅうもしゅく)さんは、蓮が好きだったということで、身を乗り出して、ちゃんと蓮を眺めています。
子どもを見ると「曾我蕭白さん、またふざけてるよぉ〜w」という感じなのですが、周茂叔(しゅうもしゅく)さんについては、全くオフザケ無しでキリッとした表情に描いています。
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次の蘇東坡(そとうば)さんは、一緒に描かれている子ども?に目をとられて、本人を撮ってくるのを忘れました。
蘇東坡(そとうば)は、北宋時代の文人で、詩人、書家、画家としても有名でした。本名は蘇軾で、東坡は号です。政治家としても活躍しましたが、政敵との対立により何度も左遷されました。
描かれている人を見ると、たしかに左遷されたっぽい雰囲気を有しています。ただし、もっと分かりやすい「わたしは蘇東坡じゃ」ということを示す目印……アイコンが描かれているのだと思いますが、どれがそうなのか分かりませんでした。
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こうやって真っ直ぐに見つめられると目が離せなくなります…
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岩などを挟んで左側に描かれているのが、まずは陶淵明(とうえんめい)さん。ちょっと聞いたことがある名前です。
陶淵明(とうえんめい)は、東晋末期から南朝宋初期の詩人です。隠遁生活を送り、自然を愛し、酒を好んだことで知られています。「帰去来辞」や「桃花源記」などの作品が有名で、特に菊を愛したことでも知られています
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黄山谷(こうさんこく)は、北宋時代の文人で、本名は黄庭堅です。詩人、書家として名高く、蘇東坡と並んで「蘇黄」と称されるほどの文名を得ました。独特の書風で知られ、後世に大きな影響を与えました。
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《松鶴と人物図屏風(左隻)》…ひたすらめでたい鶴と松と亀
右隻に当時人気だった中国の人物4人が描かれた一方、左隻には鶴と松と亀という、正月におなじみのめでたいものが描かれています。今さら気が付きましたが、だからこの時季に展示されたんでしょうね。そういえば、同じ部屋にもう一点展示されているのは、大きく描かれた富士の作品でした。
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右隻の落款は「曾我蕭白」
左隻の落款は「曾我暉一」
なんだか……今回の《松鶴人物図屏風 A-108》では、曾我蕭白の奇才というか変態っぷりが甘いというか薄い感じがしますね。なので、ちょっと消化不良という感じなので、曾我蕭白の頭の中がバクハツ! しているほかの作品を探してみました。
■これは一生に一度は観たい! 曾我蕭白、渾身の作品
◉メトロポリタン美術館《Lions at the Stone Bridge of Mount Tiantai》
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獅子は我が子を千尋の谷に落として、人生を切り拓く力をつけるという 「獅子の子落とし」を題材にした絵です。わたしが千尋の谷で思い描くのは、親ライオンが一頭と、子ライオンが一頭ですが、曾我蕭白さんは違います。何十頭もの子を谷に落として、這い上がってくる様子を描いています。圧巻です。
英語タイトルの《Lions at the Stone Bridge of Mount Tiantai》は、「天台山の石橋におけるライオン」と言った感じでしょうか。
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江戸時代の「奇才」の一人である曾我蕭白(そがしょうはく)は、誇張された生き生きとした筆致や奇抜な題材で知られています。この掛け軸は、蕭白の創造性が頂点に達した作品の一つです。彼はほとんど描かれることのないテーマを選び、流れるようでありながら統制された筆致と、劇的な構図や奇怪なイメージを組み合わせて独自の作品に仕上げています。
◉ボストン美術館《Dragon and Clouds(雲龍図)》
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原品はアメリカのボストン美術館が所蔵している、1763年……曾我蕭白さんが34歳で描いた《Dragon and Clouds(雲龍図)》。2012年にはトーハクの『ボストン美術館展』で日本に来たそう。そして2015年には、キヤノンが高精細復元した同作の複製品が京都の天龍寺に奉納されたそう。個人的にはボストン美術館または貸し出された博物館や美術館で見るよりも、奉納された天龍寺で複製品の方が観たいと思います。ただ……寺がちゃんと観覧できるようにしているのかが不安ですけどね。あと、この曾我蕭白さんの雲龍図は、もともと天龍寺にあったわけではなく、本来あった場所は不明なのだそうです。でも天龍寺で観たい! 天龍寺じゃなくても寺で観たい!
◉ボストン美術館《Tiger(虎図)》
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《Tiger(虎図)》
◉ボストン美術館《Tiger(蝦蟇鉄拐図)》
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右《The Daoist Immortal Liu Haichan (Gama)》蝦蟇鉄拐図
左《The Daoist Immortal Li Tieguai (Tekkai)》蝦蟇鉄拐図
1770年前後
◉ボストン美術館《Transcendent Attacking a Whirlwind(風仙図屏風)》
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《Transcendent Attacking a Whirlwind(風仙図屏風)》
1764年前後
◉ボストン美術館《Asahina in a Tug-of-War with a Demon(朝比奈首曳図)》
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《Asahina in a Tug-of-War with a Demon(朝比奈首曳図)》
1763〜1764前後
◉ボストン美術館《The Four Sages of Mount Shang(商山四皓図屏風)》
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《商山四皓図屏風(右隻)》
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《商山四皓図屏風(左隻)》
秦朝の滅亡に伴う世乱を避けて商山に隠れた四人の白髭の老人(東園公、夏黄公、甪里(ろくり)先生、綺里季)を画題としたと推定されるこの六曲一双屏風は、ボストン美術館の曾我蕭白コレクションの白眉であるのみならず、現存する蕭白の作品中、最高傑作と目されるものである。狩野永徳も顔負けの放胆な筆致による、松の巨木が右隻に豪快なカーブを描いて中空に突き抜け、左隻ではその枝の屈伸が、巨龍の爪先のように画面を摑み取る。右隻の松の根元に配された酒宴を楽しむ三人の衣装や壺は、濃墨の刷毛筆による副直な一筆描きで表され、それに対し、左隻の騎驢人物は中墨による軽妙な筆の運びがみられる。驢馬(ロバ)を、たらし込みを交えた淡墨の没骨描で表すあたり、上方の枝の強さに対し、一見、構図のバランスを失しているようにみえながら、六曲一双を通してみるとき、この部分が画面の息抜きとなって、全体ののびやかなリズムを保証していることを知る。
桃山時代の絵画の特色は、ウォーナーの形容を借りれば、「画枠を越えて無限定に空中に描き続けて行く」ような、表現の気宇の雄大さにあった。その精神が一世紀半後の蕭白のとの作品に、たくましく復活しているのをみるのは驚きであるのだが、それを可能にさせた一つの要因として、白隠の祖師像、とくに大達磨の影響が考えられる。白隠の大達磨の不骨な一筆猫にとめられた禅定力の強さとユーモアが、白の世界に移し変えられて、このような稀な作品を生んだとみられるのである。制作年代は、彼の画風展開のピークに当たる四十歳前後とみたい。
款記は「鬼神斎會我蕭白輝一面」で、「蛇足軒白」白文方
印、「輝一」白文円扇形印が押されている。(辻)
ボストン美術館は、曾我蕭白さんの作品が最も多く収蔵されている美術館だということです。うん、確実に過去のある時期……おそらく明治期は、日本人よりもアメリカ人の方が曾我蕭白さんを高く評価していたということです。もしこの時にアメリカに売られていなかったら……多くの作品が日本の寺院や個人の蔵の中で朽ち果てていったかもしれません。曾我蕭白さんにとっては、とてもラッキーなことだったと言えるでしょう。
ということで今回のnoteは以上です。
ボストン美術館蔵 横井金谷《十六羅漢》
ボストン美術館サイトで同館の曾我蕭白コレクションを眺めていたら、横井金谷さんという幕末明治に生きた絵師による《十六羅漢図》を見つけました。初めて聞く名前なのですが……ボストン美術館に所蔵されるまでのいきさつが分かりませんが……所蔵された頃は、現代美術品として扱われたはずです。そういう作品もあったのだなぁと。
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ボストン美術館
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